後ろの正面
彩島両次。
苗字から分かる通り、春夏の家系だ。頭でっかちボケボケ老人と言えば黒龍には通じる。名莚家はこの管神で一番偉いが、俺と詠姫お姉ちゃんが居なくなってからは実質的な権力を彼に委ねている。名莚がその誇りを取り戻せるのは祭事などの形式が大切な場所くらいで―――いや。そもそも誇りなんて御大層なものはないのかもしれないが。
あんな物言いだから呼びつけに来ただけかと思いきや、自分も朝食を食べに来ただけの様だ。鳳先生を挟んで彩島家が朝食を食べる光景は異様だった。
「椿さんは本当に何も知らないの?」
「ごめんなさいね。私も何がなんだか……」
「黙って飯を食え名莚」
「殺すぞジジイ」
昔の俺なら、黙っていたかもしれない。しかしゲンガーと戦い続け、幾度も殺人の罪を犯した今、彼を畏れる道理は無かった。無かったが、その言葉だけは咄嗟に口から出てしまった。売り言葉に買い言葉ではないが、いつまでもお姉ちゃんの背中に隠れてばかりの俺ではいられない。
両次は目をひん剥いてこちらを睨みつけた。
―――銀造先生が居て、良かったよ。
今はもう、怖くない。
草延匠悟が俺にくれた、贈り物。
「いつまでも黙ってると思うなよ。こっちは元から疎外されてんだ。てめえのご機嫌取りなんかしない。どうしても黙って欲しけりゃさっさと説明しろ」
「…………飯の後だ。てめえも食え。これは脅しじゃねえ。胃の中のモン吐き出しても知らねえぞ」
ますますこれから何があるのか想像もつかない。取り敢えずアイリスと一緒に俺達も朝食を済ませた。芋と野菜がやや過剰気味に投入されたみそ汁と米(と微量な魚の身)は素朴ながらとても美味しかった。コンビニ弁当には遠く及ばない。
「ご馳走様でした」
「おいしかった」
最初に食べ終わったのは俺達だ。用が済んだら早く行けという圧力を背中から感じたのでアイリスの手を引いて一目散に言われた場所へ。集会所は食堂と対極の方向にあるので道に迷う事はない。畑を堂々と横切る気にはならないので家の手前を経由してから階段を上った。
この集会所が使われた所を、俺は一度も見た事がない。部屋を入ってすぐ奥に広い和室があるだけの古ぼけた建物だ。和室にはテレビも無ければ机もなく座布団もない。箪笥と何かが置いてあったスペースと一際大きな桶だけだ。それは中心に置かれていて既に水が張ってある。
「お姉ちゃん。こんな所に居たんだ」
「ん。食堂に行くべきだったね。ごめん」
集会所には二人の女性が待っていた。
一人はお姉ちゃんとしても、もう一人はこれまた面識が薄い。膝に届くくらいの長い髪をみつあみにしたままサイドに流しているのが特徴的だ。彼女の名前は苗網操。男勝りと呼ぶのは過言としても、主に狩猟を行っているのは彼女と両次だ。そう考えると男手に勝るとも劣らない働き手と言える。
「準備は終わらせたけど、こんな良く分かんないの本当にやるの?」
「まあ、それはおいおい両爺ちゃんから説明され……いや、全員集まってから私がするかも。タクはこっちに来て」
和室の一番奥。何かが明確に置かれていたスペースを背中に、俺とお姉ちゃんは並んだ。姿勢を改める必要はないらしいので胡坐を掻く。
それから遅れて朝食を済ませた面々が集会所にやってきた。どうも家ごとに位置が決まっているようで、無所属のアイリスは部屋の隅に座る事になった。
名莚家二人とアイリス。
静谷家四人。
陽久勇。
彩島家二人。
操さん。
そして部外者である鳳鳳先生率いる三人。
計十四人のこれで全員―――ではない。遅れて困惑した様子の流未と両親が姿を現した。十七人。
「これで全員か」
「え? ちょ。え? ちょっと待てよクソジジイ。椿さん所の夫とか勇の祖母とか操さんの子供とかまだ居るだろうが!」
隣に不機嫌な流未が座る事など気にも留めず、立ちあがりそうになる。留めたのはお姉ちゃんだった。
「タク。噛みつくのは後にして。状況が分かってない人の方が多いから」
「お姉ちゃんは知ってるの?」
何も答えない。
代わりに全員へ答えたのは、両次だった。
「ウツセミは普段、ワシらの事を守っている。あらゆる災難から救ってる。だが赤い空の雨が降る日。数年に一度ワシらが代わりに奴の願いを叶えなければいかん。それは決まってたわぶれだ。奴はワシらと遊びたいのよ」
「両次殿」
手を挙げたのは俺の父親だ。悪いが名前は知らない。
「たわぶれについては管神に居る全員が聞いた事があります。ここに御三家が居た最盛の時代から続く風習だと。しかし、これまで一度たりとも雨が降った事など無かった。この雨も偶然かもしれません。それでもやるのですか?」
「てめえら、そん時ぁたまたま管神を離れてただろうが! 名莚のガキ。ついでに答えてやる。ババアと守と操んとこのガキぁ全員死んだ。この『鏡ゑ戯び』でな!」
―――何だって。
「それだけじゃねえ。ここに居ねえもんは全員『鏡ゑ戯び』で死んでる。この地で死んだ者は全員だ。だがやらなきゃいけねえ。放っておきゃ全員殺されるだけよ」
「ちょっと待って下さい両次さん! 俺もその話は聞いた事があります。でも流石にそれは大袈裟だ。だって……だってお父さんは事故で死んだって」
泰河が泣きそうな声で不信を露わにするも、厳つい老人は鬱陶しそうに眼を瞑るばかり。
「―――鏡ゑ戯びに参加した事のある奴ぁ、手上げろ」
両次さん。
春夏。
鳳鳳先生。
そして――――――詠姫お姉ちゃん。
四人は当然、事情を知らない全員の注目を浴びた。鳳鳳先生についていた取材陣二人も、驚いたように彼を見つめている。
「ワシは二度。春夏と鳳の奴ぁ前回だな。詠姫。てめえは」
「前々回。―――タクがまだ幽閉されてた頃の話。私がまだ中学校とか高校生とかその辺りの頃だよ」
つまり。
つまりお姉ちゃんは。
そんな危険な戯びの最中に俺の世話をしに来ていたと?
「この桶の水ぁ沼から汲んだ奴だな」
「そうだよ。詠姫と協力して運んだの。ほんっと疲れた」
「なら、もうウツセミの野郎はここからワシらを見てるな。とっとと始めんぞ」
「こん中の一人が、ウツセミの野郎にすり替わってる。ワシらは全員死ぬまでにそれを見つけ出す。鏡ゑ戯びは、そんだけよ」
古ぼけた空間にしゃがれた声が木霊する。事情を知らない全員が彼の声に気圧されて発言出来ずにいた。ただ一人を除いて。
「彩島さん。それは不親切な説明ですね」
鳳鳳先生だ。彼だけは場の空気に最初から慣れているかの如く―――否、こういう極限状況なんて日常茶飯事だとばかりに、胡坐の上で肘を突いていた。
「そんな説明不足だから前回苦労したんですよ」
「詳しいのはてめえに任せる」
「そうですか。では詠姫さん。前々回の参加者とたった今お聞きしたので、協力してください。ただその前に―――一つだけ。ウツセミ様は普段から僕達を、見ていらっしゃる。普段と変わりないからこの人は本物だなんて先入観は捨ててください。それがあったせいで前回は彩島家の二人と僕しか生き残れませんでしたから」




