下る咎人のされこうべ
「はい。到着」
お姉ちゃんがエンジンを切って、シフトレバーを一番上にあげた。管神に入るルートは二通りあるが、車を使っている関係で俺達は通常ルート―――浮神を経由していく。アイリスに説明した通り管神は一般に周知されている様な場所ではなく、観光スポットに行くような人間もまず足を踏み入れない……というより、行かない。
何故ならこの先には畑しかないと言われるから。
観光として訪れるだけなら畑しかない場所よりはお店も普通に存在する浮神で十分だ。俺も生まれた場所にケチをつけていいならこっちに生まれたかった。それならあんな思いをする必要も無かったし、今よりずっと呑気なまま生きられただろう。
「ちょっと待ってお姉ちゃん。思い残した事があるからまだ入らないで」
「走行中にやって欲しかったな」
「ごめん。アイリスと遊んでて」
「あー手遊びね」
手遊びの名目でベタベタ触っていただけなのは黙っておこうか。ここでその思惑がバレると昔お姉ちゃんにも仕掛けた事まで遡られてバレてしまう。ああ大好きなお姉ちゃん。俺はただアイしたかっただけなんだ。
車から降りて後ろの方で電話を掛ける。走行中にしなかったのは場の雰囲気もあった。今生の別れの様にあの二人を突き放しておいてまた別の用事をこなすのは……不誠実だ。せめて筋は通そうかと思っていたが、どうしてもしておかなければならないと思った。俺が居なくなってもあの二人はゲンガーと戦い続ける、巨大になり過ぎたドッペル団の幻影を背負いながら。去るなら潔く去るべきという意見は分かるが、それでも最後に助言くらいはしてもいいだろう。
『もしもし』
『草延さんですか?』
俺の事をそう呼んでくれるという事は、電話の相手は間違っていない。協力関係にあったとはいえ現状唯一単独でゲンガー解明に挑まんとする勇者、鷹夏明亜だ。ゲンガー以外の事柄が心底どうでもいい彼に俺の本名は伝わっていないようだ。
『退学したそうですね』
『何か言いたい事でも?』
『いや特には。何の用すか?』
『訳あってゲンガー戦線から離れる。戻ってくる事は無いかもしれないという可能性も踏まえて、ずっと気がかりだった情報を引き継いでもらいたい』
電話越しにガサゴソという物漁りの音が聞こえる。シャーペンの芯を押し出す音が聞こえた所で一息吐いて用件を伝える。
『人食いハウスって場所に十年前の犯罪者の信条を記した本がある。現存する救世人教の教義はそれと同じだった。再調査すれば何か分かるかもな』
返事を待たずに電話を切る。これでもう思い残す事はない。ゲンガー解明の線を辿るなら一番収穫がありそうな情報ではないか。後は彼にお任せして、出来れば勝手に解決してもらおう。俺の出る幕は無い。
車に戻ると、お姉ちゃんが手作りの顔布を渡してきた。例外なくアイリスにも渡されて彼女はきょとんとしている。
「被り方はタクに聞いて。君は特に余所者だから、そのままだと中に入れてもらえるかも怪しい。特にその紅い目は……なんて思われるかな。穢れた血が目に現れたとかそういう難癖を付けられかねない。管神に入るまでは着用して。私はちょちょちょのちょいと手続きしに行ってくるからそれまでに済ませてね」
お姉ちゃんは一足先に浮神の門をくぐった。俺は気まずい沈黙を経て顔布の付け方を手取り足取り懇切丁寧に指導した。顔布とは言うが、完全に顔を隠している訳ではない。顔の中心から広げるように垂れ幕を作っているだけで骨格によっては頬骨とか輪郭くらいは隠しきれない。薄い布で作る理由は視界不良をある程度改善した結果だ。
「これでいいんじゃないか」
誰かに作った経験は無かったが上手くいった。全体と合わせてみようとすると、今回のアイリスはハイソックスにソックスガーターと随分色気のある格好をしている事に気が付いた。細く滑らかな足に良く似合う。新しい趣味に目覚めそうだ。
「あなたがかくすりゆうがない」
「ん?」
「よそものはわたしだけなのに」
「そういう意味か。確かに俺は余所者じゃないが、言ったろ。名莚は呪われてるんだ。そんな奴は地元でも当然嫌われる。浮神は厳密には地元じゃないが何処も扱いは一緒だ。優しくしてくれるのはお姉ちゃんだけ。例外的に俺も含めて、ここの住人は余所者と目も合わせたがらない奴が多い」
だから観光スポットの様な場所はあるが、そこまで活気がある訳ではない。余所者は嫌いでも目くらいは合わせられるという人も勿論居る。そうでもないと商売は成り立たない事もあるので仕方ない。
ただしそういう人間も俺とは目を合わせたがらない。
どちらの人間からも俺は嫌われているのだ。
「はーいはーい。手続きが終わりました。私は車を預かってもらうから先に行ってて」
「預かる……? なんか親切じゃない? お姉ちゃんも名莚なのに」
「さあね。私を踏み台にしたいんじゃない? あの子が応じてくれるとは思わないけど」
午前八時。
学生なら登校する時間で、大人ならとうの昔に出勤している時間帯だ。出稼ぎに行く人間が多いのである。ここに働き口が全くない訳ではないが、ここだけで賄いきれる程ではない……等と知った風な口をきいたが、実際は浮神の住人もここがクソだと思っていて夜逃げの資金作りをする為なら面白い。
人通りは少ないが、足を踏み入れた瞬間からあまり良い視線を感じない。目を合わさないようにする努力を良い事にじろじろと。この地に唯一存在する交番の警察官も俺達には遠慮なく無視を決め込んでいた。
「くうきがわるい」
「植物じゃ解決出来ない空気もあるんだよ」
「名莚の子が帰って来たのか……」
「今度こそ外に出るなんて事をしなければいいが」
「穢れた血…………」
管神への道のりは単純だ。奥の神社まで行ったらそこを通り過ぎて裏の梯子を使ったら、下り坂を降りて目的地。一推しのスイーツもなければ話題のスポットもなくお気に入りの場所もない。控えめに言ってクソ田舎だ。それ以上でもそれ以下でもなくクソ。どうしようもなくクソ。救いようがない。
「ここにはなにがまつられてるの」
神社を通りがかった時、アイリスがぼつりと呟いた。言われて少し足を止めるも、またすぐに歩き出す。
「気にしなくていいぞ」
「どうして」
「ハリボテだから」
梯子を降りてから坂も下りる。道はあるがこれを舗装と呼ぶには雑過ぎる造りで足元が非常に悪い。雨が降り出した日には大体の人間が滑るし、結構な頻度で土砂崩れが起きて通行不可能にもなる。管神に対する配慮は基本的に存在しない。
道中は森に囲まれて話すネタもないので、興味があるかは分からないが少し変わった話をしてみようか。
「何でここが浮神と管神で別れてるか知ってるか?」
「しらない」
「お姉ちゃんから聞いた話だが、浮神は元々『上神(うわがみ)』管神は『下神(くだがみ)』って呼ばれてたんだ。理由は分からないぞ。でも上下関係はハッキリしてるだろ。下に降りて降りて降り続けてようやく管神がある。俺は全体に嫌われてるが、基本的に管神は浮神に嫌われてるし、逆も然りだ。同じ地域なのに確執があるんだよ」
「なんでこんなにみちがながいの」
「上と違って管神はほぼ自給自足みたいな所があるからな。それだけじゃ駄目な時は上で手続きして出稼ぎしたりもするが……基本的に出る事はないんだよ。勿論上の奴等も下には行きたがらない。だからこことあっちじゃ同じ地域同じ国でも違う世界と考えた方が良い。そういうものだからな」
そういうものだから。
とても便利な言葉だ。自分の分からない事を一括りにしてさも理解してみせたかのように話せる。ゲンガーと相対する時に使いたくはないが、こういう場所なら積極的に使っていきたい言葉だ。お姉ちゃんと違って俺はオカルトに疎いもので。
「でんわがつうじないのはどうして」
「山の中だから。後は単純に整備する気が無い。どうもうちのお母さんが話してた分には、上の人間にとって下は『咎』の溜まり場で、その空気に触れたら地獄に落ちるとか言われてるらしいな。住んでる奴は全員罪人だって言われてる様なもんだ。そんな奴等に親切したいかって言われたらしたくならんだろ」
「いんしゅう」
「そう、因習。ゴミみたいな場所だろここは。だからお姉ちゃんにはマジで感謝してるんだ。外の世界を教えてくれた。友達が出来た。お前に会えた。全部お姉ちゃんのお陰」
「だいすきなんだね」
「大好きだよ。アイしてる」




