生まれた場所に
新章
十月一日。
俺は正式に学校を退学した。一部の友達から理由について問いただされたが未読無視している。それ以前に携帯も開いていない。次第に不要なものであるかの様に感じ始めたからだ。けれどもお姉ちゃんが買ってくれた大切な物をおいそれと捨てる選択肢はない。
「これで荷物は積んだかな。そっちは?」
「大丈夫だよお姉ちゃん」
「ん。久しぶりに動かすけど大丈夫かな……まいいか。じゃ、出発」
ここに来て以来俺が乗る事はほぼ無かった車に乗り込むと、夜逃げでもするかのような時間帯に俺達は家を飛び出した。体よく言えば里帰りだが、こちらに帰ってくる予定は今の所ない。
名莚匠与はここに居てはならないのだから。
あの日。ドッペル団の面々に名前を明かした日から大体二か月。退学するこの日まで俺は意識を失っていた。突然眠くなったのか体調不良なのかは分からないが、築き上げてきた自分が崩壊して―――記憶こそ失われていないが、『草延匠悟』の体験は遥か遠い昔に飛ばされてしまった。残ったのは封じ込められていた本当の自分と、誰でもない状態の記憶だけ。
傍に居るのは大好きなお姉ちゃんと、大切なアイリスだけ。
それで十分だった。
因みにアイリスが喋らないのは俺の膝を枕にして眠っているからだ。
「お姉ちゃんはこの子の事、聞かないの?」
「タクの彼女だと思ってるよ」
「そうじゃなくて、連れてきてる事について」
「あんまり? タクが目覚めるまで一睡もせずお世話してたのはその子だから信用してるよ。勝手に人ん家に上げるのはどうかと思うけど、お蔭で面倒な手続きに集中出来た。それとドッペル団だっけ。タクはあの子達にもちゃんと感謝しておきなよ。退学した後に突撃されたり付き纏われたりしないように根回しというか色々してくれたのはあの二人なんだから」
気絶してから何があったのかは聞いていないし、お姉ちゃんも話したくなさそうだった。だから俺も聞かないし知りたくもない。それを知った所で何かが出来るというなら話は別だが。
世界はいよいよ詰んでしまったように思う。
ゲンガー達はいよいよ積極的に侵略を始めた。祭り上げられた巨大組織ドッペル団により次々と人間が殺されると、各マスメディアは例によって不安を煽り遂には自殺を唆す様な報道を頻繁に始める始末だ。実態も割れていないのに指名手配されていると聞けば世界情勢がどんな酷い状態か分かるだろう。海外のニュースを見てもドッペル団なる組織が人々の命を脅かしている事について政府の人間が怒りのコメントを残している。
なり替わりが常の彼等は、遂にドッペル団という対抗組織にすらなり替わろうとしているのだ。
俺には普通の人間との見分けがさっぱりつかないが、大方この状態はゲンガーがある程度身内を切り捨てる事で成立している。頭領の統率の下、同じゲンガーであれ人間であれ殺していけば本物の死人として数字が生まれる。
この前段階に『死』は嘘という概念が根付いているお陰で本物の『死』を起こせるのはドッペル団だけという事になってしまった。だから身内が身内を捨てれば、さもドッペル団に殺されたかのように演出出来る。多少犠牲はあってもこれなら永遠にドッペル団へ責任を押し付けられるので、万が一失敗してもリスクは無い。今度はドッペル団を潰す目的で殺せばいいだけなのだから。
「お姉ちゃんはテレビの事信じないの?」
「大事な弟の発言を信じない姉が何処に居ますか……それにね。やっぱり罪悪感はあるよ。ゲンガーとやらに触れてるせいでとっくに合意がなされてたんだろうけど、あの二人、吐いたから」
「吐いた?」
「本当の名前聞き出してまでタクをどうにか助けたかったんだろうけどさ。『名莚』は生きとし生ける全ての血から嫌われるとも言われてるから、嫌悪感抱いちゃったんだろうね。その愛莉栖って子以外が家に踏み込まなかったのもそういう理由」
アイリスだけが影響を受けなかったのはゲンガーだからだろうか。
「管神に着く前なら携帯も電波入るし、今の内にお礼でも言った方がいいんじゃない?」
「お姉ちゃんがそう言うなら……って夜の三時だけど。出る訳ないや」
「吐いたのは『名莚』のせいで、あの二人は愛莉栖って子と同じくらい心配してると思うよ。一回試しよ試し。掛けてみなって」
嫌に押しが強いお姉ちゃんに促されてグループ全体に電話を掛ける。こんな時間に応答してくれるなら有難いがヤバイ奴等だ。
『『大丈夫だった!?』』
音が割れて、耳が死んだ。
『……うるせえ』
『ごめん。なさい』
『つい慌てちゃって。あれから何ともない? えっと―――』
『匠でいいよ。どうせ同じ字は入ってるんだから』
『私は。何て呼べば。いいのかしら』
『匠与でいいよ。どうせ同じ読みなんだから』
何処か投げやりなのは、『他人事』だから。分かりやすく言うなら、『草延匠悟』の友達という感覚が抜けないからだ。しかしその感覚は理解されないと分かっているので、敢えて同じ様に振舞っている。
『匠与。ごめんなさい。その……吐いちゃって』
『気にしないでくれ。名莚を聞けばそうもなるさ』
『名莚って何なの?』
『俺にもよく分からないし、分からなくていいと思ってる。そういうモノなんだってずっと言い聞かされてきたからな』
例外はある。名莚は確かに嫌われるが、果たしてその効力に悩まされているのは俺だけだ。俺が正当な血の後継者だからこうなっている。なのでお姉ちゃんも本名は名莚詠姫だが、ここまでの影響力はない。彼女が名前を隠したのは単純に統一の為(姉弟で苗字が違ったら妙な事情を勘繰られるだろう)なのと、単純に自分の家があまり好きじゃないからだ。今思えば、家が好きじゃないのに両親と仲が良いだなんてある訳がない。
『復帰祝いとか必要かな? 学校やめたんだったら盛大にやろうか?』
『そんなに。めでたい事なの?』
『気持ちは嬉しいんだが、もう俺は家に居ないぞ』
『『え』』
『故郷に帰る所だ。二人共今まで有難うな。復帰祝いだかは二人でやってくれ』
『ちょ……え? どういう事?』
『―――私達が。許せない?』
レイナが言いたいのは俺を信用せず、一時は偽物を守ってしまった事についてだろう。そこはずっと前からあまり気にしていない。傷つきはしたが、見分け方も分からない様な存在を相手にどういう立ち回りが正解なのかなんて誰にも分からない。あの時も言ったが俺は本名を明かしたくなかった。それ以外に証明する方法がなかったとしてもだ。
だから、引きずる様な事はない。
『俺は本名を明かしたくなかった。それ以外に証明する方法が無かったとしてもな。だからそこは気にしてない。お前達に非があるなら俺にも非があるんだから』
『じゃあ。どうして』
『お前達の為だ』
走行の揺れで落ちそうになるアイリスをそっと抱き留める。
『名莚は呪われてる。お前達に顔を合わせる度ゲロ吐かれちゃかなわん。それに、お前達は草延匠悟の友達だろ。俺の事は気にするなよ』
『―――バイバイ』
グループ通話を切って、電源を落とす。
「…………ごめんね、タク。お姉ちゃん、守れなかったよ」
「ゲンガーと戦うのに疲れてたから気にしないでよ。それに比べたらあの限界クソ田舎の方がマシな気がしてきてる。なんか疲れたからもう寝るよ。着いたら起こして」
「あいあい。お休み」
アイリスのイヤホンを片方頂戴して、俺も眠りについた。




