壊れたくないから
匠ちゃんと呼ばれて、反応が遅れたのは初めてだ。慌てて飛び起きると見覚えがあるようなないような少女の姿が飛び込んだ。直ぐに名前が思い出せないのは元々の記憶力かはたまた本物を証明出来なくなった影響か。
「………………山羊さん?」
アイリスは一度眠ると暫く起きないのか、イヤホンを渡して眠ったままだ。会話は出来るが、オレの方は声に出さないといけないので迂闊な事は喋らないようにしたい。上手くやれば騙りには気付かれない筈だ。
―――騙りね。
オレを受け入れてくれるのは彼女だけなのに、何故騙しているのだろうか。親切に対して同じ物で返さない奴は……ゴミだ。
「な、何でこんな所に」
「探したんだよ? 匠ちゃんが偽物に狙われたって聞いて関わるなって言われたけど……あたし、どうしても我慢出来なくて。迷惑だったかな?」
「いや、そういう訳じゃないけど…………一応聞くけど、見分け方は判明したのか?」
「分からないよッ。分かってたらあたしが今すぐにでも偽物ぶん殴って匠ちゃんを助けるし。……匠ちゃんを信じるって言ったせいかもしんないけど、どっちかを疑うとか無理みたい。どっちも全然見分けがつかなくて分かんないよ……選ばなかった方が本物だったら、裏切ったみたいじゃん!」
それは違う。
こんな酷い二択を押し付けている時点で第三者に罪は無い。たとえ間違っていたとしても恨むなんてもっての外だ。本人にも直接的な証拠は用意出来ないばかりか、状況を利用されればオレみたいに詰む事だってある。証明対決は自主的に動けるという点でゲンガー側が圧倒的に有利なのだ。
『危ないと思ったら私を置いていって』
そんな事はしないと言わんばかりに重ねた手を握る。ゴミクズかもしれないが、それでも出来る限りの義理は尽くしたい。証明を失ったオレに唯一『しんじゃだめ』と言ってくれた女の子なのだから。
「ところで、その子は?」
「……ああ、親戚みたいなものだ。厳密には姉貴の知り合いの娘で、今はちょっとお昼寝の時間。気にしないでくれ」
「そっか。なら気にしないよ。話の続きだけど、匠ちゃんは偽物? 本物?」
「それはどう答えればいいのかな」
「本当の事を言って欲しいかな」
非常に難しい話だ。そのままの意味で本当なのか、嘘から生まれた立場からそれっぽい事を言えばいいのか、良心に基づいてアドバイスをすれば正解なのか。山羊さんは部外者なので元より仕方ないと言えばそうなのだが、互いの立場と全体の状況に対して質問が軽率だ。
―――山羊さんもゲンガーだったらよかったのにな。
星見祭までとは真逆の事を考える自分に嫌気がさした。そうあって欲しくないと願っていた過去は何処へ行ったのだろう。
「山羊さん。本物でも偽物でも答えは同じだ。偽物が自己紹介する訳ないし、お前はオレが本物でも『偽物です』って自己紹介しかねないちゃらんぽらんだってのも知ってるだろ。だから本当の事と言われても答えようがない」
「あたしは信じるよ」
「誰を?」
「匠ちゃんを」
「どちらも信じれば矛盾が生じるぞ」
そして証拠主義において信用を決める際、絶対的に不利なのはオレの方だ。だからドッペル団の面々にも信用されなかった。もし信用されるような事があるとすればそれは恩があるかその人の判断基準で偶々気に入られたか…………。
―――姉貴。
彼女なら、分かってくれるだろうか。どちらが本物のオレなのか。
「じゃあ質問していい? 一回だけ」
「回数を決める必要はないぞ。都合が悪い事は何もないから」
「疑いたくないんだよッ。疑うだけあたしが辛いから……匠ちゃんは偽物が居るって分かってるのに、どうしてその親戚の子とのんびり昼寝なんかしてるんだ? 早く探さないと……まずいんでしょ。色々」
そう来たか。
あれだけ警戒していた存在に自分が狙われたのに悠長が過ぎるのでは。逆の立場ならオレだってそう思う。こちらの発言が嘘か本当かなんてどうでもいいのだ。ここで求められるのは俗に誠意と呼べるような感情。必死さとも言う。オレは少し考えたように顎を捻ってから、気まずそうに答えた。
「……見分け方を見つけないとまず話にならないからな。もがいても意味がない。持ち物の有無は奪われたとか失くしたとかで幾らでも言い訳がきく。慌てても何も解決しないならそりゃ必死にもならんよ。山羊さんが解決策を持ってきたならともかく」
「う。も、持ってきてないけど」
「ならこれ以上動き回るのはやめた方がいい。特にターゲットになったオレには近づかないでくれ」
「何でさ!」
「信じてもらえなかった時に、辛いからだよ」
そんなつもりは全くなかったが。本当の事を話して欲しいなら正直に言ってやろう。
「オレが二人いる。どちらかが偽物でどちらかが本物だ。もしオレが『俺』よりも信じられてなかったらって思うだけで胃が痛くなってくる。オレが焦らないのは、友達二人から既に信じてもらえなくなったからだ。山羊さんや千歳にまでそんな事言われたら―――壊れちゃうかも」
「…………!」
彼女はバッと目を見開いて、過ちを省みるように自身の胸を掴んだ。山羊さんのそういう表情は今まで見た事がない。趣味の悪い話だが、とても良いと思ってしまった。
「別に、どうしても選ばなくちゃいけないって時に選ぶのはその人だ。文句は言わないよ。でも個人的な感情は別だ。だから甘えるようだけど、傷つきたくないんで当分はそっとしておいてほしい。頼むよ」
丁度と呼ぶべきか狙ったのか、アイリスが目を覚まして機械のようにすっくと立ちあがった。イヤホンに引っ張られてオレの身体も遠慮がちに引っ張られる。
「じゃあな、山羊さん。もし見分け方を見つけたならその時はまた来てくれ。次に逢えるかなんてわからないけど」
彼女は追ってこなかった。
のんびりと過ごすつもりだったのに何というトラブルだろう。時刻は当然のようにまだ昼で、一日が終わるにはもう半日をどうにか潰さなければ。
「おみごと」
「え?」
「うそがじょうず」
「あ……即興にしてはいいもんだろ。まだオレが偽物だってのが周知されてない点が活きたな」
嘘は罪深い。その嘘を守る為にまた嘘を吐いて、また嘘を吐いて、また嘘を吐いて。その繰り返し。信用を失うのは一瞬だ、その一瞬が恐ろしいあまりにオレは破滅の道を覚悟して騙り続ける。自分に限界が来るその日まで。
「さっきの子から情報が回るのも時間の問題だと思う。少しほとぼりが冷めるまで建物に居たい。洋服でも物色しないか?」
「いいよ」
積極的に洋服を買おうと思ったのは中学以来かもしれない。オレには自分の服なんてなくて、全部姉貴のおさがりだった。それを引き取ってくれた際に好きなだけ買ってくれたのだ。自分にファッションセンスなど無いと思っているから行く機会に恵まれなかったともいえる。事実、今回も飽くまで隠れ蓑として―――もしくはアイリスとのデートのみを目当てに提案した。
「ひとなのにやぎ」
「ん……山羊さんの事か。『草延匠悟』の友達だよ。紛らわしい言い方で済まない。山羊女って訳じゃないぞ」
「やぎおんな」
「違うって」
「わたしはなにおんな」
気に入ってしまったようだ。アイリスの感性はよく分からない。珍しく信号を守って向こう側へ。お店に拘りもなかったので入店し、当てもなく奥のレーンまで移動する。
すれ違いざまの男性がアイリスの胸をガン見していたが、本人は気付いていないらしかった。
「一応言っとくけど、服を見ようってだけで買えとは言わないぞ。お前のお金だしな。そこまで強欲にもなれない」
「いろんなあなたがみたい」
「センス無いからいいよ」
「わたしはきにしない」
オレが気にする。
誰かにダサいのなんの言われる事を気にしているのではない。買う瞬間までは似合うと思っていても、買った後に猛烈にダサく見えるケースを警戒している。お金も消えてファッションへの熱も消えて誰も得しないなんて展開は避けたい。
「それよりかはアイリスさんの新しい姿とかみたいですよ?」
「じゃあ探してみる」
「―――え、マジ? 言ってみるもんだな」
「いっしょにおきがえさがそ」




