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ドッペルゲンガーにアイはない  作者: 氷雨 ユータ
禁じられた名

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122/173

奪われた

 ゲンガーに生活を、友人を、人格を、証明を。全てを奪われる感覚は理解したくなかった。殺人鬼が躊躇なく殺人を行えるのはそこの共感能力が欠如しているからだ。それはドッペル団として活動する上でも重要な考え方だ。便宜上、そして客観的には殺人行為としているが、俺達としてはそこに区別がある。人間は殺さない。殺すのはゲンガーだけ。果たしてそれは共感能力の欠如にも近い分別だ。相手を同じ人間と思わない事で感情移入を塞ぎ、冷徹に殺す。

 『他人事』が無意識に使えていた頃の俺みたいに、とにかく相手に対して理解拒否を徹底するのが大切。相手が痛いだろうとか、苦しむだろうとか、相手にも家族がいるとか。背景は一切考えない。


 ―――今回は無理だけど。


 二人を殺すなんて出来ない。裏切られた事は悲しいが……いや、これは裏切りなのだろうか。逆の立場なら、俺は無条件で信じたのか? 自分の事を棚にあげて、一方的に裏切りと決めつけるのは不誠実なのではないか?

 これが裏切りなのかはともかく、逃げなければ。

「待て! 絶対に逃がさないからな! お前は俺が絶対に……! 逃がさない。山羊さんや千歳にも接触する気だろ!」

「…………!」

 ほんの小さな嘘で、自分自身を詰ませてしまった。素直に話しても信じがたい状況だったから仕方ない? そんなのは言い訳だ。二人を信じられなかった俺が悪い。それがこの状況を作り出したと言っても過言ではない。

 今回の尻拭いは俺がしないといけない。取り和えず暫定的に偽物と判断された状況を覆す為の方法を探そう。今の俺を本物と信じてくれそうな人間は誰か居るだろうか。山羊さんや千歳やアクア君は不安だ。ドッペル団二人が手を貸す以上先回りされる危険性は高い。

 姉貴に頼ってみるか……事態をややこしくするだけだ。根拠は無いがマホさんが居てくれたら一瞬で見抜いてくれそうな予感がする。本当に理由は無い。


 ―――青義先生しか居ないな。


 彼には直接応急処置を教わった。嘘を吐く必要もないし、当時のアリバイを完全に証明してくれる。問題はそこまで考慮した上で俺の偽物がコンタクトを取っているかだ。電話を落とした下りばかりは言ったもの勝ちなので、もしかしたら彼も偽物の事を信じてしまう可能性がある。しかし他の人間と比べれば味方になってくれる可能性もある。比較的分の良い勝負だ。

 次の角を曲がると、前方にレイナが佇んでいた。

「マジ……かッ」

 左の壁を乗り越えると見せかけて蹴る。向こう側の壁に捕まると急いでぶら下がった下半身を引き上げて屋根にジャンプ。いよいよ何をしているのか分からなくなってきた。夕方に怪盗よろしく謎の逃走ルートを開拓してしまった。屋根から屋根に飛び移るのは無理なので全力の幅跳びで何とか道路に着地。受け身は失敗した。

「いっ…………!」

 足が折れそうだ。折れなかっただけ幸運だったと言うべきかもしれないが、これだけの激痛を味わっておいて運が良かったと言えるような根性に生まれた覚えはない。壁の隙間みたいな場所に身体をねじ込んで、束の間の休息。

 足音が四方八方から聞こえる状態で休めるかは疑問だ。見つかってはいないようだが、ジリ貧なのは明らか。

 

 ポケットに入れていた携帯に着信が掛かったのは、その直後の事だった。


 ―――やばッ!

 

 実際にバレたかどうかを確認するよりも早く隙間を飛び出すと、間一髪で確保を免れた。横から朱莉が突っ込んできた時は手遅れを悟ったくらいだ。手には携帯が握られていたので着信の犯人はアイツに間違いない。本当に俺を偽物として認識しているようだ。


 『俺』はゲンガーなのか。


 なら草延匠悟という名前も使えない。ドッペル団員に尻尾を握られる可能性もあるのでネームレスというコードネームもそのままでは使えない。同じ人間が別の場所に居ると判明すれば一旦撒いたとてまた追われる。

 証拠を握るまで、この名前は奪われたに等しい。大切な名前、姉貴と同じくらい大切な名前が。俺の全てと共に。

「くそ……くそ…………!」

 悔しさで涙が止まらない。俺が築き上げてきた全てを、こんな形で掠め取られるなんて!






















 青義先生の医院に何とか辿り着いた。あからさまにルートを絞ればドッペル団に先回りされるだろうと思い、かなりの遠回りでようやくここまで来たのだ。急がば回れとも言うが、回り過ぎて単純に疲れた。

 中に入ると助手こと梧幸音さんがまた診察室の方へ逃げてしまい、入れ替わるように先生が出てきた。直接話せる分には有難いが、あれがもし人見知りだとするなら受付なんて出来ない気がする。

「おや、昨日ぶりだね。随分慌てていたようだ。工事現場とかに踏み入ったりした? 赤土がついてるよ」

「そ、そんな事はどうでも良くて! 青義先生! 何か、何かゲンガーと本物を見分ける情報とかないですか!」

「一日二日で何か分かるなら君も僕もここまで苦労していないと思うがね……何か事情があるようだ。手短に話してみたまえ」

「『俺』が、ゲンガーに乗っ取られました!」

 青義先生はほんのわずかに目を細めると、幸音さんに頼んで入り口のドアをロック。どう考えても原材料が骨な凶器を袖から滑り出し、俺の喉元に突き付けた。そこで気付いたのだが、『患者』を相手にする時と『敵』と相対した時で彼の眼の開き方が違う。前者は眠そうというかそこはかとなく伏し目で、後者は怖いくらいに目を見開いている。

 例えるなら人形のように。今にも目が飛び出しそうなくらい、瞼なんて存在しないかのように。

「大体の事情は分かった。僕を頼ったのはあれか。本物と信じてくれそうなのが僕くらいみたいな」

「……そうです。でもそんな風に聞くって事は。信じてくれないんですね」

「半々だ。完璧にね。別に僕は君がゲンガーだろうが本物だろうがどちらでもいいんだよ。確かにゲンガーは許せないが、その前に君は患者な訳だし。特別に線引きは僕を襲うかどうかという事にしてある」

「じゃあ何でこんな剣呑な感じなんですか?」

「反応を窺いたかった。判別は出来なかったけどね。取り敢えずここのシャワーを貸してあげるからそのとてつもない顔を消してきなよ」

 骨の剣がそのまま差し棒よろしく診察室の奥へ向けられた。鍵も懸かっていて、襲わない限りは味方で居てくれる先生も居る。今度こそ一段落して……大丈夫なのだろうか。案内された先はシャワー室のみでそれ以上も以下も無かったが、ふと視界に入り込んだ鏡景色が気になって、覗き込んだ。


『人は共通認識に生きる存在で、その認識のすり合わせを現実と呼んでいる。だからもし、世界中の人間が科学を信じなくなったら科学には何の力もなくなるって』


 それは姉貴が感銘を受けた誰かの考え方。認識のすり合わせを現実と呼ぶ―――言うなれば合意があるからこそ、そこは現実になる。世間では幽霊を信じる合意がなされていないからそれは迷信で、逆にオカルト研究部のような局所では合意があるから幽霊は実在する。

 この考え方はやはり、正しいのかもしれない。ゲンガーと戦ってきたせいで、異常現象に対する合意が既に為されている。きっと俺達に関わった人間は殆ど……或いは死を嘘と思った人間が殆ど。

 名前を奪われ、友人を奪われ、『本物』を奪われた。そこには外見とか精神年齢とか感性とか諸々の個人情報が詰まっていて、文字通り俺は全てを奪われたと……認めてしまったのが、良くなかったか。

「    !」

 名前が言えない。自分の事も分からない。記憶はあるのに、『自分』に関する情報が今も欠落している。


 何より―――











 全身がすっぽり影に隠れて、認識出来ない。


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[気になる点] ...あれ?これ詰んだ? [一言] 取り戻すこと出来るんかね...
[一言] もう何が本当かわからない…
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