一夜の過ち
尋問記録など医院にあって良いものとは思えなかったが、この場において倫理観も道徳心も意味を為さない。拷問ではない事を改めて確認してから俺達はその記録を見せてもらう事にした。
「本当はビデオテープが良かったんだけど、中々手に入らなくてね」
「何のこだわりですか?」
「本は紙の方が良い。みたいなものかしら」
「ああ、そうだね。そういう些細なこだわりだ。再生するよ」
するよと言いつつ、機器を操作するのは助手だった。あの子もこんなろくでもない(失礼?)男の助手をしているくらいだ、何か訳ありのように思えるが、今は良いか。人の心配をしている場合ではない。
『初めまして。まずは君の名前を聞こうか』
映像が始まった。
ここは医院ではない。何処かの倉庫だろうか、場所は聞いても教えてくれまい。聞いた所で意味なんてないし。青義先生の事だからどうせもう解体してある。それに俺達は率先してゲンガーを殺さなければならない組織だ。妙な善意は時間を無駄にするだけ。青義先生の声は聞こえるものの彼の姿は映っておらず、代わりに画面の主役になっているのはゲンガーと思わしき男性だった。三〇歳くらいの知らない人間。
『……警察を呼ぶぞ!』
『呼べばいいさ。呼べるものならね。僕は猟奇殺人者とは違うから殺してやろうとかそういうつもりはないよ。まあ今の所というだけで、君が質問に答えてくれなかったら気が変わるかもしれない。生きたかったら素直になりなよ』
『ふざけんな! 出せ! 出せ! 出せ! 出せ!』
ボキッ。
画面に入り込んだのはそこの受付でじっと青義先生の方を見つめる助手の少女、幸音。傍から見れば朱莉と同じくらい中学生にしか見えない矮躯の少女が躊躇なく指をへし折る映像は。中々どうして衝撃的なものだった。
『先生の言う事、聞いてください』
イエスともノーとも言えぬ喘ぎ声。人間らしくもゲンガーは激痛に汗を滲ませ涙を流し、苦悶の表情に僅かな殺意を乗せてカメラを睨んだ。
『名前は?』
『…………齊藤! 大太郎……』
『それはどっちの名前?』
『…………はあ?』
『答えたくないなら結構。助手君』
『はい』
『ちょちょちょ! 俺の名前! 俺の、ニセモンの方じゃなくて!』
ニセモン。
偽物と言っているのか。俺達の事を。ゲンガーからすれば俺達が偽物で、俺達からすればゲンガーが偽物で……本物はどちらになるのだろう。勿論最初から存在していた俺達になる。ゼロから生まれた芸術や文学をパクリと呼ぶ人間は居ないだろう。人はそれをオリジナルと呼ぶ。パクリはゲンガー、またの名をパチモン。
『そうか、大太郎君か。では質問をしよう。君達は何の為に人を真似る? エイリアンよろしく侵略だったり?』
『侵略ぅ? 違う。奪還だ。お前達、自分がニセモンだって気付いてないのか? たまたま生まれただけの奴等が自分を人扱いかよ』
『僕は大体人でなしとは呼ばれるよ。まあその話は良いか。この方向じゃ水掛け論になりそうだし質問を変えようか…………死んだ人間にまでなり替わるのはどういうつもりだ?』
『あ?』
『もう終わった恋だと思っていたが、後出しで水を差されるのは非常に不愉快だ。何のつもりで、どんな目的があってそんな嫌がらせに至ったのか教えてくれよ』
青義先生がゲンガーを狙う理由は、星見祭の時に聞いている。彼は自分の手で初恋の人を殺しているのだ。理由は聞かせてくれなかったが、それは非常に不本意で、しかし惚れた弱みから断る事も出来なかったらしい。既に終わった恋などと映像でも言っているが、理由を語ってくれた彼の顔には未練が残っていた。俺には分かる。美子を失った俺には、痛い程分かる。
勿論、こちらに未練はないのだが。失った筈の淡い感情がぶり返せばああもなろう。死んだ筈の人間がゲンガーとして蘇る事自体は不思議でも何でもないが―――
問題は。時期。
青義先生は年齢を決して教えてくれないが、一、二年前という事もなさそうだ。ではゲンガーはどうやって彼の初恋の人になり替わったのか。見た目だけでも取り繕うには最低でも死体を目撃していないといけないと思っていたが、違うのか?
その後も尋問映像は続いたが目立った収穫は無かった。というかゲンガーが口を割ろうとしなかった。最後はヒートアップした先生がハサミや包丁を持ち出してゲンガーを滅多刺しにした所で再生は終了。
努めて彼の恋愛事情に首は突っ込むまいと決意した瞬間でもある。映像を見つめる本人は冷静そのものだが、その拳は今にも机をたたき割りそうなくらい強く握られていた。
「見るんじゃありませんでしたね」
「……殺人経験がなかったら流石に惨さで体調崩したかもな」
「先生。私達に見せても。良かったんですか?」
「どう取り扱おうが僕の勝手だと言った筈だ。しかし自分で言い出すのもあれだが、怒りが再燃してきた。これ以上教えられそうな情報は無いし、帰った方が身の為だと思うよ」
優しく脅された手前断りにくい。俺達は各々のタイミングで足早にこの場を後にした。
辻褄を合わせるべく外に出た俺達は言い出さずとも解散。俺とレイナはドッペル団としての辻褄を合わせる為に日が暮れるまで地域への聞き込みを欠かさなかった。時折携帯で連絡は取るが、あの記事を書いた記者について知る者はいなかった。
ただし記事そのものは知名度が半端ではない。その辺の主婦でさえ知っているならドッペル団はいよいよ本物の危険組織となりつつある。SNSやテレビから情報を得ていて正直実感が湧かなかったが、これでハッキリした。俺達はありもしない幻影を擦り付けられている。
そうは言ったものの、これに対して反論すれば実在を認める事に等しい。誤解を解くより先にそこが広まって、多分手がつけられなくなる。かと言ってこのまま野放しにしているといざ捕まってドッペル団と判明した際に問答無用で死刑判決を受ける恐れが…………
馬鹿馬鹿しい。
司法までもがゲンガーの味方をする頃にはとっくに侵略など終わっていて、敗北も決定的だ。ドッペル団の活動などする意味もない。だから大丈夫だ。万が一に敗北を喫しても、俺達全員が不当な裁判に基づき刑罰にかけられる様な事は決してあり得ない。
時刻は午後八時。人通りも露骨に少なくなって有益な情報が見込めなくなってきたので、ドッペル団には今日の活動は終了すると伝えた。各自が散らばっているのも丁度いい。言われずとも二人は家に帰るだろう。俺も、そろそろお腹が空いてきて夜食が欲しいと思っていた。姉貴は起きているだろうから、せっかくだし彼女の手料理でも食べてしまおうか。確実に腹を下すが、空腹よりはマシだ。
「………………あ………………ぁ」
「え?」
呼ばれた?
いや、違う。こんな真夜中に声を掛ける奴は変質者だと相場が決まっている。周囲を見渡してもその気配はない。今なら殺す準備が整っているが……残念ながらちっとも見当たらない。幽霊の可能性は考えたくない。『隠子』の一件でそういうのは向こう数十年は無縁でありたいと思っている。隣に姉貴も居ないし、今出会ったら詰みだ。
「………す。…………………………て」
標準的な聴力で申し訳ないが、助けを求めているという事でいいのだろうか。声を頼りに周辺を歩き回ってみたがその正体を拝めない。段々疲れてきたので帰りたくなってきた。人としての良心なんぞ知るか。
「…………………………………」
完全に声が聞こえなくなった所で、また探してみる。道路だけに限定していたから見つからなかったのかもと思い、今度は住居侵入も厭わず平然と誰かの敷地に侵入する。変質者は俺だったが、十五分程探し直して、ようやくお化けもどきの人物を見つけた。
その正体はヘッドフォンを首に掛け、イヤホンを両耳に装着した女の子だ。カラーコンタクトか何かかもしれないが、紅い瞳が力なく地面を見つめている。何故かと言われたら分析するまでもない、腹部から大量出血を引き起こしている。今から救急車を呼んだ所で助かりそうもない。
―――ゲンガーにやられたのか?
そうとしか思えない。今時は普通の犯罪者にやられたなどナンセンスだ。『死』が嘘なのにわざわざ殺そうとする奴があるか。今となっては殺人程度で背徳は味わえない。
「……大丈夫、ですか」
青義先生の所へ持っていけば助けてくれるだろうか。間に合わなそうだ。いや、何をしたって手遅れか? 本当に助からないのか?
未来なんか見なくたって、俺には誰かを助けられるんじゃないのか?
大体、そんな時間は無い。この思考時間さえも無駄だ。助けようと思うなら行動あるのみ。何故助けるかは問題じゃない。強いて言えば人間らしさの維持だ。人を殺してばかりじゃいずれ自分を見失う。たまには良識に沿って助けないとつり合いが取れない。理由タイム終わり。
「もしもし青義先生? 腹から出血した人をワンチャンス助けられる方法知りませんか? 多分この場でやらないと手遅れなんで、お願いします。応急処置でいいんで」




