始まりはきっと何気ない
「ただいま~」
「戻った」
滞りなくコンビニから適当に弁当を調達したつもりだ。家に帰ると、レイナが俺のベッドでうつ伏せになって枕を抱きしめていた。
「………………え」
「…………」
「あー、気まず」
よくぞ俺の声を代弁してくれた。そう、非常に気まずい状況だ。自分の家なのにこの居心地の悪さはどう説明をつけてくれようか。それとなく視線でレイナに戻るように誘導したつもりだが、彼女に従う様子はないばかりか、謎に頬を染めている。
「えーと……朱斗。どういう状況だこれ」
「本人に聞けばいいじゃんか」
「うーん」
何を躊躇う必要があるだろう。やましい事は何もない。むしろレイナとは秘密裏に協力する関係であり、危なっかしいメンタルには度々手を焼かされるが、それでも頼れる仲間ではある。銀造先生の動向を一早く察知出来たのも彼女のお陰だ。当初から考えていた計画は破綻したが結果的にはそれなりの形に落ち着いたので良しとしよう。
「レイナ。何やってるんだ?」
「はぅぅ……とぼけてるの。朱斗の前だから?」
「は? え? ん? 今度こそ解説頼む」
「だから僕に聞くなよ。一応整理しておくと僕達はお弁当を買いに行ったね。その道中には特に何もなかった。いいね」
さりげなく全てをなかった事にしようとするか。あの経験は俺も可及的速やかに消しておきたい。朱莉とのキス自体に文句は言わないが、場所が場所だ。せめて夜にしてほしかった。仮にも男子を演じるならキスだけはどうにかならなかったのかと。
流石にそこまでスキンシップが過激だと仲良しの男友達では済まされない。同性愛者か海外育ちか朱斗が女かだ。少しでも俺達の事を知る人間なら同性愛者でも海外育ちでもないと分かるので、消去法で性別がばれる。
レイナは元々性別を知っているが、それはそれだ。
「ああ、何も無かったよ」
「帰ってきたら、レイナが変態になってたと。ふむ。どういう訳だろうね」
「変態は言い過ぎだな。仮に変態でも美人なので一向に問題は無い」
「うわ。見た目で女の子を見る最低な奴だ」
「見た目は大事だぞ。ヘドロ塗れとかだったら家にもあげたくないし喋りたくもないからな」
第一印象は見た目からだ。それの何がいけないのか。大切なのは中身だが外面が悪すぎれば中身を見る気にもなれない。俺達が冗談を言い合ってるうちにレイナは所定の位置に戻ってちゃっかり自分の分のお弁当を確保していた。
「今までの事、纏めてみたわ」
「ん。ありがとう」
芳原美子の自殺、山本ゲンガーの襲撃から俺の因縁は始まった。ドッペル団等という組織も無く、俺と朱莉の二人だけがその存在を知っていた時期。ゲンガーと戦い始めて少し経ったが、何故美子ゲンガーが抵抗もなく本物の命令で自殺したのかは謎だ。
ひょんな事から救世人教を知り、狙われてしまったレイナを助けるべく突撃した時期。カルト宗教の末路は山火事による集団自殺であり、俺達はそれに巻き込まれて危うく死にかけた。青義先生がたまたま通りがからなければ死んでいただろう。まさか犯罪者である事に感謝する日が来るとは。
大神君を取り巻く呪いに振り回された時期。全ては結果論だが、ゲンガーの存在さえ教えなければ彼も『獣』の呪いなんて馬鹿げたものは信じなかったのではないかと思っている。明確に悪手だった。そのせいで一時は殺せぬゲンガーを作り出してしまい、難儀した。
テスト期間。マホさんがミステリアスエロだった、おしまい―――というのは嘘だ。ここで初めてドッペル団が生まれ、今後は名前隠しも兼ねてその名義を使おうという事になった。ここでマホさんからあの奇妙な紙切れを貰ったのは運命の分岐点に等しい。あれがあるとないとでは動き方が変わってくる。ゲンガーよりも謎が深いあの人は何処で何をしているのだろうか。
『かくりこ』の噂を利用して大神君を殺そうと思ったら怪異の怒りを買ってしまった時機。紙切れがなければ全滅していた。あれ以来、俺はあの山に踏み込むのを躊躇っている。ただでさえ軽んじて、あまつさえ踏み台にしようとしたのに、もう一度立ち入ったらどうなってしまうか。
星見祭。全ての計画が狂って、ゲンガーの動向が決定的に変わった瞬間。詳しくは青義先生の分析待ちだが間違いなくゲンガーが攻勢に出た瞬間であり、現況と含めて少なくとも校内は七割がゲンガーになり替わってしまった。残りの三割も『死』が嘘などという阿呆らしい価値観に惑わされ、抵抗感がなくなっている。いつでも殺せる人間ならそれはゲンガー予備軍と呼んでも差し支えない。ここは侵略の拠点になってしまった。
ここまでの状況を改めて振り返ると、明らかに不自然な瞬間がある。
「『死』が嘘なんて価値観は毎日の誤報の積み重ねによるものだ。朱斗。俺とお前がゲンガーを知る者として最初に出会った時、なんて言った?」
「……ゲンガーは最初の場合友好的で、本物の心の隙間に付け込んで本物の時間を奪っていく。堕落を奨めて本物への努力を積めば『偽物』とて本物になれる。後はすっかり落ちぶれた『本物』を周囲が勝手に排斥するから、それでなり替わりは終わり。そんな感じの事を言った記憶があるね」
「え?」
レイナが驚いたように彼女の顔を見遣る。今の状況と噛み合わない事に気が付いたようだ。
「そうだな。俺もそんな感じの事を聞いたよ。でもこうなってしまったのはさっきも言ったように誤報の連続を誰も止めないから死の概念を疑い出したのが原因だ。それはお前が言った通りのやり方じゃ絶対に実現しない。お前のやり方は正真正銘の『本物』以外を侵害していないんだ。それ以外の全てを尊重してる。崩さないようにしてる。バレないようにと言ったらそこまでだが、『死』が嘘だから偽物がバレないのとは訳が違う」
「待って。僕は嘘をついてないよ!」
「嘘とは言ってねえだろ。確かに違うケースが大半だが、俺の考えでは何処かで方針が変わったんじゃないかと思ってる」
「何処かって。何処の」
「それは知らないが、人類を殺しやすいのは今の状況だ。ゲンガーが本気で侵略するつもりなら手段は問わないだろう。問題はそこだ。レイナ。クラスの人間全員が確実にテストで満点を取るにはどうすればいい?」
頭のいい人間に尋ねたのは失敗だったか、と遅ればせながら思ってしまった。勉強をすればいいと模範的な回答をされたらこの例えは失敗する。それこそ朱斗に尋ねれば不真面目な回答を期待できたかもしれない。
果たしてそれは杞憂で、レイナは自分側に引き寄せながら暑そうに言った。
「勉強……は違うわね。カンニングをすれば。バレるかバレないかはさておき。取れるわね。写すだけだから」
「ねえ、例えなのかもしれないけど僕には話が見えないよ。それに違法を問わないって言っても人間には良識ってものがある。カンニング以外の方法を編み出す人も居るんじゃない?」
「その通りだ。じゃあそれを全員に実行させるにはどうすればいい?」
風に当たりたいらしい朱莉が俺の傍から離れた。絶妙に緊張感こそないが、俺はとても重要な問いをしている。この捉え方は統一しておいて損は無い筈だ。二人も薄々勘付いているだろう。ゲンガーとの戦いは一筋縄ではいかない。
「先生が。言えばいいわ。基本的に。みんな従うし」
「そうだな。個人の思惑は数あれども、全員が納得のいくようなら従うだろう。率直に言って、ゲンガーにも頭領が居るんじゃないかって考えてる」
思い思いの侵略をしていては統一感がない。誤報がどうであっても朱莉が説明してくれた様ななり替わりするゲンガーも居れば、山本ゲンガー然り未熟な方法を取るゲンガーも居るだろう。それが俺達の視点では星見祭を節目に変わってしまった。
これは統率が取れていなければ不可能な芸当だ。それなら朱莉の発言とも噛み合う。ゲンガーは互いの正体を見破れないが、連絡を取り合うだけなら可能。顔も見えないのに何故連絡が取れるのかと言われたら、頭領を介して連絡しているのではないか(単にSNSで繋がっているという線は考えにくい。やはりどちらかが片方を見破っていないと困難故)。
直接的証拠はないが、ゲンガーの動き方が変わったのも事実。以前は頭が居るならそれだけに絞って殺すなどと冗談めかして言ったが、あの時よりは確信を持てる。
「頭領って。総理大臣かしら?」
「あからさますぎる。多分だけど、誤報があった奴は違うな」
「何で言い切れるのさ。木を隠すなら森の半って有名だろ」
「そんな事する意味がないからだ。俺達がゲンガーについて詳しいならそれも考えられるが、現状を見ろ。まるで情報が揃ってない。そもそもまだゲンガーと人間の見分けがつかないとか詰んでるぞ。こんな状況で誤報とはいえ一応姿を晒すのはどうなんだ。ミリぐらいのリスクは背負ってるぞ」
「そういうの自意識過剰って言うんじゃないの? ゲンガーの頭領が私達を認識してるならあり得るかもしれないけど、有名になったのはつい最近だ。未来でも見えてるって言うなら話は別だけど……」
彼女もまた、論理の穴に気が付いたようだ。
俺達は自然に有名になった訳ではない。ここまで一気に知名度を獲得したのは想定外だが、その始まりは一本の投稿。ネタみたいな記事だ。前述の可能性を自意識過剰と言うならば、自分達の存在がバレていないと思うその心は傲慢だ。
「あの記事を投稿した奴が、現状頭領の可能性がある。俺達はまだこの地域でしか動いてないから、意外と黒幕は近いかもしれないぞ」




