死の向こう側
こんなに長くするつもりは。
ともかく章終わりです。お疲れさまでした。
「君、中々凄いね。僕の患者を思い出すよ」
金髪の先生こと、教師に扮装した青義先生は空き教室に俺達を招いて愉快そうに笑っていた。
「因みに、全部計画の内?」
「いえ、全く。色々と想定外な事があって」
主に山羊さんの登場の仕方とか、銀造先生がまともな部分を露出した事とか、ちゃっかりゲンガーもお零れにあずかろうとしている所とか。未来は変わったが、お蔭で大変な思いをした。青義先生がフォローを入れてくれなければ危うく俺の方が性犯罪者になっていた。
「屋上では何が行われてるんですか?」
「燃える物被らせて焼殺。そうすれば従順になると言われてるんだからその通りだ。君は若者らしくもなく、動画配信を見ていないんだな」
「ゲンガーと分かり切ってる奴の配信なんかヘドが出て見れませんよ」
山羊さんは今いち状況を呑み込めてない。当事者からすれば状況の推移があまりにもぶっ飛んでいてよく分からないだろう。俺もその場の勢いでやりきったので一言では説明しにくい。
限界まで分かりやすく説明するなら、『死は本当にあるという理屈を逆手にとった銀造先生の手を大衆に繋がせる事で現在の一般論理を矛盾させ、性犯罪者の汚名を着せる事に成功させた』。
彼や保護者ゲンガーが俺達を殺そうとしたのは明白だが、そもそも殺人という行為が恐怖を伴っているのはとっくに異端で、大衆から見れば訳の分からない状態だ。殺しても死なないのになぜ殺すのか。この部分を正確に理解させようとするにはまず俺のスタンスから説明しなければいけないが、その前に性犯罪者の汚名を被せる事で更に事態を複雑化させて考える猶予を奪った。突然のレイプ未遂は苦し紛れのアドリブであり、ハッキリ言えばその場の思いつきなのだが、銀造先生からそれを説明したとして誰が信じるのだろう。
人間は理屈を好む生き物だ。勿論自分の信じたい理屈を。一度性犯罪者の汚名を被らせればそれを補強する理屈は周りにとって面白いものになるので、勝手に信じてくれるようになる―――それ以前に、急に俺が狂ったなどと言っても信じられる事はなかったか。幾ら何でも過程が飛びすぎている。『何となく答えは5です』と書いても数学の証明問題で点数は貰えないだろう。実際はその飛び過ぎた過程が正しいのだが、かなり純粋か俺が信用されていない限りは難しい。
「えっと……どういう事?」
「山羊さん。全部終わったから説明する。実は夢で、お前が俺を庇って死ぬ夢を見たんだ」
「……夢を信じたの?」
「その夢は『隠子』の時に俺達を助けてくれた。信じるしかないと思ったんだ。だからお前を助ける為に俺は……あんな事をした。あの時の会話を仲間にスピーカー使わせて聞かせなきゃいよいよ実行に入ってたと思う。ごめん」
「…………べ、別にいいよ。あたしは。匠ちゃんも死なずに済んだし」
山羊さんは後腐れの無い笑顔を浮かべて、仲直りの握手を求めた。応じない手はない。両方が助かる為とはいえ千歳の時とは比べ物にならないヤラセだ。直ぐに許してくれる事の何と肝要な心か。
「仲直りは終わった? 終わった様なら、僕からも君に謝らなければいけない事がある」
「え? 謝られるような関係も関与もないでしょ」
「そういう訳にはいかないなあ。そこまでゲンガーを嫌っているのに僕は君にゲンガーを使ってしまった」
「ん?」
「君が大火事で燃えカスみたいになったのを助ける為にゲンガーの細胞を移植したと言っているんだ」
何を言っているのだろう、この先生は。
ちょっと理解が追いつかない。
「な、な…………?」
「あたしも何言ってるかさっぱりだけど。他人の細胞使って移植とか拒絶反応起きないの? じゃないとほら、色々探す意味がないじゃんか……ですか」
「僕にはタメ口で構わないよ。喋りにくいようならね。拒絶反応も試す目的で使ったんだ。いわば君は被検体だった。そして無事に成功し、君は完治してしまった。研究機関の人間ではないから詳しい事は言えないんだが、どうもゲンガーの細胞は所謂万能細胞に近い性質を持っていて、しかも拒否反応を起こさないらしい。ああ誰のを使ったとかは聞かないでくれよ。僕も誰なのかは興味ないから」
「つまり俺は……ゲンガーって事ですか?」
「テセウスの船のような話をしているのなら、自分で決めると良いよ。しかし今までの語り口からして君自身は変わっていない。良かったねえ、君の人格は別に侵食されていないよ。固有の人格があるカップルから生まれる確率は安く見積もっても五十兆分の一。僕が子供の頃はプールにバラバラにした時計を突っ込んで水の流れだけでまた時計が完成する確率とも呼ばれてたかな。そんな珍しい君は特別ゲンガーという事ではない。感謝するんだね」
「喜んでいいんですか?」
「それは任せるよ。少なくとも僕は更に興味を持った。あれだけの回復力があるなら『死』が嘘もあながち間違ってはいないなあと思ってしまったよ。ふふふ……あ、後始末は僕と助手が引き受けよう。君は引き続き残りの祭を楽しんでくれたまえ」
「センパイ! 大丈夫でしたかッ?」
その後、俺と山羊さんは千歳と遭遇。屋上は人がごった返し過ぎて入れなかったらしく、引き返した所で遭遇したようだ。本意でなく二人には迷惑を掛けてしまった。ドッペル団から状況を尋ねたかったが、それよりも優先して俺は二人を連れて校庭に出た。
「匠ちゃん。一体何処に行くのさ」
「星見祭って、きっかけは文化祭でカップルが星を見て過ごしたからって言われてるんだぞ。今は文化祭と分離したが、それでも俺が入学する前までは夜空の星を眺めながら外でご飯を食べて眠ってたとか何とか」
「てきとーですねっ」
「静かに過ごせる場所が思いつかなかったんだから仕方ないだろ」
人類とゲンガーの逃走など知る由もないとばかりに星は爛々と輝いている。自分達を見上げる存在などどちらでも構わないとばかりに、夜の帳を飾っている。
「本当にすまなかった。星見祭を滅茶苦茶にして」
「わ、悪いのはセンパイじゃありませんよッ?」
「そうそう。悪いのはあたしだよ。だから頑張らなきゃいけなかったんだよね」
「全くその通りだ」
山羊さんが軽く肘で俺の脇腹を突いた。
「ちょっと、否定してよ!」
「実際その通りだし。結果的には良かったけどな。偽物も炙り出せたし」
協力しろ、とはこれからも言うつもりはない。それはレイナだけで十分だ。二人には引き続き地獄の様な生活を送ってもらわなければいけない。きっと銀造先生や保護者ゲンガーは無事に殺害されて青義先生に遺体を回収される。これから学校に来る事もないのだろうが、『死』を嘘だと思っている人間はそんなの気にしない。まさか死んでしまって二度と会えない等とは思いもよらず、今日も明日もいつも通りに生き続ける。
これは二人に対する嫌がらせではない。二人だけにはまともでいてもらいたいという俺の願望だ。ゲンガーを殺す感覚は殺人と大差ない。それを味わえばきっと元には戻れなくなる。山本君のように苦しんでもらう方がずっとマシなのだ。分かって欲しい。
「今日、三人で寝ませんか?」
誰に言われるでもなく、千歳が提案した。拒否の声はない。否定しなかったという方が正しいか。このどさくさに紛れれば男子も女子もないだろう。皆が皆あの性犯罪者の話を肴に盛り上がる。恋人として、親友としての絆を深め合う。
俺達はそれに混じるだけ。
ドッペル団の二人に罪悪感こそあるが、特に朱莉は休みたいと願い出た俺の声を一蹴し無理やり参加させた。少し反省してほしいので頑としてでもこの誘いは受ける。レイナは単純にごめん。
「今日だけだぞ」
「今日が終われば祭も終わりだけどね」
本当にその通り。
死を回避できた事だし、最後は確認の意味も込めてもう一枚、山羊さんに使おう。マホさんの言葉を信じるなら、或は別の結末が見られるかもしれない。
―――テトラポットの犇めく砂場に俺は座っていた。
見覚えのない場所だ。俺の住む地域は内陸なので海なんてない。では一体ここは何処なのだろう。
「匠ちゃん」
変わらない呼び方、変わらない声音が背後から聞こえる。振り返ると山羊さんがテトラポットの先端に立っていた。いつもの制服姿ではなく、真っ白いワンピースをはためかせながら。およそ過去にみた彼女からは想像もつかぬ清楚さに、過去の俺は声を失っている。
「死に装束か?」
「違うわッ! ここに来てから黄泉ジョークが多くない? あたしも流石に突っ込むの疲れたよ」
「俺も疲れた。こんな遠くまで追う事になるとか想定外だし」
「……何で来たのさ」
「納得が行かなかったんだよ。俺にとっては世界の存亡にかかわるような問題よりも、お前がどうかなる方が我慢出来なかった。それだけだ」
片足立ちのままテトラポッドを移動して、俺の隣に座り込む山羊さん。俺は手持無沙汰の右腕をそれとなく握って、指を絡ませた。
「……全部捨てるなんて、良かったのかな。あたしが言うのもおかしいけど」
「俺は全部捨てるなんて言ってないぞ」
「え?」
「アイツ等の助けなんかなくたって、ゲンガーくらいどうにでもするさ。山羊さんの問題もな。おっと、お節介と言われようが引きずってでも取り掛かるぞ。お前には一度、徹底的に世話を焼かなきゃいけないと思ってたんだ」
「…………あはははッ! そっか。私、世話焼かれちゃうんだ。強制って事なら。こっちから頼んじゃおうかな」
「へえ、そうか。じゃあお前の家の問題も全部片づけて、ゲンガーもついでに全部滅ぼしてやる事がなくなったら―――改めて清いお付き合いをしようか」
「死にたがりの家畜にそんな事言っていいのかな? あたしはそういうの忘れないよ」
「望むところだ。死では二人を別てないと世界に教えてやらなきゃな」
山羊さんが恥ずかしそうに手を払って、テトラポットの外に降りた。
ここから先を見るのは、卑怯かな。
夢の中で目を閉じる。奇妙な気分だ。ここから先を見る権利を『自分』に渡すなんて。
「ずっと……言えなかったけど。あたしやっぱ、匠ちゃんの事好き! 好き、好き、だーい好き! 君が居てくれるお蔭で、あたしは生きてたいって思えるからッ! だから…………離れないで、欲しいな。そ、それが今の望みッ。だから………………叶えてよ。あたしのヒーロー」




