裏で起きていたこと・田淵洸平(1)
※注意
この章では、『真琴とナタリー、密かに活動する』の直後に起きていたことを描いています。
田淵洸平は、にこやかな表情で食器を洗っていた。
先ほど、久しぶりにお客が来た。それも、可愛らしい女の子だ。食べっぷりも非常にいい。見ていて気持ちが良かった。
料理は、味こそが命である。食べて美味しければ良いのだ。やれカロリーが、やれ糖質が、などと言う昨今の風潮は、どうにも好きになれない。
しかし、あの娘は違う。高カロリーの代表メニューとも言えるカツ丼を、あっという間に残さず平らげてくれた。
ただ、気になることがあった。なぜか、剛田薫に興味を持ったらしく色々と聞いてきた。剛田は、この街でもっとも危険な男である。ラエム教の大幹部ではあるが、信者たちですら恐れているような怪物だ。実際、剛田と会ったのを最後に行方不明になった者がいる。
出来ることなら、あんな可愛い娘が剛田の毒牙にかかることだけはあってほしくない。
そんなことを思いつつ、田淵は厨房の奥で食器を洗っていた。それゆえに、件の可愛い娘が店の外で起こした乱闘騒ぎには気づいていなかった。
食器を洗い終えた田淵は、厨房にて薬を飲む。医師から処方されているものだ。この店最後の客が、あんな娘で良かった……などと思っていた時、扉が開く。
入ってきたのは、異様な男だった。身長はさほど高くなく、百七十センチもないだろう。ただし、体の厚みはかなりのものだ。Tシャツにデニムパンツという格好だが、シャツの裾から覗く二の裾には硬球のような筋肉がうねっている。
顔は非常に彫りが深く、肌は浅黒い。髪は黒く、肩までの長さに揃えられている。この男、どう見ても日本人ではないだろう。となると、間違えて入って来てしまった外国人観光客だろうか。
田淵は溜息を吐いた。こういう外国人は、得てして日本語が通じなかったりする。まずは、そこを確かめ無くてはならない。おずおずと尋ねてみた。
「あのう、日本語わかりますか?」
「一応、わかるつもりだよ。まだ営業しているのかな? ここの料理を、是非とも味わってみたいのだがね」
流暢な日本語だ。発音も完璧である。田淵は、一瞬ポカンとなっていた。
しかし、慌てて答える。
「は。はい! 営業はしていますよ!」
「では、ラーメンとチャーハンをいただこうか」
「わかりました!」
答えた後、田淵は厨房へと駆け込む。客が来るなど、半年ぶりのことである。しかも、これで二人目だ。
急いで調理し、外国人の前に皿を出した。久しぶりのため、恐ろしく時間がかかった。実際、以前と比べ手際が悪くなっている。ここしばらく、客の相手をしたこともないし調理もしていない。時間がかかるのも仕方なかった。
もっとも、理由はそれだけではないのだが……。
暗い気持ちをどうにか押し殺し、外国人の方を見た。途端に愕然となる。
目を離していたのは、三分ほどだろうか。その間に、外国人の前に置かれていた器は空になっていたのだ。しかも、音はほとんど聞こえていなかった。
つまり、この男はものの三分ほどで、ラーメンとチャーハンを食べ終えていたのだ。しかも、音も立たずに平らげてしまった。
「早いですね」
思ったことが、そのまま口に出ていた。対する外国人は、クスリと笑う。
「まあね。今日は急いでいたがゆえに、普段より早い時間でいただいた。なかなか美味しかったよ。高級店では、決して出すことの出来ない味だ……おっと、皮肉に聞こえたなら申し訳ない。とにかく、美味かったよ」
「は、はあ。ありがとうございます」
「この味が、もうじき失われる……実に惜しい話だね」
「えっ?」
唖然となった。この外国人は、初対面のはずだ。にもかかわらず、なぜ店の事情を知っているのだろうか。
「この店は、あと数日で営業を終える。その後、君は来夢市を離れるのだよね」
外国人の方は、さらに語り続ける。その口から語られる言葉は、全て事実であった。田淵は、どうにか口を開く。
「あなたは、なぜそれを……」
「知っていることなら、他にもある。君の名は田淵洸平、かつては自衛隊にいた。父親が倒れ兄が自殺したため、除隊し店を継いだ」
「な、何で知ってるんですか?」
「もうひとつ、知っていることがある。君は、あと半年の命だ」
「えっ……」
「三ヶ月ほど前、君は病院に行き精密検査を受けた。結果、リンパ腺のガンであることが判明した。余命は、あと半年だと宣告された」
外国人の言葉は、全て事実である。田淵はガンだった。
初めは、ちょっとした異常を自覚したためだった。どうも体調が優れない、そのため病院にいった。健康診断を兼ねてのものであり、どうせ大したことはないだろう……と高をくくっていたのだが、精密検査の必要ありとの診断を受ける。
その一週間後、精密検査を受けた。結果は、リンパ腺のガンとのことだった。末期であり、もはや手の打ちようがないとも言われた。
まさか、そんなことまで知っていようとは……唖然となっている田淵に、外国人は話し続ける。
「こうなっては仕方ない……と、君は店をたたむことにした。もとより、店を続ける気などなくなりかけていたのだが、診断結果がそれを後押しした」
「あ、あなた何者なんです? なんで知ってるんですか?」
ようやく、田淵の口から言葉が出た。しかし、外国人の態度は冷たいものだった。
「俺が何者で、なぜ君の個人的情報を知っているのか……そんなことは、大した問題ではない。君にとって重要なのは、これから何をするか、ではないのかな」
「はい?」
思わず聞き返していた。
これから何をするか、そんなことは決まっている。余命いくばくもない以上、残された時間を穏やかに生きるしかない。
ようやく、己の運命を受け入れる覚悟が出来たところなのだ。それなのに今さら、面倒なことにかかわりたくはなかった。
そんな田淵に、外国人は容赦ない言葉を浴びせていく。
「田淵家は、古くからこの来夢市にて食堂を営業していた。君で四代目だったね。もっとも、本来ならば君が店を継ぐ予定ではなかった」
その通りだった。
幼い頃、田淵は近所の人たちから聞かされていた。ここはいい店だ、と。古くからの常連さんたちと話している時の父と母は、本当に楽しそうだった。
だが、店を継ぐのは兄の康介のはずだった。
「ところが、突然に状況が一変する。二十年ほど前、来夢市に猪狩寛水なる男が現れた。彼はとある宗教を興し、またたく間に広がっていった。君に説明の必要はないね。そう、ラエム教だ」
外国人は、淀みなく語っていく。そこには、一点の間違いもない。どうやって調べあげたのだろう……などと考えている間にも、話は進んでいく。
「ラエム教は、驚くべき早さで地域に浸透し根付いていった。猪狩氏がいかなる秘策を用いたのか、興味深いところだが……それについては、ひとまず置こう。肝心なのは、ラエム教が君の人生に及ぼした影響だ」
それも事実だった。
ラエム教は、いつの間にか町に広まっていた。初めは、サークル活動のようなもの程度にしか捉えていなかった。
ところが、僅かな期間で信者は増殖していく。まるで、疫病のようであった。気がつくと、近所の人の大半が信者になっていた。
「もともとミリタリー好きな少年だった田淵洸平くんは、成長すると自衛隊に入る。店を継ぐ気などはなかった。ところが、父親の孝蔵氏が病で倒れ、兄の康介氏が自殺したため、必然的に店を継がざるを得なくなった。そこで、君は初めて来夢市の怖さを思い知らされた」
そこで、外国人はいったん口を閉じた。田淵を、じっと見つめる。
不気味、としか言いようがなかった。その瞳からは闇を感じる。これまで見たこともないくらい、濃くて深い闇だ。田淵は目を逸らしたかった。が、目を離すことが出来なかった。
少しの間を置き、外国人は再び口を開く。
「さて、君にひとつ聞きたい。このまま、人生を終える気なのかい?」




