小林、トドメを刺す
突然、ドアの開く音がした。向こうの部屋から、誰かが入ってきたのだ。剛田か、あるいは木俣か。もっとも加納は、木俣であることを信じていた。
独房を出てみると、そこにいたのは予想通り木俣だった。白衣の男たちが倒れている通路を、ぎこちない歩き方で近づいて来る。
加納は、笑みを浮かべた。
「凄い顔だなあ。大丈夫かい?」
「この程度、何でもありませんよ」
何でもありませんよ、と言っているが……木俣の顔はひどいものだった。鼻は曲がっており、固まった血が口の周辺にこびりついている。顔のあちこちは晴れ上がり、髪はボサボサだ。白いワイシャツも、血に染まっていた。
見るも無惨な姿で荒い息を吐きながら、木俣はどうにか口を開く。
「あの、お母さんとの決着は?」
「きっちりつけたよ」
「そうでしたか……」
言った、木俣は壁にもたれかかった。立っているのもやっとらしい。だが、その顔が歪む。
近づいてきた加納は、何を思ったのかTシャツを脱いだ。そのTシャツをタオル代わりにし、木俣の顔を拭き始めたのだ。
「もう、しょうがない奴だなあ。僕のボディーガードを務める以上、もう少しマシな顔でいてもらいたいね。ま、僕は君のそんな顔も好きだけどさ」
そんなことを言って笑った加納だったが、次の瞬間に表情が一変した。
木俣が彼の腕を掴み、一気に抱き寄せる。さらに、その逞しい両腕で抱きしめたのだ──
「ひとりで勝手に飛び出して……俺がどれだけ心配したか、わかってるんですか?」
くぐもった声で言いながら、なおも強く抱きしめる。加納は何も言えず、そっとうつむいた。
「なんで、小林から連絡があった時点で計画を話してくれなかったんてすか?」
「仕方ないだろ。あの部屋は盗聴されてたんだから」
「それでも、スマホにメッセージよこすくらいは出来たでしょうが」
「だって、木俣は演技が下手だもん。あの時にメッセージ送ったら、計画がバレちゃうじゃんか」
ぐうの音も出ない答えに、木俣は思わず唇を噛み締める。確かに、加納の言う通りだった。
そんな木俣に、加納はなおも口撃を続ける。
「それにさ、あん時の木俣は怒ってたじゃん。あなたは本当に合理的なんですね、とか、そんな言い方はないんじゃないですか、とかさあ。あれは傷ついたな」
拗ねるような口調だった。口をとがらせ、ツンとした表情を浮かべている。他の者の前では、絶対に見せない顔だ。木俣はうろたえ、しどもどろになっていた。怪物の剛田を殴り倒した男と同一人物とは思えない姿だった。
「あ、あれは……その、あの……」
口ごもり下を向く木俣に対し、加納はさらに拗ねた表情で迫る。
「僕のこと、ちょっと嫌いになったんじゃないの?」
途端に、木俣は顔を上げた。
「あなたを嫌いになれるものなら、なりたいですよ!」
いきなり凄まじい形相で叫ぶ。今度は、加納の方が圧倒され黙り込んでいた。
「時々、あなたには付いていけないものを感じます。あなたは天才だ。目に映る景色は、俺のような凡人とはまるで違うものです。俺のようなバカが、あなたのそばにいていいのか? 俺は、あなたに相応しい男なのか? と、常に悩んでいるんですよ」
木俣は、震える声で訴える。これまで、長いこと胸中で燻っていた思い……それを今、加納に向けて吐き出したのだ。
対する加納は、神妙な面持ちで彼の言葉を聞いている。
「しかし、あなたからは離れられないんです。あなたのいない生活をするくらいなら、死んだ方がマシなんですよ。あなたこそが、俺の生きる目的なんです……」
そこで、加納は微笑んだ。
「それは、僕も同じだよ。僕には、君が必要なんだ。君がそばにいてくれるから、僕は人間でいられる気がする」
「もし神が目の前に現れ、どんな願いでも叶えてくれるというなら……あなたに、俺より一分でもいいから長く生きて欲しい。俺の願いは、それだけです」
・・・
どのくらいの時間が経ったのだろう。
やがて、剛田は目を開けた。身体の節々が痛む。アバラが数本いかれた上、鼻も曲がっていた。前歯に至っては、ほぼ全損状態である。思わず、ペッと唾を吐いた。
「クソが……あんな奴にやられるとは」
呟きながら、どうにか立ち上がる。あのふたりを探すのだ。このままにしてはおけない。必ずや、加納と木俣に復讐する。
その時、コツコツと足音が聞こえてきた。誰かが、こちらに近づいてきている。
「お、お前は……」
見覚えのない青年が、目の前に立っていた。青年は、恭しい態度で頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私、小林綾人です」
「小林だと?」
「そうです。木俣さんは、本当に甘い人ですね。あんたを生かしておいても、一文の得にもならない。そもそも、ステゴロなんざ何の価値もないのに。そんなことをわざわざやっちまうあたりが、あの人の短所なのでしょうな。同時に、長所でもあるのかも知れませんがね」
「何だと……」
「でもね、私はあの人みたいに甘くありません。あんたが死ねば、ラエム教にも相当のダメージになりますからね。てなわけで、ここで死んでもらいます」
言うと同時に、小林は拳銃を抜く。サイレンサー付きのものだ。その拳銃を構え、剛田をまっすぐ見つめた。
「ひとつだけ言わせてもらいます。私はね、あなたのことは嫌いじゃありません。むしろ、尊敬していますよ。文字通り無一物の状態から、こんな帝国を作り上げちまった……大した人です。あなたがいなければ、ラエム教もここまで巨大な組織にはならなかったでしょうね。出来れば、違う形で会いたかった」
言い終えた直後、何のためらいもなくトリガーを引いた。
銃声は静かなものだった。一瞬の間を置き、剛田の巨体がぐらりと揺れる。
切り倒された大木のごとき勢いで、バタリと倒れた。その顔には、無念の表情が浮かんでいる。俺は、まだ死ねないんだ……とでも言いたげだった。
小林は、そんな剛田を冷酷な表情で見下ろす。だが、それは一瞬であった。彼は、すぐさまその場を離れていく。
奥の扉をそっと開けると、ふたりの抱き合っている姿が目に入った。どちらも、ひどく疲れているようだ。小林が入ってきたことにも、気付いていない。
小林は、わざとらしくエヘンと咳払いをした。
「おふたりさん、そろそろ帰りませんか?」
その途端、ふたりはパッと離れる。木俣は、凄まじい形相で小林を睨みながら近づいていった。
「小林……てめえにはな、言いたいことが山ほどある」
言いながら、小林に手を伸ばす。が、よろけて崩れ落ちた。床に両手を着き、顔を歪める。
小林は苦笑し、彼に近づいた。肩を貸し、どうにか立ち上がらせる。
「ほらほら、ろくに歩けもしないじゃないですか。説教でしたら、身体が治ってからにしましょう。今は、とりあえず病院に行きますよ」
「剛田はどうしてる?」
顔をしかめつつ、木俣は尋ねた。小林は、冷めた表情で答える。
「死にましたよ。私がトドメ刺しました」
「そうか」
「どうしたんです? 自分でトドメ刺したかったんですか?」
「別に、そういうわけじゃねえ」
木俣は、そっけない口調で答えた。その時、加納が口を挟む。
「そういえば、外は大変な騒ぎになっているそうだね。なんでも、通り魔が通行人にマシンガンを乱射したとか聞いたよ」
そこで、木俣はハッとした表情を浮かべた。何か思いついたようだ。
「その通り魔たが……小林、お前の仕込みか?」
「いいえ、違いますよ。だいたい、私なら教祖の猪狩を撃ち殺してもらいますよ」
笑いながら、小林はかぶりを振った。
「とにかく、今は早く病院に行きましょう。このままだと、木俣さんがフランケンみたいな顔になっちまいますよ」
「君は知らないようだね。フランケンシュタインとは、怪物の名前ではない。怪物を作った博士の名前なのさ」
加納が、すました表情で言った。すると、小林はクスッと笑う。
「さすが加納さん。後学のために聞きたいんですがね、怪物の本当の名前は何というのです?」
「あの怪物に、名前はない。親も同然である創造主フランケンシュタインに名前すら与えられず見捨てられた、哀れなる子供なのさ」




