第四十一話 目覚め
阿修羅は記憶の旅から戻り、『黄金の天車』の一室で目を覚ます。
ぼやけた視界がだんだんと輪郭を滲ませていく。耳にはずっと同じ間隔で低音が響いている。まるで心音のように自らと同化していたその音が、今は少しうるさく感じた。長い睫毛の隙間から、真っ白な蓮の華が見える。なんだろう。久しぶりに開けられた瞼を二度三度と瞬かせると、それは天井に彩られた絵だと気づいた。
「ここは……」
阿修羅はゆっくりと、呼吸をするように声を出してみた。もう随分声を出していなかった気がする。少し喉に引っかかったような声が、唇から漏れていった。
「阿修羅王! 目が覚めたのですか?」
長い銀髪、海のような碧眼の青年が目の前に現れた。それはずっと見知った者だった。
「サティ……、白龍……」
「いきなり起きてはいけません。今、お水を」
阿修羅は体に力を入れようとするが、脳の命令を体はすぐには受け付けなかった。不器用に起き上がる生まれたての子馬のように、阿修羅はベッドで手足を震わせた。
「私はどれくらい眠っていたのだ」
阿修羅の体を支え、水を飲ませる白龍。どれほどに心配したのだろうか、両方の目には涙を溜めていた。
「3日ほどです。今、我々は『黄金の天車』で亜空間を彷徨っています。双子の工匠のおかげで誰からも場所を把握されていません」
「そうか……。白龍、リュージュを呼んでくれ。おまえ達に話がある」
水を飲み干すと、ようやく頭と体と心が一致団結してくれたようだ。阿修羅は腕を上げ背伸びをすると、白龍にそう告げた。絶え間なく響く『黄金の天車』の動力音が、ほんの少しトーンを上げた気がした。
阿修羅が三日間眠り続けていた部屋は、天車の五階に位置する大きな部屋だった。最上階の元クベーラ達の部屋は、戦闘で何もなくなっていたため、寝室を伴う部屋としては、ここが最も広かった。窓の向こうには、黒光りする砲台が設置され、その向こうには亜空間特有の様々な色に彩られた空間が流れ、時々きらりと瞬く光が見えた。
「そんなこと、信じたくない……」
全てを話し終えた阿修羅の前で、がっくりと肩を落としたリュージュが声を絞り出した。
「おまえの希望はどうあれ、本当のことだ」
目覚めた阿修羅は、ぐっと大人びて感じた。今までの無謀が売りの、少し子供っぽいところが消えたように見える。二千年、帝釈天と戦っていた果てしない年月は彼女を確実に大人にさせていた。それを思い出したことで、人格もその頃に戻ってしまったのだろうか。
一刀両断されたリュージュは、さらに項垂れた。
「それでは、今、阿修羅琴はどこにあるのですか?」
白龍は自らの前々世のことなど全く覚えていなかった。だが、自分の望みを叶え、阿修羅の元に降りられたことに誇りを感じていた。たとえ、馬であっても。
「ずっと……。私と共にあった。これだよ」
そう言うと、阿修羅は胸元に手をやった。そこには白銀に輝く瓔珞が揺れていた。阿修羅の首の周りで揺れる瓔珞は金色なのだが、この一つだけは白銀だった。そして今までの幾たびの戦いでも、この瓔珞だけは傷つくことすらなかった。
「何本かの瓔珞の中で、これだけは異質だった。私もそれを感じてはいたが、まさかこれがあの阿修羅琴だったとはな。もう二度と使うつもりはないが」
阿修羅は指でくるくると瓔珞を撫でると、輪は首から外れ、ピンっと弾ける音ともに白銀の竪琴が現れた。底が卵のような形のフレームは艶のある白銀。赤や青の宝玉で彩られ、銀の弦は妖しく輝いている。
「それでは、再びこの琴を弾いて、皆の記憶を呼び戻すことはしないのですか? カルマンやトバシュ、カルラも」
「必要ない」
白龍の言葉に被せ、阿修羅はきっぱりと言った。その言葉には強い意志が見え、誰の反論も許さない響きがした。
「それよりも……。なぜ帝釈天は思い出したかだ。あいつにも琴の音は届いたはずなのに」
「これからどうするんだ。このまま隠れていても仕方ないだろう」
ようやく顔を上げたリュージュが不貞腐れた体で言う。彼は白龍や双子たちと違って天界人ではなかったようだ。何となくそのことに疎外感を感じているのかもしれない。
「善見城に攻め込む。もう何千年も戦うのはごめんだ。一気にカタをつける」
帝釈天は阿修羅を見失った後、自分の根城である善見城に入っている。そこを梵天率いる天界軍が取り囲んでいるが、強力な防御を誇る善見城を攻めるのは容易ではない。加えて帝釈天の直属の部下であった、四天王の残りの三王も、結局帝釈天に付いてしまった。どう足掻いても梵天が敵う相手ではない。
「カルマン、トバシュを呼んできてくれ。彼らに頼みたいことがある」
「承知しました」
白龍が席を立つと、部屋には阿修羅とリュージュだけになった。なんとなく居心地の悪さを感じたリュージュは、目を空に泳がせたまま咳ばらいを一つした。
「どうした? さっきから機嫌が悪そうだな。私の前々世にがっかりしたか?」
落ち着いた眼差しで阿修羅がリュージュを見つめている。傷だらけだった服は既に着替えられ、束ねた黒髪が肩に揺れている。リュージュの治療のお陰で、肌もいつも通りの艶々で眩しいほどだ。既に竪琴は再び瓔珞に姿を変え、その吸い付くような肌の上で静かに光を揺蕩させていた。
「そ、そんなことはない! そりゃあ、ちょっとはショックだった。帝釈天と、その……」
「婚約していたことか」
臆面もなくそう言い放たれると、胸がキリキリと痛む。仏陀は知っていたという。お師匠様はどうそれを受け入れたんだろう。そりゃあ、過去のことなんてどうしようもないし、俺だって、前世では色々あったから……。などとどうでもいいことが頭を巡った。それを振り払うように頭を振る。後ろで束ねた髪が右に左に揺れた。
「いや、おまえは男を見る目がないんだ。絶対!」
「は? なんだ、それは? 何が言いたい?」
阿修羅がむっとした表情でリュージュを睨みつける。その表情を見ていると、いつもの阿修羅のようにも感じた。目が覚めてから、どこか遠くへ行ってしまったような彼女の様子にリュージュは焦りも感じていた。やっと少しだけでも思いが通じた。そう思っていたところだったのに。
「次は……、次は俺のこと……」
「あ?」
無垢な顔してリュージュの表情を見ようと覗き込む。いい歳をした男がおたおたとしてしまう。階段を上がる賑やかな足音が、カルマンの関西弁とともに聞こえてきた。もう白龍達が来てしまう。
「次は俺に惚れりょよ!」
「え? あは、あははは!」
肝心なところで盛大に噛みました。笑い転げる阿修羅の様子にぽかんと口を開け、扉の前で立ち止まる白龍達。リュージュは真っ赤になった顔を両手で覆った。
つづく
~インド神話における阿修羅と帝釈天の長きに渡る戦について~
この伝説は古代インド神話で語られた逸話です。阿修羅の名は、古代神話のアスラに漢字を当てはめたものです。
それによると、帝釈天と戦うことになった発端は、阿修羅(男)の娘、舎脂を帝釈天が誘拐し凌辱したことです。帝釈天って、本当にこういう人だったんですね(笑)。怒った阿修羅は兵を興し、帝釈天に挑みます。その戦いは何千年も何億年も果てしなく続きました。
(この物語を後に仏教が取り入れ、数々の教訓や言葉になっています。ご興味のある方は、調べてみてください。書籍なども出ています。)
本作「輪廻転生~」では、阿修羅が女性であるという視点で書いています。そのためストーリーに沿った内容で描かせていただきました。ご了解いただきますようお願いします。




