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第三十九話 ~記憶の旅編 8~


 尻餅をついたまま動けないカルラは、目の前にいる長身の帝釈天を見上げている。彼の足元にはぐったりと動かないサティアが横たわっていた。帝釈天の黄金のマントが風に翻ると、その向こうで怒りに震える阿修羅の姿が見えた。このままではいけない。カルラはおたおたおと四つん這いになると、そこから足の震えを抑えながら立ち上がった。


「おまえに金剛杵をお見舞いするなど、私もしたくはないのだ。だから、考え直してくれ。もう一度、私と……」


 帝釈天は阿修羅に向かって再度懇願した。だが、最強の武器を持っての懇願など、脅しにしか過ぎない。そして阿修羅はそんな脅しを最も嫌った。


「私の部下に手を出した所で、おまえは終わったよ。帝釈天、(いかづち)を呼びたければ呼べ」

「そうか……。それでは仕方がない。阿修羅、おまえのその高すぎる自尊心(プライド)、嫌いじゃなかったぞ」


 そう言うが早いか、帝釈天が雷雲を呼ぼうと金剛杵を天に翳す。だがその時、ふいに両足を取られ、前につんのめった。


「なんだ!?」

「カルラ!」


 背後からカルラが両脚にタックルしたのだ。帝釈天の巨体はたまらず転倒する。ちょうど足元に伏していたサティアを蹴る格好になった。


「う……!」


 その衝撃でサティアの意識が戻った。頭を振りながら体を起こす。


「サティア、気が付いたか?! カルラ、よくやった。急げ! 今の内だ!」


 阿修羅が声をかけると、カルラがサティアに肩を貸して阿修羅のもとへと走って来た。入れ替わるようにシュリーが起き上がった帝釈天の所へ駆け寄る。


「帝釈天様! 大丈夫ですか?」

「くそう、許さん!」


 そう叫んで、再び金剛杵で天を突く。同時に阿修羅は胸の前で両手を合わせた。雷雲が善見城の夜空を覆う。雷雲が雨を呼び、風雨吹きすさび、嵐の様相だ。城内からは何事かと招待客の神々が顔を覗かせ始めた。


 この雷雲は金剛杵のためか、それとも阿修羅の術なのか。


「ノウマクサマンダボダナンラタンラタトバランタン」


 強烈な稲光が地を目掛けた刹那、阿修羅と帝釈天を別け隔てるかのごとく大地に亀裂が走った。


「うわああ!」


 阿修羅が放ったのは彼女の『真言(マントラ)』である。戦神の持つ最強の力であり、最強のマントラだ。

 この規格外の威力は凄まじく、トウリ天に留まらず天界の半分を闇に落した。



 阿修羅は一族と自分に付き従う兵士、従者とともに天界から脱出した。そして一族の力を借りて天界と人間界の間に『修羅界』を創造し、自らを王と名乗る。


 ここに帝釈天率いる天界と阿修羅率いる修羅界の永劫に続く戦いの火ぶたが切って落とされた。


 帝釈天の天界軍は、四天王を始めとして一億。対する阿修羅に付いた軍は一千万という。だが、討たれても甦る彼らの戦いは不毛のまま、瞬く間に二千年の時が過ぎた。





 緑の森の中に大きく聳える真っ白な宮殿。吹き抜けの掃き出し窓の傍で、阿修羅はぼんやりと月を見ていた。修羅界の月は雲に隠れて弱い光を揺蕩(たゆた)わせるだけ。この世界を覆う深い雲は、天界から身を隠すためのものだった。

 天界ではドレープを湛えたロングドレスを着ることもあったが、ここに来てからはそんな姿を見る時はなかった。戦場では常に鎧に身を固め、この宮殿の中でも丈の短いワンピースのような戦闘服を着用していた。流れるような黒髪も解かれることなく、常にポニーテールのように束ねられていた。


「阿修羅王様。梵天様から面会の打診がございました」


 来る日も来る日も戦場を翔ける。そんなことがもう二千年も続いている。梵天からの面会も何十回と数えていたが、何の解決にも至っていない。副官のサティアは定時報告ばりに淡々と伝えている。


「ああ? もう会っても時間の無駄なのだがな」


 ため息交じりに阿修羅が応じた。細い指先で胸を彩る瓔珞に触れる。


「今回は夜魔天殿もご一緒とのことです」

「夜魔天殿が? ふうん。何かいい提案でもあるのかな」


 地獄界の夜魔天は、ほとんどの神々が帝釈天に付くなか、唯一阿修羅側についた神である。梵天は中立の立場を取っていて、何度も二人の仲裁をすべく足を運んでいた。


 だが、あくまで帝釈天の要求は阿修羅と竪琴。それが変わらない限り、この戦は終わることはない。天界のみならず、人間界にすら影響を期すほどの戦になってしまった以上、帝釈天はその要求以外は飲めなかった。阿修羅琴を手に入れて全てを元通りにする。それが彼に残された唯一の望みだった。


帝釈天(あのバカ)は、阿修羅琴のことをわかっていない。望みを叶える魔法の竪琴と信じている」

「違うのですか?」


 独り言のように呟いた言葉に、サティアが反応する。阿修羅は視線を窓の外の闇に向けたまま、吐き捨てるように応えた。


「そんな行儀の良い竪琴ではない。人の心を操る、魔の竪琴だ」





 梵天が阿修羅の根城である宮殿を訪ねてきた。この日は何十年ぶりかの休戦日となっていた。何かお祝いごとがあるらしい。阿修羅達の戦が始まってから、そんな理由での休戦は初めてだった。


「お元気そうで何よりです」


 梵天は天界の創造神である。平和な時代は滅多なことで姿を現さず、兜率天の宮で静かに暮らしていた。政はもっぱら帝釈天に任せていたのだが、阿修羅との戦が始まってからはそうもいかない。自らのゆったりとした毎日が奪われ、梵天にとってもさっさとこの戦を終結させたいのだ。元はと言えば痴話喧嘩のようなものだ。それが六界を巻き込む大戦争になり、双方とも引けなくなっている。


「阿修羅王、今回は提案があるのだよ」


 梵天ともにやってきた夜魔天は、いつもより緊張した面持ちだ。唯一阿修羅の味方をしてくれた夜魔天は、戦に出ることはなかったが、影に日向に阿修羅達を支援してくれていた。彼の言葉を無下にすることはできない。梵天も考えたな。と阿修羅は思う。


「どのようなことかな。私とて、ただ悪戯に戦を続けているわけではない」

「存じてますとも」


 夜魔天はそう言って、いつもの柔らかな笑みを浮かべると、提案について話し始めた。それは阿修羅にとっても想像もしていなかった奇策だった。

 




つづく


次回で「記憶の旅編」は終了です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一気読みをしてしまった。 阿修羅と帝釈天との間にこんな因縁があったとは……。 仏陀はこれを知って阿修羅を守ろうとしたという事だろう。 愛する人だから、守りたいに決まっている。 しかし……帝…
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