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第三十四話 ~記憶の旅編 3~

 

 阿修羅が副官のサティアから聞かされたのは、帝釈天の不義だった。サティアはこの遠征の間が最も危険と思い、戦の間も諜報の手を緩めなかった。彼の子飼いの部下に探らせたのだ。案の定、帝釈天は行動に出た。

 元々戦の前から良からぬ噂が漏れ聞こえていた。阿修羅の耳には届かぬよう慎重にしていたが、サティアは裏情報として入手していた。


「帝釈天には、今ご執心の女神がおられます。阿修羅様ご不在の間、ずっとご一緒だったようです」


 帝釈天への戦勝報告に行く直前、耳にしたこの情報は、阿修羅に少なからず衝撃をもたらした。

 もちろん帝釈天の性癖は十分承知である。気に入った女神や姫は何があっても自分の物にする。しかも何人もの相手と同時進行だ。時には美男まで混ざっている雑食ぶり。特に他人の物を奪うことにたまらなく発情するらしい。略奪、凌辱が大の好物だった。


 だからこそ、何度となく繰り返された奴からの求愛を退けてきた。毎日のように華を送り、文をしたため、詩を贈る。だがそんなことでは心を動かさない阿修羅。どうせ一時の気の迷い。遊びに付き合うつもりはないと冷たく突っぱねた。


 阿修羅は帝釈天と初めて会った日から毎日のように求愛されていた日々を思い返した。





 帝釈天が阿修羅を見初めたのは今から数千年前にさかのぼる。

 その頃、天界を二分する大戦争が起こっていた。多くの神が刃に倒れ、戦が泥沼に陥った時、阿修羅は戦神として初めて天界に姿を現した。そしてたった一人でその戦を鎮めてしまう。血まみれの姿を晒し、夥しい躯の上で恍惚の表情で佇む阿修羅。その姿を見た瞬間から、帝釈天は恋に落ちた。


 それから毎日のように続けられた求愛は(ことごと)く退けられる。だが帝釈天は諦めなかった。手に入らぬものにほど燃え上がるものだ。

 どうしたら振り向いてくれるのかと阿修羅に迫る。自分の素行が許せぬのなら、今までの行いを改めよう。全ての関りを断ち、おまえのためだけにある事を誓おう。事実、帝釈天は身の回りを綺麗にした。


 しかしそれでも阿修羅からは色よい返事をもらえない。帝釈天は惚れやすいが飽きっぽいとんでもない奴だ。手に入れた瞬間で気持ちが萎え、すぐに次に手を出すのが常套手段。阿修羅の警戒が解かれることはなかった。


 ある日、帝釈天がいつものように阿修羅の館を訪ねてきた。既に阿修羅は天界軍の将軍の地位にある。普通なら上下関係は帝釈天が上だ。だが、阿修羅は帝釈天のたっての願いでその職にある。二人の関係は同等、恋愛に関しては完全に帝釈天が下だった。


「阿修羅。私は今からそなたに誓いを立てる。どうか受け入れて欲しい」


 帝釈天はその並々ならぬ決意を表すように、神との謁見で用いるような正装で現れた。冠のかわりに黄金の輪を頭に嵌め、光沢のある真っ白な衣には装飾はなく、ただ藍色の帯をきりりと締めあげている。


「凝りぬ奴だな。私に何を誓うというのだ」


 阿修羅はその様子にも大して興味をしめさず、鼻で笑うようにそう応えた。対する帝釈天は、阿修羅の冷たい言葉に動じる様子もなく、膝を折ると澱みなく言葉を紡いだ。


「これから十二年の間、誰とも結ばないと誓います。触れもせず。言葉もかけず。見ることもせず。想うこともせずに過ごします」

「ほお」


 そう相槌を打ったものの、彼の言葉を全く信じていなかった。この男にそんなことができるはずもない。


「そして十二年後にそれが成された後、さらに一年、私にそなただけを想うことをお許しいただきたい。そなたには指一本ふれませぬ」


 帝釈天は十二年の間、他の女人はもちろん阿修羅すら見ないという。そしてまたさらに一年は、阿修羅を想うだけに費やす。この数字は(いにしえ)からの理に沿っている。


「で? その後はどうする?」


 阿修羅は少し興味を持って尋ねた。帝釈天は成功の予感を感じる。


「そなたに求愛いたします。毎日華を贈り、文を携え、愛の詩を詠みます。もしそれで私の想いが通じれば……」


「ふうん。だが命の長いおまえだ。十三年など、あっという間であろう」

「恋焦がれる男にとっては、決して短いものではございません。しかし、それで足りぬというならば、さらに十三年、私は沈黙していましょう」


 (かしず)いた姿勢で帝釈天は答えた。阿修羅は沈黙のまま、男の姿を見下ろす。この男は本当にそれを成し遂げられるとでも思っているのだろうか? 十三年? 一年も持たないのでないか? まあ良い。好きにさせてやる。


「誰がおまえの証をたてる? 私の部下はおまえを四六時中見張っているほど暇ではない」

「梵天様にお願いしております」

「梵天!?」


 阿修羅は思わず声を上げた。天界の創造主。この世界にあって帝釈天よりも唯一上位者である神である。確かに梵天であれば、帝釈天を四六時中見張る術をいくらでも持っているだろう。


「いいだろう。やってみるがいい。ただし一つ条件がある」


 帝釈天は、ゆっくりと頭を上げ、阿修羅の赤い瞳を見た。


「何なりと」

「おまえが誓いを破ったら、その金の輪を外せ」


 金の輪。それは王位を示すものだ。

 そう言い放つと、阿修羅は踵を返して自室へと戻って行った。後に残った帝釈天は再度首を垂れ、足音が消えるまで微動だにしなかった。




つづく


※天界での一日は人間界での二百年に相当する。

※12と1の数字について

マハーバーラタでは、罪を犯した一族が十二年間都から追放され、その後の一年間、姿を偽り生活することを罰とされた。他にも十二と十三にまつわる故事は多数存在する。



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