第二十六話 癒しの力
クベーラ王との戦いも最後が見えてきた。まだ余裕のある阿修羅は白龍とともに宙を舞い、一直線にクベーラ目掛けて突っ込んで行く。その目は確実に相手の動きを読み、振りかざした三叉槍を下から払いあげた。
力ではクベーラの方が格段に上だったろう。だが、阿修羅は白龍の脚を借りた。前進に向けていた力を阿修羅が槍の柄に届いた瞬間、上へと向ける。二人分の力を持ってクベーラ王の三叉槍を上へと払ったのだ。
クベーラ王の栗毛がその力を分断できていればこの策も叶わなかったろう。実際、先ほどまでは、何度となく試みたもののうまく殺されていた。しかし栗毛の馬は既に疲労していた。その動きについていけなかった。
阿修羅と白龍の阿吽の呼吸はここでも炸裂した。抜けるような青空にクベーラの獲物が舞う。雌雄は決した。そこにいた誰もがそう疑わなかった。一人を除いて。
空へと跳んだ三叉槍に阿修羅が目をやったのは一瞬だ。その直後、視線をクベーラ王に戻した時、阿修羅は戦慄した。武器を失ったクベーラ王は胸の前で両手を組み、印を結んでいた。阿修羅が突っ込んで来た時から、もう決めていたのかもしれない。
「オン ベイシラマナヤ ……」
「いかん、白りゅ……」
白龍も慌ててその場を離れようと翼をすぼめる。落ちることが最も速いと思ったからだ。
「ソワカ!」
だが、間に合わなかった。クベーラ王が真言を唱え終わるや否や、ものすごい爆発が起きた。その爆音でその場にいた兵士たちは瞬間耳が聞こえなくなり、沸き上がった炎と爆風で髪や鎧を焼きながら飛ばされた。
「うわああ!!」
もっとも間近にいた阿修羅が無事なわけはない。白龍とともにまともに爆発を受けた。咄嗟に張ったオーラの防御のおかげで、致命傷にはならなかったが、白龍の翼は片方がもげかけ、阿修羅も傷だらけ。束ねた髪が爆風とともに解かれ、焦げ臭い匂いがした。
「しまった……」
阿修羅は腕を見て呟く。トバシュの『癒しの腕輪』(注:ナースのお仕事)がその腕になかった。両腕で思わず顔を庇った時、飛ばされたようだ。
「白龍! 今すぐ最上階へ降りろ!」
「しかし!」
「命令だ。翼無しでは戦えない!」
――くそ! リュージュさんがいれば!
白龍は悔しさに歯ぎしりしながら、阿修羅を最上階へと下ろす。そこへ栗毛の馬を操るクベーラ王が迫る。
「は、ははは! 真言も唱えられない貴様など、我らの敵ではないのだ! もう一度お見舞いしてやる!」
――マントラ……! なんだ、なんか頭の中がチリチリする!
ここにいては最上階で戦う修羅王軍を巻き添えにする! 阿修羅はすぐ横で怯えている騎馬兵を引きずり下ろし、自らが跨ると床を蹴り空へと飛んだ。
「カルマン! 腕輪はまだあるのか!? 私が阿修羅のところへ持って行く、よこせ!」
機関室で、阿修羅の様子を見た仏陀が叫ぶ。もし腕輪がないのであれば、自分が行って傷を癒す。リュージュほどの力はないが、彼も癒しの力を持っていた。
「ありまっせ! ちょっと待ってんか!」
カルマンはそう言って仏陀に近づくと不自然に手を伸ばした。だが、阿修羅のことで頭が一杯な仏陀は何も気が付かなかった。
「え……。嘘……だ?」
不意に仏陀はその場に崩れ落ちた。そこには手にチカチカと光る物を持ったカルマンが立っていた。
「兄者!?」
「心配すんな、気絶してるだけや。阿修羅はんに頼まれたんや。助けに来ようとしたら絶対阻止してくれて。代わりに俺が『癒しの腕輪』を届けてくるわ!」
「だめだ! 兄者はここにおってくれ。ワシが行く!」
画してトバシュとクルルが腕輪を持って最上階へとひた走ることとなった。
「急いで、トバシュ! 阿修羅王が!」
「わかっとるよ! ちゃんと掴っとるんじゃぞ!」
最上階の階段が見えてきた。その上には真っ青な空が見える。同時に大勢の兵士たちの叫び声と激しく鳴り響く金属音が絶え間なく聴こえてくる。
そしてついにトバシュは最後の階段を昇り切った。
「着いた! 阿修羅王はどこだ!?」
「あそこだよ、トバシュ! 白龍もあそこに……」
白龍の癒しの腕輪は健在だ。しかしもげかけた翼はそんなに早くは繋がらない。
「よし、クルル、阿修羅王のところへ行ってくれ! ワシは白龍さんの治療をする」
「任せて!」
クルルは既に体に取り付けていた腕輪とともに空へ舞い上がる。トバシュの傍を離れたとたん澄んだ水色の羽が姿を現し、阿修羅がクベーラと戦う所へと飛んだ。阿修羅は何とかクベーラ王の攻撃を躱していたが、既に自身もそして騎馬の体力も底をつきかけていた。
「あれはクルル!? どういうことですか?!」
その様子を見た白龍がよろけながら立ち上がる。そこへトバシュが声をかけた。
「白龍さん。トバシュです。ちょっとじっとしとってください。今、翼を縫います」
「トバシュさん!? 助けに来てくれたのですか?」
何もないところに声をかける白龍。だが、鼻の利く彼には、トバシュがそこにいるのはわかった。そして涙が出るほど嬉しかった。そのすぐあと、それは痛みに変わったが。
トバシュがデカい針とヒモのような糸で、ぐいぐいと翼を縫い出した。荒療治ではあるが、無理やりにでもくっつけたほうが治りが早いのである。
「阿修羅王!」
肩で息をしながらも、眼差しだけはまだ強くクベーラ王を睨みつけている。そんな彼女の肩に、水色の綺麗な翼を持った小鳥が飛んできてふわりと乗った。
「クルル、何しに来た。死にたいのか」
一瞥もせず、阿修羅はそう言う。その目の先には、今にも印を結びそうなクベーラがいた。真言を発するには、それ相応のエネルギーが必要だ。シュリーの時もそうだったが、何度も打つことはいくら神と言えど無理がある。クベーラも既に3発の真言を放っている。
本来ならこの隙にこそ攻撃したいのだが、自分にも騎馬にも余力がない。こうしてにらみつけているしかなかった。いや、実はそれだけではなかったのだが。
「ほら、これを付けて。今すぐに!」
「クルル! 助かる!」
阿修羅は目の端に映った腕輪に心底安堵する。クルルの体からすぐさま外すと、自らの腕に取り付けた。途端に痛みが消えた気がする。もちろんそれほどの即効性はない。だが、気の持ちようというものだ。
「クルル、離れていろ。ここからだ。本番は」
クルルが翼をはためかせ、天車の方へ戻って行ったのを確かめると、阿修羅はふうっと息を吐いた。準備はできた。
――――さあ、撃ってこい。おまえの真言を。
阿修羅は右手の剣を鞘へと納め、天馬の手綱をぐっと握った。そして真っ赤な双眸を射るように敵へ向けると、右の口角を上げた。
つづく




