第十五話 思い通りにならないもの
クベーラ王は後に夜叉王とも呼ばれる神である。その名で呼ばれるのは、今回の夜叉達を束ねて起こした戦によりその名がつく。元はと言えば、天界の北の門を守る四天王の一人だった。
それがなぜ、このようは暴挙に出たのか。唆したのは、言うまでもなく、天界ナンバー2の帝釈天だ。
帝釈天とクベーラ王は、元々天界軍の上司と部下。妻も共有したぐらいなので、縁は深い。しかし、クベーラも帝釈天が欲しがっている『阿修羅琴』のことを何も知らなかった。
「あんた、阿修羅琴って価値のあるものなの? あの小娘の持ち物だろう?」
自室でシュリーとくつろぐクベーラ。天蓋のキングサイズベットの上でことを終えたばかりである。久しぶりに極上の柔肌に触れることができ、クベーラは上機嫌だ。
「帝釈天殿がご所望だ。俺は全く何なのか知らんのだよ。でも、阿修羅琴さえあれば、天界も修羅界も六界全てを意のままに操れるとそう仰っていた」
「ふううん。帝釈天様はそんなに権力が欲しいのかね。今でも十分高い地位にいらっしゃるのに」
神の欲望は果てしない。一つが叶えば次はこれ、次はあれと際限がなく続く。帝釈天の思い通りにならないものはほとんどない。財力はもちろん、権力も女も思いのままだ。
「帝釈天様にも思い通りにならんものがおありなのだろう」
クベーラはシュリーの手前言葉を濁したが、それが何かはわかっていた。言葉にされたことはないが、帝釈天の意のままにならないもの。
「まあ、俺たちはそんなことを気にせず、阿修羅琴を手に入れれば良い。天界を収めた暁には、俺がナンバー2だ。ちんけな門番などせずによい! シュリーにももっと好きにさせてやれる」
そう言うと、美しいシュリーの髪を撫ぜる。呼応するようにシュリーもクベーラの頬に触れ微笑する。うっとりするような笑顔にクベーラは既に骨抜きだ。
「私は今のままでも十分自由だけどねえ。あんたが嬉しいならそれでいいよ」
なんだかんだ言って、この夫婦は仲が良いようである。だが、シュリーも帝釈天の気持ちがわからないでもなかった。思い通りにいかないってムカつくよね。シュリーにとってのそれは仏陀の存在である。
「あの小娘、琴を持ってきたら、私に貸してもらえない?」
シュリーはクベーラに体を寄せ、はち切れそうな胸を押し当てる。そしてとびっきりの甘い声を出し、両手を彼の首の後ろに絡ませた。
「え? いやあ、それはどうかな。ああ、傷物にしなければいいけど?」
と、鼻の下をこれ以上ないくらい伸ばして応える。傷物にしないなら、何をするというのか。自分の嫁の性格を知らないわけでもないだろうに。
「もちろんだよ。手荒なことはしないよ」
こちらはこちらで心にもないことを返すと、クベーラの頬に唇を寄せた。
「だからあんたが大好きだよ」
ふふふ、とシュリーは女神に似つかわしくない含み笑いをした。新しいおもちゃとどう遊んでやろうか、邪な絵がいくつも脳裏に浮かぶ。しばらくはこの妄想だけでお酒が美味しく飲めそうだよ。とシュリーは再び妖しい目をして笑った。
きっかり3時間。双子の工匠は、約束の物を作り上げた。手提げかばん型のそれは、黄金の天車に張られた結界を一時的に無効にするものらしい。天車のバリアは術ではない。カルマンの技術によって施されているものだ。
「いわゆる妨害電波発信機でんな。名付けて『月夜に提灯』や。向こうのバリアは特殊な電波で作られてるんですわ。それを妨害して無効にするってわけで。作動可能時間は3分。向こうになんも気づかれんで解除できる時間や。3分あれば、乗り移れますやろ。トバシュの隠れ蓑使ったらええ」
カルマンが言う『隠れ蓑』とは、トバシュが自分の館から逃げるのに使った、姿を消す道具である。トバシュはこれを『透明リング』と呼んでいたが。
「月夜に提灯? それって向こうのバリアを無駄にする? ってことか?」
「そうや! ようわかったな! バリアの無効化や!」
それなら『バリアの無効化』でいいだろう、と面々は思う。
道具の説明をしてもらっても、イマイチ腹落ちしない阿修羅達。カルマンは説明するのも面倒になったのか、
「とにかく、俺が一緒に行きますわ。なんか役に立ちますやろ。皆さんだけでは、宝の持ち腐れになりそうや」
「兄者! ワシも行きたい。天車に乗ってみたいぞ!」
トバシュまで参戦したがる。そのうちクルルも行きたいと言いそうだ。阿修羅はさすがにむっとして言った。
「遠足に行くわけではない。おまえ達、下手をすれば命を落とすぞ。戦いが始まればおまえ達の面倒をみることは不可能だ」
「トバシュ、今回はあきらめ。俺だけ行ってくる。阿修羅王、俺は自分の身は自分で守りますさかい、気にせんといてください。俺の造った天車で、悪さしてほしないから、お手伝いさせてもらいますわ」
碧眼をきりりと向けて、カルマンが言う。人の好いだけのトバシュとは違い、芯が強そうだ。阿修羅は頷いた。
「遠慮なく力を貸してもらおう」
天車には、阿修羅、白龍、リュージュそしてカルマンの4人で乗り込むこととなった。仏陀の救出が第一だが、天車の機関室に行って、動力を落としてしまえば、黄金の天車は亜空間にいることはできなくなる。修羅界に墜落させ、一斉攻撃をかける。『黄金の天車』は元々戦車だ。大砲など火器も積んでいるが、機関室を押さえてしまえば、それも無効になる。
「まあ、機関室は俺に任せてもらえばええです。お望みの場所に落しますわ」
阿修羅が満足げに頷いた、その時だった。彼女の瞳が光るものを捉えた。それはカルマンに向かって直線を描く。阿修羅は咄嗟に剣を払う。金属がぶつかり合う音がすると一本の矢が床に叩きつけられた。
「伏せろ!」
双子に向かってそう叫ぶ。立て続けに矢が飛んできたが、阿修羅は悉く薙ぎ払った。
「おー。さすが修羅王だねえ」
声のする方を見上げると、翼をもった獣人が開け放されたテラスに広がる空の上で笑っていた。
つづく




