第六十一話 エピローグ4 リュージュ、アオハルかよ。
その日、リュージュはめかしこんでいた。修羅王軍の上級将校が着用する詰襟の軍服を纏い、足元は滅多に履かないブーツだ。軍服の色は濃紺。同色で蔦の刺繍が施され、両肩には金色の肩章、飾緒がアクセントになっている。
阿修羅も同様に見慣れない軍服姿を披露していた。鳶色の襟に暗緑色のワンピース、胸には金ボタンが並ぶ。腰下で膨らませたスカートからは、ふんだんに使われたレースが勇ましさよりも可愛らしさを醸し出していた。
二人は梵天主催の戦勝式に呼ばれていた。当然白龍や双子も呼ばれたが、適当な理由を付けてキャンセル。仕方なく修羅界代表で二人が出向くことになった。
「しかし、面倒だな。天界のやつは、こういう行事が大好きだからな。ところで、なかなか似合うではないか。見直したぞ」
天界への移動中、阿修羅はリュージュを見てくすくすと笑う。褒めているのかからかっているのかわからない。
「なんだよっ。ちゃんと着れてるだろ?」
リュージュは気になって、自分の姿をキョロキョロと見回す。阿修羅の可愛らしい軍服姿に見惚れていたので、自らの装いを今更慌ててチェックする破目になっている。
「大丈夫だよ。ちゃんと着こなしてる」
阿修羅は再び笑いをこらえるようにそう答えた。
戦勝式典は、滞りなく終わった。帝釈天が人間界で修行している期間は、人間界の時間で10年と定められた。天界の時間にすれば、わずかな時間だが、帝釈天が担っていた仕事の全ては他の神に割り当てられた。その中でも重要な懲罰省と天界軍は修羅界の王、阿修羅が兼任することとなった。式には不在だったが、白龍の責務がおよそ倍になることが知らされた瞬間だった。
式典には先日修羅王邸を来訪した夜魔天が当然のようにいた。だが、驚いたことには龍王ナーガまでもが列席していた。リュージュは先日、労をねぎらうのと、怪我の様子を見に龍王を訪ねていた。どうやらその時、ここに来るように誘ったらしい。
「阿修羅、ナーガに乗って俺達の家に帰らないか? 流道ばかりじゃ味気ないだろ?」
ただただ長く、退屈なだけの戦勝式典が終わり、阿修羅はとにかく早く帰りたかった。この窮屈な軍服も脱いで、いつもの楽な(露出度は高いが)服装に戻りたかった。
「ナーガに乗るのか?」
だが一方で龍王に乗るのも興味をそそられた。前回は自分がボロボロでしかも臨戦状態だったので飛行を味わうどころではなかった。天馬とはスピードも高度も違う龍王に乗るのは楽しそうだ。
「じゃあ、修羅界を一周したいな。パトロールも兼ねて」
「ああ! 大丈夫だ! な? 龍王?」
ナーガは一瞬、「え“」、という顔をしたが、大人しく背中を下げて二人を迎え入れた。
「サンキュ! さあ、行こうぜ!」
「わあ!」
天界の青く高い空を突くように龍王は舞い上がる。阿修羅の長い髪が風圧に煽られ流れ、頬にぶつかる冷たい空気と瞳になだれ込むような光の渦に目を見張った。
「きゃ!」
かと思うと、今度は急に下降したりと、さながらジェットコースターである。当然そんなものの経験がない阿修羅は、慌てて前に乗るリュージュにしがみつく。
――――ナーガ、ありがとう。本当に、俺、多分今までで一番感謝している……。
冷たい風や氷の粒が目に入ったわけでなく、リュージュは既に涙目だ。ぴったりと阿修羅の体が背中に付けられ、細い腕が自分の腰に巻き付けられている。その右腕をしっかりとつかんで、リュージュはナーガを操つると、修羅界へと向かっていった。
阿修羅が天界にいたころ、いつも見ていただろう須弥山が右手に大きく鎮座している。頂き近くには真っ白な雲を這わせ、堂々としたものだ。彼らが死力を尽くして戦ったトウリ天も小さくなっていく。眼下には彼らの世界、修羅界が広がっていた。
「阿修羅、修羅界に入るぞ!」
「ああ、修羅界に入ったら、少し速度を緩めてくれ!」
「了解―!」
背中から阿修羅の重みが軽くなっていく。少しだけ残念に思いながらも、リュージュは龍の速度を緩め、修羅界の領空へと降りていった。天界の煌びやかな空気とは打って変わって、重たい雲に覆われる暗い世界。だが、阿修羅はずっと長い間ここにいたせいか、懐かしい気持ちにすらなった。常に修羅界を響き渡る、砂を削り続ける波の音。風のように舞うナーガに乗った二人の目に、どこまでも続く長い砂浜が映った。
「ここで少し休憩しないか。海なんて、久しぶりだ」
「ああ、俺もそう思った」
砂浜に降りた二人は、ブーツと靴下を抜いで海へと走る。
「冷たい!」「気持ちいい!」
二人は子供の様にはしゃぐと、砂浜を走る。砂浜に足を取られながら、時には海に向かって走り、波に追われて砂浜に戻り、手で海の水を掬ってはお互い掛け合って大声で笑う。
「やめろ、あはは! 軍服が濡れる!」
まるで映画の一シーンだ。真っ黒な雲が空のどこかにいる太陽をすっかり隠していなければ。昼だと言うのに辺りは薄暗い。目が慣れている彼らだからこそ不自由はないのだけれど。
「この海は何色なのだろうな……」
すっかり濡れてしまった二人は、砂浜に打ち上げられた大木の上に座って焚き木をしていた。リュージュはとうに上着を脱いでしまって上半身はシャツ一枚だ。赤々と燃える炎が二人の衣服を乾かし、頬を赤く染めている。
「さあ、グレーに見えるけど、陽の光が届いたら、案外透き通るような青なのかもな」
「そうだな……。目に見えているものが、真実とは限らない……」
「うん? 意味ありげなセリフ。さすが、師に帰依しただけはあるな。そうだ! その点では俺の方が先輩だな」
リュージュはそう言って、隣に座る阿修羅の横顔を見る。焚き木の炎に当てられて、頬がほんのりと赤く染まっていた。
「阿修羅……」
「そうだな。先輩、よろしく頼む……。ん? どうした」
軽口をたたきながらも、視線を感じた阿修羅はリュージュの方を見た。炎に照らされた右側の半面と、彫の深い顔立ちがくっきりと影を作る左側。だが双眸は真っすぐ阿修羅の朱色の瞳を捉えていた。
「おまえに会えて良かった。たとえおまえの心が師にあったとしても。俺はなんの後悔もない」
阿修羅はリュージュの金色の瞳を静かに見つめている。そして口元に笑みを浮かべると視線を黒く沈む海へと向けた。
「私の心は私のものだ。おまえ達は、本当に愚かしいな」
呟くようにそう吐くと、再びリュージュを見る。
「だが、私とシッダールタは二人で一つなのだ。それ以上でも以下でもない」
「二人で一つ?」
リュージュは訝し気に阿修羅の顔を覗く。だが彼女はいきなり立ち上がると、海の方へと歩いていき、波打ち際に届くと男の方を振り返った。
「リュージュ! 私もおまえと会えて良かったと思っているぞ! この出会いもきっと必然だったに違いない。全てが繋がっているのさ。おまえとも白龍とも!」
遅れてリュージュも立ち上がると、阿修羅の方へと駆け寄った。
「そうだな。そうに決まっている」
「ああ、これからもよろしく頼む」
リュージュは満足げに頷くと両手を広げて再び海の中へ走り、打ち寄せる波をもろともせずに進んで行く。膝下まで水につかると、両手を口を囲むようにあて叫んだ。岸に寄せる波音にも風音にも負けず、修羅界全土に響き渡れと言わんばかりの大声で。
「阿修羅―! おまえが好きだー!」
――――たとえ転生を繰り返すとしても、俺の命はまだまだ尽きない。生きてりゃいつかはチャンスが巡ってくるかもな。
そんな能天気なことを思いながら、リュージュは腕組みをして金色の瞳を輝かせた。
――――アオハルかよ……。懲りない奴だな。
その背後では呆れ顔の美しい人が、くすりと笑みをこぼしていた。
つづく
二人で一つ。
次話は最終話となります。
阿修羅と仏陀の今をお届けします。




