第五十八話 エピローグ1 阿修羅の一族
エピローグは5話を予定しています。もう少しお付き合いください。
天界の最下部には、元々悪神が住んでいた。神と言う名がついているのだから、神様に違いはないのだが、長命で力を持っているのをいいことに、己の欲望のままに生きてしまった者たちだ。寿命が尽きれば間違いなく人間以下の世界に転生するのだろうが、その時までは随分と時間がある。転生を恐れて自らを律することなく、長い時間を欲のままに浪費したのが彼らの姿である。
当然それを良しとしない、善神たちは大勢いた。天界で起こる戦のほとんどは、この善神vs悪神だった。
阿修羅の一族も、実はそういった悪神だった。しかも戦にめっぽう強く、善神たちが手を焼く一族だったのだ。
しかし、彼らの隆盛も長くは続かなかった。なぜなら神が、1億年に女児ひとりしか一族に生まれない呪いをかけたからだ。長い年月を生きるといっても、一族の人数はどんどんと減って行く。しかも新しい命はなかなか誕生しない。
呪いをかけられて1億年後、ようやく命を得て天界に生れたのが、阿修羅だった。その頃、既に一族は十数人しかいなかったと言われる。
一族は残り少ない自分達の暮らしを、もっとましなものにしたいと願っていた。そこで、一族の天才工匠である『マヤ』に、ある道具を作らせる。それが『阿修羅琴』だ。
彼らが天界で何不自由なく生きていくために、たった一人の後継者に運命を託した。果たして阿修羅は天界の王である帝釈天に見初められ、まんまと『戦神』の称号を得た。そして阿修羅琴を使って、あたかも太古の昔から、一族が『戦神』であったことを信じさせたのである(後に、帝釈天との戦が勃発した時、修羅界を創造したのは、この工匠『マヤ』である)。
阿修羅の一族は、彼女が人間界に転生する少し前、修羅界から元々彼らがいた天界の最下部に移動していた。既に一族の長であった阿修羅の意向に沿ったのだ。
阿修羅が再び琴を弾き、全ての生命の記憶を呼び戻さなかったのは、一族に自分のことを思い出させたくなかったことが大きい。
今は彼らも梵天の計らいで、十分な衣食住を与えられ、何不自由なく平和に暮らしている。それを泣く子を起こすような真似をしたくなかったのである。
――――皆、元気そうにしているな。知らないことが幸せなこともあるだろう。
帝釈天との戦いを終え、阿修羅は万華鏡で一族の暮らしを覗き見た。天才工匠、マヤも健在で、天界の軍事技術を始めとする便利道具の多くが彼の手に寄るものだと阿修羅は知った。
「里帰りはよろしいのですか?」
横でその様子を見ていた白龍が尋ねた。最近の修羅王軍は、もっぱら戦後処理ばかりで出陣するようなことは何もない。軍議室では白龍や諜報部隊がデータ処理を行っていた。
「里帰りね。そんな柔な関係でもなかったからな。私達は人間と違い、生まれた時から既に成人に近い能力を保持しているのだよ。だから、育ててもらったという感覚がない。大体私は生まれて間もなく、長になったしな」
万華鏡の前に据えられている回転いすに、阿修羅は行儀悪く腰を掛け、くるくると回っている。勝利で収めたとはいえ、あの激戦からまだ三日しか経ってない。当然まだ本調子でないと思いきや、既に体力も気力も戻ってきていた。
「まだ……」
「ん?」
事務作業する時のデフォルトでもある、長い銀髪を後ろで緩く束ね、ふちのない眼鏡をかけた白龍は言葉を選んで言った。
「仏陀殿にはお会いにならないのですか?」
「ふふ……」
白龍が遠慮がちに言うのがおかしくて、阿修羅は笑みを浮かべる。彼だけでなく、今ここにはいないがリュージュも気にしていることは、十分知っている。だが、そんなことは何の不安でもないのだ。
「心配しているのか、期待しているのかは知らないが……」
回転いすを一旦止め、阿修羅は白龍の碧眼を見た。
「私達にはもう、会う会わないなど、どうでもいいことなのだよ」
「はあ……」
今一つ理解できない主人の言いように白龍は首を傾げる。だが、幸せそうに微笑む彼女を見ていれば、何も心配する必要はないとわかっている。
「期待していない……、と言えば嘘になりますが。王には笑顔でいて欲しいです。少なくとも私は」
阿修羅は朱色の瞳を一瞬輝かせ、そして長い睫毛を降ろすとそっと頷いた。
「そうだな。だが、はっきりと言葉にすることも大切だ。シッダールタも忙しそうなので遠慮していたが、けじめはつけたほうがいいだろう……」
腕組みをして上を見上げ、何かを考えている仕草をしている。白龍はその様子を見て、一つのことに思い当たる。長い指で、眼鏡の中心に軽く触れた。
「阿修羅王、もしかして、貴方は……」
「なんだ?」
白龍の言葉に阿修羅が再び、双眸を向けた。今はもう、戦いに滾ることもなく、静かに輝く宝玉のようだ。
「いえ、何でもないです」
大きなモニターとキーボードの前に、諜報部の数人が忙しそうに指を走らせている。時折、モニターから天界の事務方の指示や質問が聞こえてきた。窓のない軍議室は白い機械的なライトが部屋をくっきりと浮かびあがらせる。
その光は阿修羅の整った顔立ちを一層はっきりとさせ、白い肌を陶器のように透き通って見せた。
「そうか? まあよい。おまえは相変わらず鋭いな」
阿修羅はそう言うと、白龍から背を向け万華鏡に再び目を移す。この五日後、阿修羅は仏陀と修羅王邸で再会。膝を折り、仏陀とその法、教団への帰依を誓った。
つづく




