第五十七話・悪意ある夜会
二度目の夜会の準備を終えて、私は気まずさが残るパシェン様にエスコートされて会場に入った。
パシェン様は私になにもいわなかった。だから、私も完全に謝るタイミングを逃してしまっていて、居心地の悪い沈黙ばかりが落ちてしまう。
それでもパシェン様は私のエスコート役をこなしてくれた。もしかしたら別にエスコートしたい人がいるのかもしれないのに。
(公爵として聖女リーベとの婚姻は破棄できない、そういう判断なのかしら)
嫌な考えばかりが脳裏に浮かんで仕方ない。ため息を吐きだしたいのをぐっとこらえて、私は笑顔の仮面を被る。
華やかな会場に足を踏み入れる。けれど、明らかに前回と会場の雰囲気が違う。
「?」
内心で首を傾げた私の耳に、密やかな声が入ってくる。
「リーベ様の噂は聞いたか?」
「ええ。男漁りをされていると」
「なんてはしたない。聖女として王家に養子入りしながら」
「恩を仇で返すとはこのことだ」
密やかに紡がれる中傷の言葉。アミの懸念が当たったのだと私は一拍遅れて理解した。
(噂は放っておけばいいと思っていた考えが甘いのね。確かにこれは看過できないかもしれない)
私自身が気にするとかは置いておいて、聖女として「男遊び」の噂は結構致命的だと感じた。
会場の噂好きの貴族たちがひそひそと喋っている悪意のある話が肌に触れて私の意識を蝕んでいくようだ。
異物を排除しようとする静かな敵意すら感じる。
(意外としんどいかも)
私が王女なのも相まって正面から喧嘩を売ってくる人はいないようだが、こそこそと話される噂話に籠る悪意は、前世のOL時代に陰口を叩かれていた時とは比べ物にならないレベルだ。
「リーベ」
「はい、パシェン様」
「気にする必要はない。根も葉もない噂など」
「……はい」
小声で励ましてくれるパシェン様の言葉がありがたい。私は真っすぐに前を向いて微笑み続ける。笑顔の仮面はこういうときなによりの武器だと家庭教師の先生から夜会での立ち回りの一つとして教えてもらったから。
前回と違って遠巻きにされている私たちへ、一人の令嬢が近づいてきた。
「こんばんは、ごきげんよう。リーベ様、パシェン様」
黒髪の美しい、赤い瞳が印象的な令嬢だ。綺麗な淑女の礼をする彼女は、この間の夜会でも挨拶をしてくれた人だ。
そして、恐らくあの日庭園でパシェン様に寄り添っていた問題の女性でもある。
「ごきげんよう、ベーゼ様」
ベーゼ様はエラスティス公爵家と同じ四大公爵の一角トイフェ公爵家の長女だ。お父様が選出したパシェン様の元婚約者候補の一人でもある。
エスコートしてくれているパシェン様の腕を離して、私も淑女の礼を返す。
「覚えていてくださったのですね、光栄です」
落ち着いた声音で告げられた言葉にはなんだか棘がある気がした。顔を上げた私の前で、ベーゼ様は優雅に微笑んでいる。
目の色に合わせた真っ赤なドレスが印象的だ。
私と違って妖艶な雰囲気を纏う、身体の出来上がった美女だ。それもそのはずで、ベーゼ様は私より二つほど年上だ。
アミが噂話の一つとして話していたのだけれど、パシェン様との婚約を狙って、他の縁談を全て断っていたらしい。
この世界で十八歳で未婚、それも婚約者がいないのは相当に浮く。端的に言って行き遅れだ。婚期を逃しているから、挽回が難しそう、とアミは口にしていた。
「リーベ様、遊ばれるのもほどほどになさってくださいませね。リーベ様は元とはいえ四大公爵家の出身です。肩書に恥じない振る舞いをなさってくださいませ」
にこりと微笑んではいるが、言葉には隠しようもない毒がある。思わぬ攻撃の言葉を言われてしまって、私が少し驚いていると、隣のパシェン様の気配が冷えてしまった。
ベーゼ様は気づいておられないようだけれど、よくないやつだ。
私は気にしていないのをパシェン様に伝えるために、にこりと微笑んで口を開いた。
「覚えのない噂が広がっているようですが、ご安心ください。そのようなことは致しておりません」
私の返事に、ベーゼ様の細められた赤い瞳が私を値踏みしている。
嫌な感じがするな、と思いはするが、ベーゼ様からすれば狙っていたパシェン様の婚約者の座を突然横から出てきた私が奪った上に遊んでいるという噂が立てば、好印象を持てというほうが無理だろう。
「では、わたくしはこれにて。またお話してくださいませ」
優雅に頭を下げてベーゼ様は貴族の中に紛れていった。その後ろ姿を見送って、私は浅く息を吐く。
「パシェン様」
「なんだい、リーベ」
そっとパシェン様の名を呼ぶ。周りに聞こえないように密やかに私は口を開いた。
「あの方は、元々パシェン様の婚約者候補だった女性ですよね?」
「……知っていたのか」
「はい」
苦い声音で返事が戻ってくる。パシェン様の言葉に一つ頷くと、パシェン様は珍しくわかりやすいため息を吐きだした。
「あくまで義父が勝手に選んでいた婚約者の候補というだけでだが、四大公爵家の一つのご令嬢だから、無下にもできない」
「そうですね」
頷きながらも、心の中には晴れない霧が広がっている。
どうして二人で私のいない所で寄り添っていたのですか、そう尋ねたいのをぐっとこらえる。
夜会の会場で泣き出すわけにもましてや喧嘩をするわけにもいかない。それこそ格好の餌食だ。だから私はあえて話題を変えることにした。
「パシェン様、挨拶回りが終わりましたら、すこし端によって料理を食べませんか? 先日は結局あまり喉を通りませんでした」
「そうだったな。私も少し胃にものをいれておきたい」
小さく微笑んで私の言葉に合わせてくれたパシェン様に微笑み返し、私は内心で気合を入れなおす。
悪意はまだまだ感じるけれど、一々めげていては王女など務まらないし、将来的にパシェン様と結婚して公爵家の女主人になるならばもっと大変な場面は山ほど出てくるはずだ。
(負けないんだから)
絶対にめげないし挫けない。負けん気だけなら人一倍持っている。
気合も新たに私は微笑みの仮面を被って、貴族の方々への挨拶回りを再開した。




