第五十四話・酔いつぶれた結果
夜会の会場から逃げ出したい気持ちをどうにか抑えつけ、私はその場から足早に立ち去った。
暫くして私を探していたパシェン様と合流したけれど、私の頭の中は先ほどの光景で一杯で、心ここに在らずだった。
そんな状態でもどうにか無事に夜会を終えて、部屋に戻った私はドレスを脱いで化粧を落としお風呂に入ってからも落ち着かず、たまらず男装をしてフィーネとなって王宮を飛び出した。
とてもではないが、一か所に留まっていられる気分ではない。
私が駆け込んだのは、先日デュールお義兄様と接触するために入った居酒屋で、今日もまたお店の端の席で飲んでいるデュールお義兄様の前に無言で座り、飲み物を注文した。
「どうしたお前、また来たのか」
「話を! 聞いてほしくて!!」
「お、おお?」
私の剣幕にデュールお義兄様が戸惑っているが、それどころではない。私はだん! と握り締めた両手の拳でテーブルを叩いた。
「恋人に! 浮気を! されたんですけど!!」
そう、あれは浮気だ。まごうことなき浮気だ。
私というものがありながら! 他の令嬢と寄り添うなんて浮気以外の何物でもない!!
荒れ狂って怒りのままに叫んだ私に、デュールお義兄様が目を見開いた。
「お前、恋人いたのか。こんなにちんちくりんなのに」
「いますよ! めちゃくちゃすごい人です!」
「……浮気されたのか」
「そうなんです!!」
なんだか口にしてて悲しくなってきた。涙が溢れそうだ。ぐっと歯を食いしばって泣きたい気持ちを堪えていると、飲み物が運ばれてきた。
涙が滲んで視界が悪い。本当に泣いて喚いて騒ぎたい。私は飲み物に手を伸ばした。
「あ、おい」
「僕というものがありながら! なんであんな!」
そう言いながらぐいっと飲み物を煽った私は、失敗を悟った。これ、お酒だ。ジュースじゃない。でも、関係ない。
私だって成人しているのだから、こうなったらとことん飲んでやる!
その気持ちで注がれていたお酒を全て飲み干すと、途端に視界がぐらぐらする。この世界のお酒、アルコール度数が高い……!
「酷いんです、僕が見てないと思ってるから、あんなことができるんだぁ!」
呂律も上手くまわらない。ひっくひっくとしゃくりあげながら告げる私に、デュールお義兄様が戸惑っている。
「ちょっと落ち着け。おい! 水持ってこい!」
「水なんていらないです! もっとお酒下さい!!」
正反対の注文に給仕の人が少しおろおろしているのが伝わってきたが、結局水とお酒が同時に運ばれてきて、私はお酒を手に取った。
「やめとけ」
「いやだ! 今日はとことん飲むんだ!」
そう叫んだ瞬間。私の意識はブラックアウトした。
* * *
俺は目の前で潰れている酔っ払いを前に、ものすごく戸惑っていた。
フィーネという名前の少年は、すごい勢いで酒場に飛び込んできたと思ったら、俺の注文していた酒を煽って泣きながら潰れてしまった。
恋人に浮気されたといっていたから、よっぽどショックだったのだろう。
俺には恋人も婚約者もいないが、信じている人に裏切られるショックは想像できる。
「……どーすっかな……」
涙を目元に浮かべながら、寝息を立てているフィーネに頭を掻く。フィーネの家の場所なんて知らないんだが、このまま放置しておくのも目覚めが悪い。
「おい、起きろ。おい」
立ち上がって肩を揺するが、むにゃむにゃと意思疎通のできない言語未満の言葉しか発しない。完全に酔いつぶれている。
「起きろー」
強めに肩を揺すっても反応がないので、俺はぽんぽんと頭を叩く。
「ん?」
なんだか髪質に違和感がある。なんだこれ、ずいぶんと髪が痛んでいる。
まるで、切った髪を暫く放置していたもののようだ。そんな髪に触れたことはないが、形容しがたい違和感がある。
不思議に思って首を傾げつつフィーネの髪をかきまぜていると、ぽろりと髪が落ちた。
「?!」
髪が落ちた?! どうしてだ?!
ぎょっとしつつフィーネをガン見していると、茶色の髪が落ちた下から金色の髪が零れ落ちた。そこそこの長さのある金の髪を隠していたらしい。
「まさか」
嫌な予感が脳裏を占める。頼むから外れていてくれ、と願いつつ俺はフィーネを抱き上げた。
すやすやと眠るフィーネの表情は幼くて少しだけ既視感があり、俺は嫌な予感が当たったことを悟った。
「まじかよ……!!」
フィーネは女だ。それもただの女ではなく、俺の義理の妹の少女だ。
リーベという名の、聖女であり、王女である女の子だ。
唖然と棒立ちになった俺は、慌ててリーベの頭を自身の胸元に寄せて、髪の色が傍目にわからないように隠した。
ここには俺が王子だと知っている護衛の騎士もいる。
そいつらにリーベがなぜだか少年に扮して俺に接触していたことや、まして酒を飲んで酔いつぶれていることを知られるわけにはいかない。
よからぬ噂は火がなくても立つというのに、こんな醜聞は表ざたに出来ない。
慌てて俺はフィーネを抱きかかえた手でテーブルに落ちている茶髪の髪を拾いフィーネの頭に雑に乗せた。
ちゃんと被せてやりたいが、やり方がわからないし、もたもたしている間に騎士たちに目を付けられかねない。
「悪い! 勘定は付けといてくれ!」
俺は店主に向かって叫んで、返事を聞く前に店を立ち去った。いつも飲んでる店だから、多少は多めに見られるだろう。
問題があれば他人の顔をしている護衛の騎士たちが払うはずだ。
俺は王宮への道を、いつも以上に早足で進む。騎士たちが追いかけてくる気配はない。あいつらは基本的に俺が酔いつぶれない限り声を出してくることはないのだ。
そうしていつも以上に長く感じる王宮への道を戻った俺は、そっと人目を忍んでリーベの寝室がある方向へ足を運んだ。
部屋の場所は噂で聞いたことしかないが、まあ間違ってはいないはずだ。
そしてようやくたどり着いたリーベの部屋の前には、悪魔より恐ろしい顔をした男が立っている。
リーベの婚約者で元義兄であるパシェン・エラスティス公爵だ。
「リーベに何をした!!」
激怒しているのが丸わかりの一方的な非難の声を浴びた瞬間、俺の心がすっと冷めた。
――こいつは、リーベを裏切って他の女と浮気したのだ。
少なくとも、リーベはそう思っている。だからあんなに荒れて泣いて騒いだのだ。
冷めた目で俺は足音も高く近づいてきたパシェンという男を見つめた。
パシェンは俺から奪うようにリーベを抱える。俺はすっかり冷めきった眼差しで、パシェンを睥睨した。
「お前、あんまり調子に乗るなよ」
「貴方に言われる筋合いはない」
「そうかよ」
これ以上の対話は無駄だ。そう悟って、俺は踵を返した。
リーベ、こんな男、とっとと捨てちまえよ。




