第五十二話・間柄の変化と心境
パシェン様と一緒に人に囲まれて、次々に挨拶をされていく。
一人ずつ顔と名前を頭に叩き込む。正直、前世では人の顔を覚えるのはそんなに得意ではなかったけれど、この世界ではカラフルな髪の色と目の色と相まって、記憶に残りやすい。
カタカナの長い名前は少し覚えるのに苦労するけれど、苦手だからと泣き言なんて言っていられない。
にこにこと微笑みながら何度も挨拶を繰り返して、ようやく一段落した頃、パシェン様に「少し横に捌けて飲み物でも飲もう」と声をかけられた。
人込みを避け会場の端により、会場の中を回っている給仕からドリンクをパシェン様が二つ受け取った。
差し出されたのはオレンジ色のドリンクだ。細長いおしゃれなグラスに入ったドリンクに口をつけると、冷たくてさっぱりとした後味が口から喉を通っていき、とても美味しい。
「美味しいですね、パシェン様」
「こういう場ででる料理やドリンクが口に合うのはいいことだ」
にこりと微笑まれると、心臓が跳ねてしまう。私は平静を装って、パシェン様に微笑み返した。
「パシェン様は夜会には慣れましたか?」
「どうだろうな。騎士団長として出席するのと、公爵として出席するのでは立ち回りが違っていて、まだ少し難しく感じる時もある」
「そうなのですね」
他愛のない雑談をしつつ、ドリンクで喉を潤していく。
一気に飲むとはしたないので、ちびちびとゆっくり私がドリンクに口をつけていると、パシェン様が目元を柔らかくして口を開いた。
「少しは胃になにかいれたらどうだろうか。私がリーベの好きそうな料理を取ってこよう」
「いいのですか? では、お言葉に甘えさせていただきます」
「任せてくれ」
こういう場で積極的に料理を取りに行くのはどうだろう、と我慢をしていたし、今日は食べる余裕などないだろうからと事前にすこしは胃に食事をいれていきたのだが、美味しそうな料理をみるとつい気になってしまう。
なにしろ十歳で魔力検査を受けて、冷遇されて以来、王家に養子入りするまでまともな食事をとる機会の方が少なかった。だから、美味しい食事に関してはちょっと貪欲になっている自覚がある。
実は、パシェン様には王家に養子入りしてからのお茶会で、公爵家ではまともな食事がでていなかったことを打ち明けた。
パシェン様は酷く動揺して落ち込んで「すまない、私がいながら……!」と言葉を詰まらせていたが、この件に関してはパシェン様は全く悪くないと念を押して伝えている。
全ては私を冷遇したクソジジイとクソババアのせいなので。
以来、パシェン様は積極的に私に美味しいものを食べさせようとしてくれている。お茶会でのお土産もその一環だ。
だから、こういう場所でも食事を気にかけてもらえるのは嬉しい。
「少し離れるが、決して他の男について行かないように」
「はい、もちろんです」
「ダンスに誘われても断るんだ」
「はい」
心配性なパシェン様の念押しに私は一つずつ相槌を打つ。パシェン様はまだ心配そうにしつつ、料理を取るために私の傍を離れていった。
パシェン様の背中が人影に消えていくのを見ていると、ふいに声をかけられる。
「いやぁ、パシェンのやつ、ずいぶん警戒してるな」
「クルール様?」
「おう、久しぶり」
にかりと笑ったのは騎士団の正装を今日ばかりは着崩すことなく身にまとっているクルール様だった。
赤い髪を後ろに撫でつけていて、普段の少しだらしがないところが外見からでは全く想像がつかないほどきちんとしている。
「どうされたんですか?」
「俺ってば副団長だろ? 前から警備もかねて夜会には出席してたが、パシェンが公爵として夜会に出るようになってからは、騎士団長代理も兼ねて色々な夜会に出席させられてるんだよ」
にっと唇を吊り上げて笑ったクルール様に会うのは、本当に久しぶりだ。
今の私は王族の一員なので、異性の方にはフィーネであった頃のように気軽には会えない。精々パシェン様から時々お話を聞く程度だった。
「クルール様は伯爵家の方だと記憶していましたが、そちらはよろしいのですか?」
「俺は三男坊だからな」
「なるほど」
爵位は基本的に長男が継ぐものである。この国では魔力適正と魔力量によって、たまに次男や三男が長男を差し置いて爵位を継ぐ場合もあるらしいが、クルール様は当てはまらないということだろう。
クルール様は二属性の魔力適性とそれなりの魔力量をもっていたはずなので、長男と次男がよほど優秀ということだ。
「私に構っていて、警備はいいんですか?」
「いまはリーベ様の傍を離れる方が怖いからな。パシェンとか」
そういって肩を竦めたクルール様の言葉に、私は少しだけ考え込んだ。
「……違和感があります」
「なにがだ?」
「クルール様に『リーベ様』と呼ばれることにです」
ぽつりと零した私の言葉に、クルール様が僅かに目を見開いた。それから優しく目元を和ませる。
「仕方ないな。リーベ様は王族で聖女で、俺は副団長とはいえ一介の騎士だからな」
「そうなんですけれど。ずっと『リーベ嬢』とよばれていましたから」
「立場が変わったからなぁ」
しみじみと告げられた言葉に私も内心で深く同意する。
私の立場は激変した。あまりの変化に、たまに朝起きて『夢をみていたのでは?』と思う瞬間があるほどだ。
「ま、慣れてくれよ。これからは色んな奴から「リーベ様」って呼ばれるんだぜ?」
「そうですね」
距離ができたようで悲しい。フィーネにしていたように気安く接してほしい。
そう思うのは、私の我儘だと理解している。
だから、思いは胸の奥に閉じ込めて、私は穏やかに微笑む。
「あ! リーベ様!」
名前を呼ばれて振り返ると、視線の先には綺麗に着飾ったアミがいた。アミは出会ったときからずっと「リーベ」と呼んでくれていたのに。
(仕方ない、わかっているわ)
でも、どうしようもなく悲しいと思ってしまった。




