第四十三話・婚約成立
真摯な空色の瞳が、どこか切なさを孕んで私を見ている。
私は大きく目を見開いて、言葉を失ってしまった。
お義兄様が私に『様』をつけて呼んだことはない。この場で私に『様』をつけるのは、きっと私に対してエラスティス公爵家子息の『お義兄様』ではなく、騎士団長『パシェン』として話しかけているのだ。
確かにお義兄様に告白はされていたけれど、まさかこんなに人がいる場で改めて求婚されるとは思わなかった。
真っ直ぐに見つめてくるお義兄様の空色の瞳を見つめ返す。黙り込んだ私に、お義兄様はさらに熱を込めた言葉を続ける。
「リーベ様がエクセン王子と婚約されるおつもりなのは知っています。その上で、私は貴方に求婚を申し込みます。どうか、私を選んではいただけませんか」
お義兄様の熱烈な愛の言葉に、先ほどとは別の意味で場が騒めいた。
お義兄様の熱に浮かされたような熱い言葉に、私は赤くなる頬を抑えたい衝動を堪えるのに必死だった。とくめきで天にも昇りそう。
浮かれる頭の片隅で、けれど疑問を覚える私もいる。
(あれ? お義兄様もしかして、私の養子の件を、ご存じない……?)
思わずエクセン王子を仰ぎ見ると、エクセン王子は悪戯っ子の笑みで笑った。
あ、これ確信犯ですね?!
だが、私の行動をお義兄様は別の意味に受け取ってしまったらしい。
お義兄様が鋭い視線でエクセン王子を睨んだ。
ふ、不敬罪になりませんか?! お立場は大丈夫ですかお義兄様!!
お義兄様がゆっくりと立ち上がった。対決するように、私を挟んでエクセン王子に向き直る。
「エクセン王子、リーベ様の愛を賭けて、決闘を申し込みます」
「?!」
思わぬお義兄様の発言に、私は驚愕で息をのむ。
お義兄様はどこまでも真面目な態度ではあるが、私としては焦ってしょうがない。
まってまってまって、そこまでお話を大げさにしないで!! お義兄様ストップです!
「お義兄様!」
私が止めようと口を開いた瞬間、エクセン王子が私の前にすっと腕を出して私を止めた。
エクセン王子を見上げると、エクセン王子は本当に楽しそうに笑っている。
完全にお気に入りのおもちゃを見つけた子供である。
趣味が悪いですよ、エクセン王子!!
「いいよ。望むところだ。――そう言いたいところだけれど」
不敵に笑って、エクセン王子は告げた。
「でも、フィーネはいいのかな? パシェン。あの子のことは諦めたの?」
「っ」
エクセン王子の攻めの言葉に、お義兄様の視線が揺らぐ。動揺を隠せずにいるお義兄様にとって、それだけ『フィーネ』が大切だったのかと感じられて、ちょっと嬉しい。
エクセン王子の言葉に痛みをこらえるようにぐっと唇を噛みしめたお義兄様を見ていられず、私は咄嗟に口を開いた。
「フィーネは私です! お義兄様!!」
「?!」
お義兄様が大きく目を見開いて息を飲んだ。
その表情に滲むかつてない動揺と驚愕の色に、私は自分の発言の影響力の大きさを実感する。
お義兄様は完全に固まっていた。目を見開いたままぴくりとも動かない。お義兄様の動揺が酷い。
何も考えず、咄嗟に口を開いてしまった。場が一気にざわついたが、もう後戻りはできない。
だったらもう腹をくくるしかない。
女は度胸! は前世での私の座右の銘だ。
それは今世でも変わることはない。度胸さえあれば、大抵のことはどうにかなるものだ。
「陛下、私の懺悔をお聞きください」
驚きの表情のまま完全に固まっているお義兄様に背を向け、私はくるりと体を反転させて、陛下へと膝をついて頭を垂れた。
女神に祈る信徒のように両手を胸の前で組む。ここは勢いのままに押し通すしかない。
女は度胸! そして今は勢いが大事!!
「よい、話せ」
「私は公爵家での扱いに不満がありました。不遇な生活から抜け出すために、お金を貯めて公爵家を出奔しようと、男装して騎士団に入団したのです。その時の偽名が『フィーネ』でした」
「リーベ?!」
驚愕の声はお義兄様から上がった。逆に言えば、お義兄様からしか上がらなかった。
この場で発言権を持っている人間で、リーベとフィーネがイコールであると知らないのは、お義兄様だけなのだ。
なお、観衆の貴族であるその他大勢は除く。
お義兄様は驚きから完全に固まっているが、私に気にしている余裕はない。
「真か、リーベ。嘘偽りはないか。己こそが聖女であると申すのだな」
「はい。女神デーアと我が公爵家の家紋に誓います」
家紋に誓う、そのさらに上。女神にも誓って。嘘ではない。
女神と家紋に誓った言葉に嘘があれば、言い訳の余地もなくその場で斬首される。それだけ重い誓いの言葉だ。
私の発言に、場が静まり返った。お義兄様は相変わらず絶句して固まっている気配が後ろからしている。陛下が私に品定めの視線を送ってくる。
陛下はエクセン王子から私がフィーネであることは聞いていただろうに、事情を知らない大多数の貴族がいるから、芝居を打っている。
きっとこういうところが一国の主たる所以なのだ。
「わかった。信じよう、其方の言葉。我が娘よ」
「陛下の御温情に感謝いたします。我がお父様」
「待ってください!!」
ストップをかけたのは焦りに満ちたお義兄様の声だ。今まで聞いたことがないほど切羽詰まった声音は、それだけお義兄様の私への想いの本気度を伝えてくるようだ。
焦っているお義兄様には悪いけれど、ちょっとときめいてしまう。
けれど、私は陛下の許可を得ないまま頭を上げられない。
焦っているお義兄様だって、陛下を強く非難することはできない。
暫しの無言の末、陛下が盛大に笑いだした。隣で王妃様も笑っている。エクセン王子もまた、くすくすと笑っていた。
お義兄様が戸惑っているのが気配だけでも伝わってくる。恐らく、お義兄様の頭の中は疑問符で一杯だろう。
ややおいて、エクセン王子が私の肩に触れた。顔を上げていいという合図だ。
私はゆっくりと顔を上げて、その場に立ち上がった。お義兄様へと身体ごと振り返る。
お義兄様のここまで唖然とした顔は、きっとこの先もう見ることはないだろうなと思った。申し訳ないけれど、少しだけ面白い。
「はっはっは、焦るなパシェン。其方から最愛の人を取り上げようとは思っておらぬ」
「陛下……?」
「落ち着きなさい、パシェン。私たちは確かにリーベを娘として迎えますが、それはエクセンの伴侶としてではありません。私たちの義娘として――つまり、末娘として、です」
「……は?」
陛下と王妃様から相次いで声をかけられ、ぽかんとした声をお義兄様が上げた。いつもきっちりしているお義兄様が、間の抜けた声を上げることはそうそうない。
普段なら不敬罪に問われるだろう反応も今回ばかりは見逃されるようだ。
「エラスティス公爵家はパシェン、其方が継げ。荒れた領地の立て直しを命じる」
「はっ!」
お義兄様が条件反射のように咄嗟に貴族の紳士の礼を取った。
騎士の礼ではないところに、お義兄様が徹底的に施された貴族教育が見える。
お義兄様はまだ驚愕から立ち直れていない雰囲気がするが、反射で紳士の礼をできるほどに教育を叩きこまれている。
「その上で、王族となった聖女リーベと婚約することを許そう」
「は。……は?」
突然の陛下の言葉にお義兄様が間の抜けた声を上げる。
事態を理解しきれていないのだと如実に伝えてくる反応だ。感情が顔に出ているお義兄様はかなり珍しい。鉄扉面の氷の騎士団長の異名も、いまはどこかに飛んでいってしまっている。
戸惑っているお義兄様は珍しいし、ちょっと可愛い。ときめく心臓を抑えていると、陛下が今度は私へと視線を向けた。
「我が娘リーベ、この度の婚約、其方は受けるか?」
「はい。謹んでお受けいたします。お義父様」
私は、喜びにあふれる胸を押さえて、再び軽く頭を下げた。




