第三十七話・消えたフィーネ(パシェン視点)
「フィーネは私が拾ってきた孤児でした」
かつかつと。足音高くアミ伯爵令嬢が階段を降りる。
優雅なその振る舞いは、さすが生まれながらの貴族令嬢といえた。
私はじっと黙してアミ伯爵令嬢の言葉を待つ。
「私に恩返しがしたいのだ、と向いてもいない騎士団の門戸を叩いたのです」
ゆっくり、ゆっくりと。アミ伯爵令嬢が階段を下りてくる。
そして、一番下に降り立って、睨むように微笑むように、私を見据える。
「けれど、あの子は泣いていた。国の玩具になるのはごめんだと。貴方はあの子を探し出して、国に差し出す気でしょう」
「……」
沈黙するしかなかった。フィーネの捜索命令は王命で、違えることは許されない。
同時に、フィーネが見つかれば陛下の御前へと連れていかなければならないのは事実だ。
「貴方は確かに騎士団長として評価されているかもしれない。けれど、長年リーベの境遇すら改善できずに、よくもその口で、リーベにもフィーネにも愛しているなどといえたものです」
「っ」
私は小さく息を飲んだ。確かに私は思いの丈をフィリア家でリーベに伝えたのだから、アミ伯爵令嬢の耳に入ってるのは当然だった。
同時に、これほどまで激しく糾弾されたのは初めてだった。
誰もが私の境遇に同情し、絶大な権力を持つ義父に立ち向かえないのは仕方ないと評した。
だが、アミ伯爵令嬢は憤っている。きっと、リーベの親友として。
リーベを守れなかった私に怒りを向けている。
「リーベすら助けられない無力なパシェン様が、フィーネをどう扱うつもりなのか、私とっても興味があります」
棘のある言葉だ。公爵家跡取りの私の方が身分は上で、伯爵の娘であるアミ伯爵令嬢などこの場で不敬罪だと切り捨てても問題が起こらない程度には、不敬な言葉だ。
それでも。
私は、少しだけ嬉しかった。
リーベにここまで寄り添って、爵位が上の私に喧嘩を売るような親友がいる事実が、胸を温かいもので満たした。
一方で、本気で怒っている相手にそれを伝えるは返って逆効果だと知っている。
私は深々と頭を下げた。
「謝罪する。リーベの件も、フィーネの件も、私の力が及ばなかった」
「その謝罪はいりません。全てがいまさら過ぎます」
ぴしゃりと跳ねのけられる。ますます私は嬉しくて笑いたくなった。
だが、表情は崩さない。内心は表に出さない。公爵家で培った氷の仮面を張り付ける。
ゆっくりと顔を上げると、アミ伯爵令嬢の手元は僅かに震えていた。
勇気を振り絞っているのが、よく伝わってくる。アミ伯爵令嬢は、私に強い言葉を叩きつけることを、怖がっている。
それでも苦言を呈すのは、一重に目の前で拳を震わせながらも笑みを崩さないアミ伯爵令嬢が、リーベの親友だからだ。
「アミ伯爵令嬢、これは王命です。フィーネの行方を教えていただきたい」
「……私の口から申し上げられるのは、フィーネは屋敷を出ていった、それだけです。すでに私の手に届くところにはいないでしょう。……私だって、フィーネに会いたい」
気丈なアミ伯爵令嬢が最後にぽつりと零した言葉。それは、嘘には感じられなかった。
私は浅く息を吐いた。フィーネの消息は、完全に途絶えた。
「王にお伝えしても問題のない言葉か、確認しても」
「ええ、問題はありません。家紋に誓って、嘘はついていませんから」
家紋に誓って――つまり、偉大なる祖先に誓って、ということだ。
貴族の中でも最大の敬意を払った宣誓だ。
これ以上アミ伯爵令嬢をつついても、なにもでてはこないだろう。
「わかりました。お時間を取らせて申し訳ない」
くるりと背を翻す。私が玄関からでようとしたとき、アミ伯爵令嬢の声が背中にかかった。
「リーベは。……リーベは、どうなるのですか」
足が止まる。その問いの答えは、私こそが知りたいものだ。
「わかりません。公爵の意思次第です」
「本当に役に立たない殿方ですね」
舌打ちが聞こえてきそうな鋭利な言葉だった。だが、それは事実だ。
私は義父に逆らえない。私が、弱い人間だから。
小さく苦笑を零して、私は振り返ることなくそのまま外に出た。
太陽の日差しが眩しい。
フィーネ、どこにいるんだ。無事に過ごしているなら、それだけでいいのだが。
* * *
毎日騎士団の仕事が終わったらリーベの顔を見に部屋に行き、その日あったことを話す。
リーベは楽しそうに私の話を聞いてくれるが、窮屈な生活で息苦しさを感じているようだった。
部屋が豪華になっても、リーベにとっては自由にアミ伯爵令嬢の元へ遊びに行ける方がいいのだろう。
その気持ちは、公爵家ではなく騎士団へと居場所を見つけた私にもわかる。
そして、結局フィーネの消息はわからなかった。
焦る気持ちに蓋をして、私はアミ伯爵令嬢のことは伏せ、陛下にフィーネの消息が不明である旨の報告上げた。
見たままを報告すれば、いくらアミ伯爵令嬢が嘘をついていないとはいえ、要らぬ角が立つ。
陛下はずいぶんと気を揉んで、色々な騎士にフィーネの行方を探らせているが、今のところアミ伯爵令嬢の元までたどり着いた騎士はいないようだった。
それもこれも、私が騎士団においてあったフィーネの入団時の届け出をひっそりと処分したせいだろう。
執務机に向かって、再び舞い込んできた書類の処理をしながら、思考を巡らせる。
(アミ伯爵令嬢になにかあれば、リーベもフィーネも悲しむ)
恋心とは恐ろしいものだ。陛下への反意と捉えられかねない行動を、こうも簡単にとらせてしまうのだから。
我儘を言うなら、フィーネからの頼りの一つも欲しいところだが、私にその資格はないのだろう。
想いも伝えられず、王国から守ってやることもできない。無力な私には。
(私に守れるものなど、なにもない)
リーベもフィーネも、この両腕で守ってやれればいいのに。
どんなに魔力適性があっても、どんなに魔力量があっても。
公爵家跡取りでも、騎士団長でも。
圧倒的に、守れないものの方が多すぎる。
「……はぁ」
気持ちを入れ替えようと私はイスから立ち上がって、窓際に寄った。窓を大きく開けると、ノックの音が響く。
「入るぜ」
横柄にも聞こえる言葉は、クルールのものだ。
「ああ」と振り返った私は、視線の先、開けられた扉の横、クルールの隣に佇む人をみて、息を飲んだ。
「はは、うえ……」
きつく結い上げられた銀の髪。私と同じ空色の瞳に覚悟を乗せて。
義理ではなく。私を生んだ実母その人が、そこには立っていた。




