第三十六話・存在しない少年(パシェン視点)
エクセン王子が告げたフィーネの捜索命令は第一優先事項をとされた。
私は明らかにやる気のないクルールに事務作業を任せて、街にフィーネの捜索に出た。
フィーネが騎士団に入団したときに提出していた書類を元に、城下町に降りる。
思えば、フィーネは下町の出身だと言っていたが文字の読み書きに不便をしている様子はなかった。
下町出身の新米の騎士は、まず文字の習得で躓くものなのだが。
街を歩いていると時々応援の言葉や感謝の言葉をかけられる。
それらに適当に返事をしながら、下町へと進んだ。
貴族街や一般的な街中とはまったく違う文化を持つ下町では、騎士団の恰好は悪目立ちをする自覚はあったが、下町に馴染む服など持っていないのだから仕方ない。
思えば、私は下級貴族の出身ではあるが、養子になる前もなった後も衣食住に不自由はしなかった。置かれた境遇はどうあれ、恵まれているのだろう。
「すみません、フィーネという少年を探しているのですが」
道路の脇に座り込んでいる老婆に声をかける。しゃがみこんだ私の前で、老婆はきひひ、と笑った。
「情報がほしけりゃ、金を出しな。情報の対価だ」
「……」
私は懐から取り出した銀貨を一枚、無言で老婆に握らせた。
老婆は銀貨が偽物ではないことを光に透かして確かめると、それを握り締めて、また笑う。
「フィーネなんて子供はここにゃいないね。少なくともワタシは聞いたことがない」
「嘘を言うならその銀貨、返していただきます」
「嘘なものか。誰に聞いたって同じことを言うよ」
そう告げて老婆は黙り込んでしまった。これ以上の問答は無用ということだろう。
私はため息を一つ吐き出して、再び歩き出す。
下町の地理は地図で最低限しか把握していないが、フィーネが届け出た家の場所くらいなら、先ほどのように金を握らせれば誰かが教えてくれるだろう。
――結果、フィーネが届けていた家は。
誰も住んでいない、廃屋だった。
「……どういうことだ」
困惑が頭を支配する。フィーネという少年は下町にはいない、その上で届け出られた家の場所はもぬけの殻。
フィーネという存在が、女神の作った嘘だったとでもいうのだろうか。だが、フィーネは確かに存在していた。
私は気を取り直して、下町を後にした。フィーネは毎日家から騎士団に通っていたはずだ。ならば、その痕跡を辿ればいい。
来た道を戻る私を、途中の老婆が嗤っていた。
* * *
「……本当に、どういうことだ」
騎士団を出てからのフィーネの情報を集めたところ、行きついたのはリーベの親友であるアミ・フィリア伯爵令嬢の家だった。
フィリア伯爵家には公爵家に嫌気がさしたのだろうリーベが毎日のように通っていたとは聞いていたが、フィーネまで出入りしている目撃条件がある。
頭が混乱する。
どういう伝手があれば下町の人間のフィーネが伯爵家に出入りが可能になるのか。
ああ、いや、そもそも下町の人間である、という認識が間違っている可能性がある。
私は一呼吸おいて、屋敷の玄関のドアノックを鳴らした。
すぐに執事が玄関を開けて、私を認めて深々と頭を下げる。
「いかがなさいましたか、パシェン様」
「フィーネという少年を探している。この屋敷への出入りが確認されているため、話を聞きたい」
今日だけで「フィーネという少年を探している」と何度口にしただろうか。私の問いかけに、執事は頭を下げたまま口を開いた。
「お嬢様にお尋ねください。私の口からは申し上げられません」
「わかった。では失礼する」
そう告げて、私はフィリア伯爵家に足を踏み入れた。
ちょうどアミ伯爵令嬢が玄関に続く階段を下りてきているところで、私をみて軽く目を見開くと、たおやかに微笑む。
「あら、パシェン様。どうなさったのですか」
「……フィーネという少年を、探している」
再び用件を口にした私に、アミ伯爵令嬢はくすくすと鈴の転がるような声で笑う。
「そうですか。ですが残念ですね。フィーネはもうこの世にいません」
「なに?」
信じられないアミ伯爵令嬢の言葉に思わず視線が鋭くなる。
「フィーネは、貴方が殺しました」
私の言葉を予想していたように、アミ伯爵令嬢は、凍てついた声音で告げた。
その、あまりの言い分に、私は返す言葉を失ったのだった。




