第二十六話・隠された力
「オークを近づけさせるな!!」
誰かが叫んでいる。重症のお義兄様にさらに鈍重に攻撃を加えようとしたオークを誰かが倒した。
けれど、そんなのは全てどうでもいい。
私、は。
私に凭れ掛かるようにして、辛うじて息をしているお義兄様が、ずるりと地面に倒れこんだのを茫然と見ていた。
両手が赤い。お義兄様の流した血だ。真っ赤に染まった手が、お義兄様の出血の量を物語る。
地面にお義兄様の血が広がっていく。赤い血だまりが、白いキャンパスを赤く染めるように、地面に染み込んでいく。
お義兄様が、私を庇って負傷した。
その事実が、受け入れられない。
「どう、して」
「……ふぃー、ね」
「お義兄様!」
偽りの名前を呼ばれる。私はとっさに慣れた呼び名で呼びかけて、お義兄様が伸ばした手を取った。
血に濡れた手。でもまだ温かい手。孤独な世界で、ずっと私の傍に居てくれた唯一の人の手のひら。
「よ、か……た。お、まえを、まも……れて」
「どうして! どうして!!」
絶望の慟哭を上げる。生き残るべきは無能な私ではなく、有能なお義兄様でなければならないのに。
だって、お義兄様は次期公爵で、騎士団の団長で、そして。
(お母様にだって! 会えていないのに!)
心残りしかないはずだ。赤の他人のフィーネを命がけで庇う理由がどこにある。
ぼろぼろと涙を流しながらお義兄様にすがりつく私に、お義兄様は優しげに目を細めた。
「おまえ、は。……いもうとに、よく、にている」
「っ」
たった、それだけ。たった、それだけのために。
私を、フィーネを、庇ったというの。
大きく目を見開いた。ぼろりと涙の塊が零れ落ちて、お義兄様の頬にあたる。
お義兄様はやっぱり柔らかく微笑んでいる。
「りーべ、わたしの、いもうと」
ああ、ああ、ああ!
お義兄様は、私のことを、妹だと。きっと、大切な妹だと思ってくれている。命
を懸けて、面影が似ているだけのフィーネを助けるほどに。
リーベのことを、愛おしく思ってくれている。
その気持ちは嬉しいけれど。私はお義兄様がいなくなるなんて嫌だ。
どんどん地面に広がる血だまりが、お義兄様の真っ白な騎士服を汚す赤さが、周囲の怒号が、お義兄様の命が残り少ないことを知らせてくる。
私は、ぎゅうとお義兄様の手を握り返した。両手で、握って。
祈るように、額に当てる。
「お義兄様、お慕いしております。お義兄様。だから、どうか」
死なないで――。
切実な願い、切なる祈り。
私の人生に意味などなく、生まれてきた価値もなく、生きる理由もわからないまま、それでもただ、愛されたかった。
魔力適性がゼロでも、魔力量がゼロでも、母でも父でも義兄でも。誰でもよかった。
愛して、欲しかった。
その願いが叶ったのに。こんなところで、こんな結末、認められるわけがなくて。
私は祈る、私は願う、わたし、は。
「お義兄様、どうか。死なないで――!!」
心の奥底が熱くなる。心臓がどくんと脈打ったのが分かった。全身の血が沸騰しているように体が火照っている。
今まで感じたことのない魔力の波動を、強く、意識して。
私、は。
「お義兄様が生きていてくださったら、他に何もいらないから。女神様、お義兄様を連れていかないで!!」
信じてもいない、女神に祈り、願い、縋って。
そう、して。
体中の力を放出するように、私は強くお義兄様の手を握る。
「――、ふぃー、ね?」
お義兄様が、驚いたような声を上げる。その声音は力強く、先ほどまでの死相が滲んだ声音ではない。
お義兄様が、驚愕の瞳で私を見上げている。その瞳に、死の影はちらついていなかった。
ああ、お義兄様は助かった。
なぜかそれだけを直感して。
私は、突然襲い掛かる虚脱感に逆らえず、お義兄様の上へと倒れこんだ。




