失礼ですがRIPしやがれマイグレートお父様
「ねえ、シズちゃん。ママにとある一匹の推しがいたことは、覚えとるかね?」
「ええ、ええ、覚えています」
仕事の同僚であり、そして何よりシキシア・シズクの人生においてあまりにも貴重すぎる友人の質問にシズクは即答を返していた。
「なんだかすっかり懐かしい気分に陥ってしまいそうです、モネお嬢さん」
モネという名前の美しい少女に向けてシズクは「んるる」と子猫の甘ったれのような音を喉から発している。
「すでに世紀末その後の世代歴史に記述を残しても構わないほどのエモがぼくの胸を満たしている真っ最中です」
要するに懐かしくて温かい気持ちになった、というだけの事である。
「やれやれ」
モネはあまりにもテンプレートじみた決め台詞とともに呆れの感情を軽く受け流そうとした。
「あいも変わらず君は大言壮語やね」
「そうですとも」
シズクはモネのそれを皮肉として認識しなかった。能動的な選択である。
「ぼくはこう見えてもド派手なエンタメが好きなのです」
エンタメ、エンターテインメント(あるいはエンターテイメント……どちらでもいいのか)。
わたしこと、ルッカ・ルインはそれらに関連するあらゆることに早くも絶望しかけていた。
わたしは今、彼女たちが携帯している冒険式勇者ポケットの内層にて貯蔵されている。
見た目としてはシズクの腰ベルトに小鳥のように留まっている具合、その程度である。
わたしは彼女たちの使い魔である。
わたしとしては「奴隷」の身分を自称したいのだが、提案についての気配をほんの僅かに滲ませただけでこの麗しの美少女たちに異物を見るかのような目を向けられ傷心してしまった。
「やっぱり出会い頭に奴隷契約を結ぼうとするのはあまりに突拍子過ぎますよ」
「せやかてシズちゃん、プロローグで延々と知らんキャラのバッググラウンド語られても飽きられて即おしまいでしょうよ?」
……あまつさえ彼女達の「麗しき副業」のネタに消費されかけようとしている始末である。
……さて、それはさておき。
麗しの魔法少女たちは今この瞬間、平日も半ばの麗らかな午前の陽の光の下、どこへ足を進めようとしているのか?
「えーっと?」
モネがスマホ型に切り取られた魔術水晶に視線を向ける。
「約束の指定場所は……ここのはず、なんやけど……?」
見上げた先、モネの青空のような色の目が映すところ。
そこは1件のファミレスであった。
とりあえず普遍的なデザインと意味合いのファミレスであることを前述しておきたい。そうとしか言いようがないほどに普通のファミレスである。強いて言うならイタリアンが格安で食べられるのが特徴的か?
魔法使いの少女たちはほんのわずかだけ戸惑い、そして迷いを脱ぐまでもなく迷わず店内へと歩を進めた。
着席。そして待機中である。
店の中は5人ほどの利用客で埋まっていた。
そこに2人加えたところで店の設備的に混雑とは言えないだろう。
それとなく通気性の良い空間。
そこで魔法使いの少女たちは待ち人を待つ。
四分ほど経過した、待ち人が彼女たちのもとに現れた。
「やあやあ、やあ……! えっと、その……遅れて申し訳ない」
現れたのは三十歳程度の魔物の男性であった。
見目としてはあまり獣らしさはなく、デミヒューマン系統の体質を有していると思われる。
哺乳類が必然的に持つ肉の匂いがあまり感じられない。
水生生物を下地にした魔物だろうか?
「首都からここまで来るのに結構時間がかかってね」
かつて「東京」と呼ばれていた土地、首都から訪れた男性。
彼は異様にきれいな肌を持っていた。
思わず見とれてしまうほどだった、くすみも淀みも何も無い、強いて言うなら加齢の具合に合わせたシワがほんのりと刻まれているくらいか。
しかしそれらの屈折さえも彼の存在の一部としての意味合いしか有していない。
毎週エステ通いを疑いたくなるほどに、ただひたすらに、異様なまでに彼の肌はなめらかだった。
「お待ちしておりました」
シズクは座ったままの姿勢で男性に会釈程度の軽い挨拶をする。
折り目正しい、を過剰に信仰している気配がある彼女にしては妙にフランクな態度であると、わたしは違和感を抱いた。
まあ、なんとはなしにうっすらと、関係性の予測は立てられてはいるのだが。
「ん?」
もち肌の男性がわたしの姿に気づいた。
念の為、ではある。
念の為、少女たちが謎の男性にネット経由でオフ邂逅しようとしているのだから、やはり、わたしとしては「分かりやすく」威嚇できる姿を演出したかった。
以下の理由にて、わたしは。
「そちらの男性は?」
わたしは今、若干ながら本来の姿をしている。
諸事情、諸々の都合、わたしの肉体はかなり奇妙な作りとなっているのだ。
「見慣れない人だ」
もち肌男性はわたしの目を真っ直ぐ見て、そして礼儀正しく初回の挨拶を執り行った。
「はじめまして、おれ……いや、私の名前はフヲル。フヲル・h・アッペルバウムだ」
わたしは彼、フヲルに返事をする。
「……わたしはルイン。ルッカ・ルイン」
彼の視点が私の頭に流れ込んでくる。
強度共感覚、あまりに馬鹿馬鹿しく不便に相手の心情に寄り添ってしまう。わたしの、……まあ、一応のスキルというやつなのだろう。
フヲルは戸惑っていた。
いくらなんでもいきなり、こいつは一体誰なんだ?
灰色のワイシャツに黒いスーツパンツ。一見してどこにでもいる同業者に見える。
がしかし、どうにもこうにも、どうしようもないほどに違和感がある。
妖艶。ルインの存在全てにそこはかとない妖しさが漂っていた。
いやらしい、という表現を初対面の他人に使用するのはあまりにも失礼すぎる。という、思いやりの心ぐらいはさすがにフヲルも有していると己に確信できていた。
と言うより、自分自身をそんなゲス野郎だなんて思いたくない、そういった願望の方が本懐かもしれない。
とりあえず不必要に相手を不安にさせるのは人間的コミニュケーションにおいてあまりに愚策である。
果てしなく強力的かつ人道的な判断を尊重するべく、わたしは自分の身分を速やかに詐称することにした。
「わたしは……彼女たちのアシスタントのようなものに従事しております」
「はあ、アシスタント……」
「そうなんよ!」
訝るようなフヲルの視線。
即刻の対処としてモネがわたしの嘘の補助を行ってくれる。
「漫画だけの話やのうて、ホンマに生活のすべてを保証されていると言うか、ゆりかごから墓場までと言いますか」
ありがたい。
と同時に表現の過剰さに面食らってしまう。
「そ、それは……?」
共感を必要としないで、フヲルもまたわたしと似たような動揺を胸中に滲ませていた。
「なにかしらの、やばめのマインドコントロールをされているのか?
え、えぇ……大丈夫?」
わたしの正体よりもフヲルは脳内に浮かんだ侵入思考に気を取られ始めている。
「嘘だろ。……いやでも、漫画家とかのクリエイターて結局最終的にへんてこりんなスピリチュアルに傾倒しがちってよく言うからな」
「いやいや、ちゃいますよ?!」
何やら物騒な方向性で勘違いをされていることに気づいた、モネが早急に訂正を行おうとする。
「そう言うんじゃなくて、……あ〜でも生活の殆どを掌握されているのはホンマのことなんやけど……」
しかしいかんせんわたしが原因で嘘が成立するための、その範囲内で限定された嘘を急ぎ拵えるというかなり難易度の高い縛りプレイを強要される羽目になってしまった。
これはいけない、想像するだけでもかなり拷問じみた状況である。
何より、わたしごときのせいでモネ氏を不必要に苦しめるわけにはいかないのだ、絶対に。
「家政婦のようなものですよ」
わたしは努めて冷静にそれらしい嘘を付く。
「家政夫、というべきでしょうか?」
「ああ、うん?」
言語的には同じ語句を繰り返しただけに過ぎない。
くだらない改訂でフヲルの思考力を簡単にかき乱す。
もとより相手は大人、社会人だ。
拾うべき情報を拾う相手の能力にわたしは期待を寄せる。
さて。
「こちらの色男の話はこれまでにしませんか?」
本題の話であった。
シズクはフヲルにとりあえずのところまともじみた提案をしている。
「お仕事の話をしましょう」
そうである、彼は実はとある出版社にて漫画編集者をしている、らしい。
「間違っても汚え大人の詐欺行為のアレコレとかそういうのではないのであしからず」
あからさまに疑いの目線を向けているわたしにフヲルがため息まじりの弁明を行っている。
「っつうかむしろ詐欺られたのはこっちの方っつうか……」
「?」
話がよく見えないわたしに、
「あー……っと」
モネが気まずそうに事情を簡単にまとめようとしてくれる。
「ちょっとばかし昔にプロの漫画家のアシスタントを短期でやって、その時に……ちょっとしたアクシデントが起きちゃって」
モネが若干言葉を濁したのは所謂ところの放送倫理規定という具合の問題と言えよう。
つまりは「殺人」が関わる何かしらの災難が起きてしまったのだ。
モネと、そしてシズク……あとわたしが今この場所に存在しているということは、その災い自体はいずれかの終了の道をたどったのだろう。
そうでなければ……「殺人鬼」である我々が今ここで……。
「姫」
考え事をしていたら、シズクの右の指がわたしのおでこをピンッとはじいていた。
「いたい」
「取引先の前です、貴方ともあろう方がその様な渋面をお作りにならないでください」
「……」
シズクの言うとおりである。
そう、この美しい猫耳少女はいつだって大概において正しいことをナチュラルに選んでしまうのだ。時として自滅的なほどに。
しかしながら、である。
わたしにもそれなりの理由があるのだ。
自分の守るべき娘たちが今この瞬間怪しい男と謎の取引を行おうとしているのである。
これを警戒せずして一体全体「人間」という猿畜生の肉体をどうして抱え続けていられようか?
「なんにせよ、こちらの仕事はすでにほぼ終わってるようなもんなんだけどね……」
わたしの憂いなどまるでお構いなしとでも言う様に、フヲルはさくっと取引を終了へと向かわせようとしていた。
わたしの凝視(あるいは睨みのつもりだった)をフヲル氏は何を思ったか、不安等々の感情として勘違いしたらしい。
「保護者の身としては色々不安なのは十分お察するがね……」
曲がりなりにも漫画を火種にプロとして資本をやり取りしている間柄であり、それ以上でもそれ以下でもないのだと。フヲルは強めの意思を込めた目線をわたしに向けてきていた。
「昨今漫画作品の需要はかつての2000年代前半の人間世界に追いつこうとしている勢いだ」
過去の話をしている。
つまりは、「過去」の範囲内に漫画や小説が「無駄なもの」として唾棄された時期があったという事を暗に示唆していると言える。
もっともフヲル自身にそのような意図はほぼ皆無のようであるが。
「はい、今月号分の原稿はしっかり回収させてもらいましたで」
フヲルは編集者としての仕事をサラリと終了させる。
そして。
「さて」
次の段階へと話を進めようとしている。
「人探しを、また……頼んでもいいかな」
さて。
「というわけで、敵陣の本拠地に座りやがるご本尊へとお祈りしに来たんやけど」
ハルモルニカのモネを名乗る、短めの金髪が実に麗らかな美少女がことの顛末をそのように纏めていた。
「……」
哀れ。としか言いようがなかった。
いきなり事の末尾をネタバレするようで誠に申し訳ないが、実のところご本尊の彼とモネは親子関係にあるのだ。
モネはその事を知らない、と思われる。
尋常ならざる勢いにて察しが良すぎる彼女の事だ、たった一人の肉親の正体くらいは何となく察しているのだろう。
「このまま殺しても良い気がしてきたよ」
……あるいはただ単に相手への敵意にためらいがないだけかもしれない。
わたしはご本尊銅像を目の前にMピストルを構えているモネを取り押さえつつ、己の考えをぐるぐると滞らせていた。
「ダメですよ、お嬢さん」
緩やかに暴走気味な仕事仲間をシズクが静かにたしなめている。
「敵味方以前に、今は純粋にビジネスの取引の真っ最中なのですから。ここは資本主義の醜さにおとなしく身を委ねておきましょう」
要するに金稼ぎのチャンスをみすみす見逃す手はない。という具合である。
「あんたらねぇ……」
敵の魔法使いを自ずから招き入れたとはいえ、フヲル・H・アッペバウムは早くもこの状況に後悔を抱きつつあった。
「いや、敵の主力アタッカーをみすみす自陣に連れ込んできとる俺がどうのこうの言えた義理じゃねえってことぐらい分かってる。分かってる……つもりだが!?」
好き放題くつろいでいる魔法使い少女たちにフヲルはため息を深々と吐き出している。
「とりあえず、こっちに来てもらおうか」
町を歩く、そこはまさに町であった。




