絶、初恋泥棒 その3
「科学世界じゃ中卒までの学歴だとほとんど職が見つけられなかったそうな」
とある迷宮管理業務を主とした会社にて、そこに属する中堅なりたての魔法使いたちが駄弁っていた。
「それは本当ですか! モネさん」
話題を振ってきた美しい少女に勢い良く詰め寄る別の美少女。
「にわかには信じがたいですね……」
話題に興味津々の彼女はかつての人間世界に存在していたであろう学歴社会について想像を巡らせている。
想像力に相応するかのように彼女の長く艶やかな黒髪が柳の葉のように揺れ動いていた。
「昨今の魔界でこそ、ようやく教育機関の構築が進み始めたと言うのに」
黒髪の美少女は「魔界」という単語をごく当たり前のように使用していた。
そして、彼女は先程から話題に耳を傾けている別の存在へと視線を向けている。
「ねえ、ルイさん」
「……」
ルイと名を呼ばれた彼もまた美麗な黒髪を有していた。
少女と異なるのは毛髪の長さ、ショートヘアというスタイルの違いくらいなものである。
とにかく、ルイは記録するように巡らせていた視線を自らの膝の上に、再び戻している。
「さてさてさて」
雑貨屋の扉がカランコロンとドアベルの音色と共に開いた。
店内にて待機していた三匹の視線が雑貨店の出入り口に集中する。
「いやあ~外は大嵐じゃよ」
入ってきたのは天使だった。
いかにも「天使」っぽい身体的特徴を宿したとても若い女性の魔物である。
「人間」的計算をするならば、まだまだ中学生の領域すらも脱しきれていない幼さである。
しかし魔法使いの少女連中は現れた彼女を見るや確固たる安心感をありありと表情に表していた。
「アンジェラさん」
シズクがアンジェラと言う名前の彼女のもとへ軽やかに駆け寄る。
アンジェラの言う通り、店の扉の向こう側は嵐が吹き荒れていた。
ただならぬ嵐であった。
ビュウビュウ、と獣の唸り声のごとき暴風雨が吹き荒れている。
幼さの残る可憐な少女が単騎で荷運びをするには過酷な環境と言える。
が、しかしながら彼女もまた魔物なのであった。
「うちのエンジェル★ウィングがずぶ濡れネズミじゃよ」
アンジェラは軽くおどけながら体に付着した雨粒を動物さながらふるふると体を震わせて払い落としている。
頭、そして胴体の……胴体の?
「羽が生えていやがるな」
ルイに膝枕されていた存在。
言うなれば魔法使いたちにとってのお客にあたる魔物、その人である。
「どうして俺は」
膝枕の上、ルイの視線の真下。
「俺は、死んでない」
「ええ」
ルイが色素の薄い指でさわさわと男性の髪の毛を撫でていた。
一瞬、確実に春のそよ風のような心地よさを覚えていた。
だが男性はその錯覚を即座に否定しようとしていた。
「えーっと……?」
男性はルイの膝枕からムクリと体を起こしている。
本人としては飛び起きるようなモーションを意識しているつもりなのだろうが、しかし肉体のダメージは彼自身が思っている以上に深刻さを来しているようである。
「ッ! っつゥ……っ?!」
上半身を起こしただけで彼の内部に堪えがたい痛覚が走ったようである。
「まだ起きてはなりません」
ルイはリラックスした姿勢のまま、表情の筋肉をほとんど動かさないで彼に忠告をしている。
「肉体の損傷もさることながら、魔力回路の宝石化は看過できかねるほどに深いです。休息の継続が望ましいです」
「……」
男性はじろりとルイの方をにらむ。
当然の視線誘導のごとく、ルイが頭部にいただく銀のティアラが視界に取り込まれていたはず。
ばらの花、その花弁の重なりあいを想起させる装飾。
アクセサリーをしっかりと見ながら、その上で彼はルイの事を、
「姫」の物語をもつ個体を無視することにした。
「まあまあ、なんにせよ」
まだ雨の気配を髪の毛にたっぷりしっとりと残しているアンジェラは、しかしタオルドライもそこそこに彼の方にトコトコと軽やかに近づいていっている。
「な、なんだよ……?」
見た目は人畜無害な美少女であれども、しかしてここは既に立派な魔法使いの工房なのである。
「俺を取って食おうって言うのか」
「アホ抜かせ、ウチには既に心に決めた殿方がいたんじゃよ」
「あっそ、じゃあなにするってんだよ」
「そりゃあ、もちろん治癒魔法じゃよ」
そう言いながら、アンジェラは杖を構える。
割合シンプルな「魔法使いの杖」である。
遠目で眺めればただの細い枝っきれにしか見えないだろう。
しかしちゃんと観察してみれば、やはりそれは御伽世界の技術体系に乗っ取った道具なのであった。
魔界、とも呼ばれる土地。
そこには当然の事のように治癒行為に特化した魔力の稼働方法が構築されている。
「仕組み的には電力の動かしかたとさして変わり無いんじゃけどね」
そう言いながら、アンジェラは魔法使いとして魔法を使う。
そのための呪文を唱える。
声を発している。
限りなく人間のそれに類似しているが、どこか決定的な部分、深く沈んだ領域で何かがが異なっている。
そんな声だった。
〽️わたしを離さないで、わたしを許さないで
……鉤括弧に閉じ込めるべき言葉なのだろう、本来ならばそうするべきなのだ。
しかし少女の放った言葉は音声としての意義をまるで成していなかった。
なにも治療魔法を施された当人、彼だけの逡巡でもないようである。
「……」
アンジェラの呪文に耳を傾けている、ルイは物思いに耽っていた。
熱中するほど集中力を燃焼しているつもりはさらさら無いが、しかしそれでも常人的感覚においては現実逃避の条件を十分にクリアしていると言えよう。
「……」
「あの、そんな熱視線を送られても困るんだが……?」
そう、困り事としてはうっかり視線をあらぬ方向へ、例えば捕縛したばかりの謎の人物に固定してしまい、あろうことか謎の熱視線を不本意に偽造してしまう事がある。
「妃殿下」
シズクが困惑したようにルイへ注意をしている。
「そのように熱い視線を送られてしまうと、捕虜が不必要に興奮し筋力の浪費によって無駄に体調を崩されてしまわれます」
「誰が、人生にくたびれた野郎の凝視でムラムラすんだっての」
ふざけんな、と捕虜の彼はシズクに威嚇をしてきている。
「兵士のイカれクソヤロウ共じゃあるまいし、俺に男のケツ狙うような趣味はねえっての」
「となると……」
アンジェラはいたって真面目に考えている。
「姫君を利用したハニートラップはあまり効果が期待できん……と」
「しれっと仕えるべき主人を人身御供に差し出すんじゃねぇよ」
信じがたいものを見続ける。
彼はやがて諦めたようにため息をついていた。
「あれか……危険地域からの保護と、それに関する負傷の治療を行った、と」
「おやおや?」
モネが彼に向けて軽く驚いてみせている。
「思っていた以上に話が早く済みそうやね。あー……えーっと?」
いつまでも「捕獲対象」呼ばわりをするのに抵抗があるらしい。
モネが呼び名に悩んでいるのを察知した。
「ああ、」彼が自己紹介をする。
「俺の名前はナナセ。ツツイ・ナナセ」
ナナセと名乗る、彼は柴犬のような耳が生えている茶髪の頭部を指でガシガシと掻いている。
魔物の世界、御伽世界では基本的に名字をあまり重要視しない。
社会性かつにおいては固有名詞、つまり名前の方にだけ注目することが多い。
「なるほど、ナナセさん」
モネはナナセの名前を確認したあと、早急に話題を次の場所へと進めようとしていた。
「さて、実を言うと我々はそちら側の事情をある程度収集している訳なんやけれども」
「まあ、何となく想像がつく」
というより、ナナセの意識の大部分はモネの言うところの「情報源」について占められていた。
「セオ」
ナナセは連れ合いの女性の名前を呼ぶ。
「セオ、いるんだろ?」
少なくとも「通常」の視覚においては、その名をもつ女性の姿は確認できそうになかった。
人間の目では、科学的根拠に基づいた視覚では確認できない部分。
本来ならばあり得ない場所。
つまりは、ナナセの影の中からセオは現れていたのであった。
「主さまーーーーっ!」
この世の歓喜は全てここに在り。
そう宣言するほどの勢いでセオがナナセに抱きついていた。
「ご無事でしたか?」
セオはしっとりすべすべとした頬をナナセの首筋にグリグリと押し付けている。
「エロエロな拷問で全身をぬるぬるのベチョベチョにされてませんか?」
「心配しなくてもそのような事態は全く起きてねぇよ、若干肩透かしを覚えるくらいにはな」
冗談はともかく、ナナセは魔法使い側に質問をする。
「俺にプリンセス暗殺を依頼した側の集団について、聞きたいことはあるか?」
ナナセはチラリとルイの方に視線を向ける。
瞬きほどの感覚、常人ならば気づかない程度の目配せであったが。
「……」
ルイは確実に気づいていた。
他人の視線に過度に反応する皮膚をいかして、ルイが自ずからナナセに質疑を行う。
「わたしを殺そうとした人は、恐らくこの世界を滅ぼそうとしているのでしょうね」
「それはそうだろうな」
自陣側であるはずの内密情報をナナセはあっさり教えてしまっていた。
「おいおいおい」
さすがにアンジェラが相手側の事情を常識人っぽく指摘していた。
「そげにサラッと機密情報教えちゃって大丈夫なんかのぉ?」
「と言われてもな」
ナナセは特に悪びれる様子もなかった、むしろどことなく悪ガキのような意地汚さを顔に滲ませている始末である。
「こちとら身内を勝手に人質に取られて脅されただけだし、なんだったら、今回の「事」が失敗に終わったら素直に自警団の世話になろうかと考えていた。その程度だよ」
「主さま!」
ナナセのことをなぜかヌシと敬い慕う、セオが彼の供述にギョッと目を見開き肩を震わせていた。
「ダメだよ! そんなことしたら主さまが捕まっちゃう」
「おっと?」
しれっと開示された新情報にモネが当然のごとくとして身構えている。
「薄々感づいていたけれど、やっぱり表沙汰にはできない素性らしいね」
「おいおい? そこそこ直球に人様を悪人ヅラ呼ばわりしてくれるなこのクソガキ様がよぉ?」
「そりゃあもちろん」
犯罪者と思わしき相手の恐喝に対し、モネは平然とした様子で相手の反応を受け流していた。
「我々としても表舞台でスポットライトを浴びるに値する身分とは思っとりませんて」
「は、」ナナセは軽蔑の感情を浮かべる。
「随分とマセた自己評価なこった」
さて。
「つまりあなたは」
町中を歩きながら、ルイと呼ばれる男性が歩いている。
「犯罪者。この世界に数多く存在する犯罪行為において「詐欺罪」を働いたと」
「そのとおりだ、ruins」
その瞬間、ものすごい勢いで彼は不快な感覚を抱いていた。
「うわーお」
決して良い意味で使われない名称にシズクがびっくり仰天してしまっている。
「時と場合によっては切り捨てているところでしたが」
しかしシズクはそれを選ぼうとしなかった。
そのような事にうつつを抜かしている場合ではないのである。
「敵に囲まれている」
シズクは状況をあえて言葉にしていた。
まるでそうする事によって状況の打開策を見出そうとするかのようだった。
無論、彼女の目論見はほとんど無意味でしかないのだが。
「えっと?」相手に質問を、情報を集めようとするのは小隊のリーダーを担当するモネだった。
「あなた方は?」
モネは現状の手持ち情報からおおよその予想をとりあえず言語化していた。
「……テーマパークの従業員か何かで?」
「違う!」
予想を超える勢いの拒絶、とりあえずモネはある程度の理性を早々に諦めつつあった。
「どうやら殺されるようですね」
シズクは簡単な未来予想図を頭の中に描いていた。
「早いよ、諦めが」
シズクの絶望をモネが手早く否定していた。
「ならばぁ」
アンジェラはけだるげに打開策を考えている。
「いっちょかますかのぉ」
戦闘開始の意気込み。
「いやいや!」
しかしながら魔法使いたちに立ちはだかる集団は戦闘行為をあまり歓迎していないようであった。
「落ち着き給えよ、娘たち」
集団のリーダー格と思わしき若年層の男性が前に出て主張を行う。
「我々はそちら側が捕縛している逃亡犯をこちら側に手渡して貰えばそれでいいのだよ」
「捕縛」
「逃亡犯?」
シズクとモネが相手の言葉にこと細やかに反応を示している。
先輩魔法使いたちの小姑の如き神経質具合はさておき、アンジェラは相手側の要求の仔細について質問しようとする。
まずは自陣の身分証明、なおかつ状況の端的な説明をば。
「うちら……えっと我々はこちらの高貴なる身分の奇人をお守りするために編成された個人部隊でございまして……」
「くだらない前書きはいいんだよ、お嬢さんたち」
アンジェラの自己紹介を遮って、相手側が要求をさらに重ねてきていた。
「そいつは悪質な詐欺行為で大量の犠牲者を出した犯罪者だ。危険だから今すぐにそいつから離れるんだ」
説得、あるいは警告とも取れる言葉の強さが声の端々ににじみ出ていた。
相手側の提案。
しかしてモネは相手側の要求をあくまでも受け入れようとはしなかった。
「申し訳ないですがこちらもすでにこの御仁から契約とその報酬の前払いを受け取って……」
「黙れ!!!」
可能な限り穏便に事を済ませようとする。
モネの社会人的行為が、残念ながらこの場合において最悪の事態を招いてしまっていた。




