真夜中でたらめバーテンダー その2
モニカ・モネという名前の魔法使いの少女がいる。
彼女は偶蹄目の中の乳牛にちなんだ物語を内包した女性の魔物である。
「ミノタウロス」を基軸にした物語を有した魔物であるため、基本的な体力が異常に多いのが特徴であるらしい。
なかでも回復力は目覚ましく、それこそ……。
「かつての侵略戦争が残した戦争兵器の毒牙ですら凌駕するほどの自己治癒力じゃけぇの」
トゥクトゥクに似た具現化飛行用魔法陣を運転するジェラルシ・アンジェラがしたり顔で語る。
「かつておおよその魔物が人間側の科学力、いわば化学薬品の毒性に耐えきれずに死んでいったと言うのに、このお嬢と来たら個体の力のみでほぼ完全に克服しやがりましたけぇのお」
アンジェラの説明にモネは若干の不快感を寄せている。
「気軽にいってくれるけれど、自分だってそれなりに死に際さ迷った訳なんよ」
「ええ、ええ、」
頷いているのはシズクの声の気配である。
クドリャフカが確認できる視野内には彼女の姿は見受けられないが、しかし声はしっかりと近くから聞こえてきていた。
「戦争の残り香との戦いにおいて、モネお嬢さんが敵側に無理矢理その義眼を埋め込まれたときはもう、相手を皆殺しにするだけでは事足りぬと思ったほどです」
シズクは情景を思いだし声をひどく暗くしている。
猫耳の彼女の厄介なところとして「皆殺し」がそれなりに実現可能な範囲内にあることが上げられる。
と言うのは別にいいとして、クドリャフカはキョロキョロと世話しなく首を動かしていた。
「? どしたん、クド兄さん」
自ら太ももの上にちょこんと収まっているイヌ姿のクドリャフカの様子をモネが不思議がっている。
「いや……」
クドリャフカはやがて小さく諦めている。
「シズクの声がさっきから近くに聞こえるんだが、だけど……」
状況的にあり得ない。
何故ならアンジェラの運転するトゥクトゥク型の後部座席はモネを含めて自分、つまり大きめの柴犬のような生き物が座れる程度のスペースしかない。
シズクが座れる場所など無いはずなのに。
「いやぁ~今日もいい天気のはずなんですけどね」
のんびりと呟いているシズクの声は今日のお日柄について語っているのである。
「いい天気のはず、ねぇ」
モネはクドリャフカをもふもふと撫でながらぼやく。
「今日も基本的に晴天とまでは行かない、絶妙な天気やね」
「全くですよ!」
シズクがモネの方に顔を近づけている。
車の天井から真っ黒な髪の毛が降り注いできていた。
「ぎゃあ?!」
大量の黒髪の塊が突如として落下してきた。
クドリャフカは悲鳴を一つまみ、しかしすぐにその真っ黒な塊がシズクのそれであることに気づかされていた。
「天井かよ!」
どうやらシズクは車の天井に居座って同行しているようだった。
「道交法は大目に見て欲しい!
と言うわけで」
モネは座椅子から立ち上がる。
「お目見えだ」
辺りは見事な水面であった。
海水ほどには塩気は少なく、かといって淡水ほどに生き物が自由に住まえる環境ともいえない。
「こう言っちゃ何だけど、カルキ抜いた水道水に似とるらしいよ」
「水不足の世界からいらっしゃった方ならば、まさにこの光景は夢のごとしですね」
シズクの意見にモネは同意する。
と同時に何故か自分自身が困惑するように、右目の傷跡を保護するレンズ式の眼帯をコツコツと指先でつついている。
「問題なのはこの大量の水を消費できる生き物が絶滅しちゃっったって事なんやけどね」
そう言いながらモネは無造作に水のなかをザブザブと進んでいった。
「クドリャフカさんは」
シズクがキョロキョロと視線を巡らせている。
モネは持ちよった旅行鞄を目線で指し示している。
「魔力の節約で電源おとしてもらっとります」
オフ状態のようなもの。
もっと言ってしまえば封印を強めた状態とも言える。
「不満たらたらではありましたが、常時電源オンだと自分の体力がもたないからね」
さておき、モネは周辺を確認する。
辺りは一面の水面である。
空は夕暮れの気配を帯びた柔らかな青色をしている。
遥か向こうにはたくさんの船のようなものがひしめき合っていた。
ガレオン船から最新型のクルーズ船まで、実に一貫性がない船団である。
「あれが全部幻影だとは」シズクもモネと同じ方向に目を凝らしている。
残っている肉眼、右目の瞳孔が野良猫のそれのようにきゅっとすぼめられる。
「にわかには信じられないですね。こうして遠目に眺めているだけでも……」
「だけでも?」
モネに催促されて、シズクは妄想に説明を加筆させられている。
「んるる……なんと言いますか……「人間」が目の前に存在していたらこんな感じなのでは? と言う妄想に浸りたくなるような……そのような緊迫感を、肌に感じます」
人間の魂が水分と同じような質量を持ち得るこの世界において、水の上はほとんどあの世と同じ空気を有している。
そんなあの世の光景に、ひとつ、異様な存在感を放つ群れがあった。
小規模なヒヨドリの群れのような群体。
それは黒々とした人の形を模した何かしらの金属の塊たちであった。
シズクの腰回りで小鳥のさえずりが震えている。
視線を向けてみると、シズクの腰ベルトに差してある武器の鞘に黒い小鳥が一匹羽を休めていた。
「陛下」
ナイフの鞘に留まる小鳥はどうやらルイのオフモード姿であるらしい。
「相変わらずピヨピヨやね」
「ええ、捕ってもピヨピヨです」
モネとシズクが眠り状態の魔王を指先でもふもふとつついている。
魔王であるルイは不満げに黒い羽根を膨らませている。
「わたしを弄んでいないで、そんなことより」
ルイはいかにもマスコット然とした素振りにて、小さい黒い翼で海の方向を指し示している。
「群れがやって来ます。水曜日の群れです」
水曜日と呼ばれる怪獣がいる。
もとはこの世界に異世界転生したりしなかったりした人間だったもの。
あるいはこの世界で人間に人工的に作られた生き物だった、魔物と呼ばれる存在、だったもの。
とにもかくにも過去形である。
もう既に死んでいるも同然だが、「死ぬ」という状態ほどに潔くもない。
実に中途半端な惨状である。
「んん~ん?」
モネが暗い色をした丸いレンズで構成された機械式の眼帯をキルキルと弄くっている。
眼帯越しに義眼を操作しているようである。
「あれは……ああ、野良水曜日の群れやね」
人間に多種多様な個体が存在していたように、あるいは魔物にもその条件が共通していると同様、水曜日にも色々ある。
単純な戦闘力が心もとなければ群れを形成し人間の魂の可能性を食らい尽くそうとする。
「人間はもう絶滅したんで、あとはその残り滓である自分等をペロペロ嘗めるしかない。と言う訳なんで」
モネは海上をうねうねと進軍する塊たちに視点をさらにフォーカスする。
「なんか、やたら金属室だなあ……」
何の事やら?
モネのぼやきについては水曜日がこちら側に近づいて来たことによって自ずと理解できていた。
いや、せざるを得ない、と言うべきなのか?
近くによって来て、さらに仔細に詳細を確認することが可能になる。
となると、彼らの正体が多数の鎧によって構成されていることが判明したのだった。
「大量ですね」
シズクがオーバル型レンズのシンプルな作りの眼鏡の奥にて新緑のような光彩をキラキラと輝かせている。
「あれだけの人間用アーマー、今日においてはなかなかお目にかかれませんよ」
「そうなのか?」
シズクの腰回りからルイの声が発せられている。
彼は今シズクが携帯している日本刀形式の武器の鞘に留まっている。
曲がりなりにも魔界の至宝、「魔王」なのだから、とシズクは常々渋い思いを胸に抱いている。
魔王であれば古城におとなしく鎮座してあれこれ部下に指示を出せばいい。
面倒くさいことや苦しいことは手下の魔法使いである自分に任せればいいのだ。
「そう言うわけにはいかない、いや、許せないと言うべきだ」
ナイフの鞘に留まるルイがピヨピヨと文句を申し上げている。
「わたしは貴女を守るために存在していると言うのに」
ルイの主張としては、そのような感じだった。
「巫山戯ないでください」
シズクは目を見開いて拒絶している。
瞠目するレベル、猛烈で強烈な不快感がシズクの意識を迅速に支配していた。
「魔王の御身を煩わせたら、一体全体ぼくの存在意義はどこに向かってどこに消えて、どこで燃えて死ぬと言うのです?」
「……」
魔王のために死ぬことこそ己の存在意義である。
と、真っ向から反論される。
ルイは語調の強さに少し黙ってしまっていた。
さておき、シズクは近づいてくる鎧の群れについてモネに相談兼質問を重ねていく。
「さておきモネさん、あれらの大群の処置、如何いたしましょう?」
「そうやねぇ……」
モネは唇に人差し指をそっとくっつけ、少し思案に浸る。
「生き物っぽい存在ならまだしも、向こうさんどう見ても肉体持っとらんよね」
「ほうじゃのう」
モネの意見にアンジェラがそれっぽく意味深にうなずきを返している。
「巨大な磁石でもあれば一網打尽なんじゃろうが」
誠に残念ながらそんなものは無い。
なので。
「古の知恵でもお借りしますか」
シズクは左手をキルキルと動かす。
キルキルと動く腕、左側のそこからはとても生肉から発せられるべきではない硬質な音が連続して発生していた。
金属に似た質感の素材を大量に使った義手である。
内蔵する人造魔力回路に大きなデータベースを溜め込める優れものである。
「まあ、うん……その」
モネは、シズクの情報検索の様子を若干居心地悪そうに眺めている。
「そのデータベースと言うのが、まさか魔王本体とは思わんやろうて」
「そうかな?」
何やら意味深なる魔力の回路にがんじがらめになっているのは、小鳥姿の可愛らしくプリティーでキュートな魔王ルイであった。
「わたしとしては、彼女に利用されているこの瞬間の一秒が何よりも尊く甘く、秒針の進軍を心のそこから憎悪する一時なのですが」
「まあ、うん……」
モネはなにかを言おうとして、しかしすぐに諦めていた。
若干の空気読み、遠慮と配慮の苦味を口のなかに含んでいる。
「何でもいいか……。えっと、とりあえず対処法は見つかりましたかね?」
「ええ、それらしきテキストは見つかりました」
シズクは左義手から発生している巨大な本のページ、とある項目に指を止めている。
「こちらのテキスト、現存幻想殺害指南書、によりますと」
かなり攻撃性の強いタイトルであるが、残念なことに著者はいたって真面目に読者の事を案じ考慮した意味を名前に込めている。
本には水曜日、すなわちかつてこの世界にて勇者として魔物たちを狩っていた存在を殺すための、実に様々な方法が考案されている。
実に狂った妄想具合である。
が、しかしここは大迷宮なのである。
大迷宮、因果交流回路においては妄言ですら現実味を帯びてしまう。
なぜならここは幻想と混沌が我が物顔で居座る異常地帯なのだから。
「とはいうものの、ですよ」
シズクは早速指南書に記されている内容に沿った魔法を作っている。
「行動事態はいたって地味なものです」
どのような魔法を作っているのかと言うと……。
「嗚呼~♪ ヤーレンソーラン、ソーラン♪」
アンジェラの手元にて、「ソーラン節」さながらの巨大な漁師網が急遽こしらえられていた。
「繁茂の魔女のお手製じゃけぇの」
アンジェラは自らの魔法の本質を唄いながら、編み上げた網をシズクに手渡している。
「ほいよ、シズ姉さん」
アンジェラの手からシズクは魔法製造の網を携える。
受け取った網はやはり漁師網のそれらにとてもよく似ている。
網目はあくまでも漁業を基準とした作りとなっている。
おおよその食用魚に対応できるであろう網目模様とサイズ、強度である。
取り分け強度においては魔法さながら、並々ならぬ信頼感を自動的に抱かせる雰囲気を醸し出している。
「当然じゃろうて!」
ルイが全幅の信頼を寄せているのに対してアンジェラは分かりやすく得意気に、頭に映えている羊のような角をキランと煌めかせている。
「雑草根性をたっぷり織り込んだマジカル漁師網! これならばデボン紀の巨大魚だろうが一網打尽じゃけぇの」
「それは素晴らしい! 素敵です!」
褒められて伸ばされたいタイプ、たとえ伸び代が期待できなくとも可能であれば褒め称えられたいタイプのアンジェラとシズクである。
「褒められたいならせめて行動しやがれ、ですわよ」
モネは指針を示す。
「作戦開始」
「了解しました」
シズクが網を抱えながら、と、とと、と足踏みをしている。
軍用のそれにも適用が可能な武骨なブーツ。
重厚で肉厚な革製のそれら、あるいは皮膚を隠す黒のニーソックスの下部分。
そこにシズクの魔力が籠る、ぐるぐると回り煮立つ。
鍋の中の水が湯に変わるように、魔力が勢いを帯びる。
すると、シズクの身体に明確な変化が訪れていた。




