ぐったり魔王様
「なにも姫タイプの特性というわけではないんだよな?」
当代の魔王に詰め寄っているイケメンがいた。
通りすがりのイケメンである。
「姫ってすごいよね」
迷宮の片隅の喫茶店。
客席にて美少女たちがひそひそ話に花を咲かせていた。
「今月に入って二通目と言えましょう」
美少女のうちの一人。
猫耳の美少女。腰のあたりまでゆったり豊かに生えている黒髪が艷やかで、耳の毛先はほんのり白い。
オーパル型の眼鏡の奥、エメラルドのように鮮やかな緑色の瞳が好奇心にキラキラと煌めいていた。
少女の手先にはペンが握りしめられている。
Gペンである。かなりの安物、量産型で安定的な補充が期待できるであろう器具を、その少女は道具に期待されるべき技術以上の技巧にて使いこなしていた。
どうやら彼女には絵の才能があるようだった。
いや、それどころの話ではない。
天才レベルの潜在能力を持て余しているようだった。
「なあなあ、シズク先生よ」
シズク、猫耳の美少女、美しい魔物の少女の名前はどうやらそう言うらしい。
ニコニコと微笑むそのかんばせは実に愛らしい。春に丸く膨らむ桜の蕾のような希望に満ち溢れている。
……しかしながら、笑顔を構築している感情の実態はとても美しさ、純真さからはかけ離れていた。
「その顔を見た瞬間、あらゆる「勇者」は姫君に求婚せずにはいられないそうです」
「エグいくらいにデメリットがでかいスキルじゃのぉ」
もう片方の美少女が、猫耳の美少女の名前を呼んでいる。
「のお、シズク先輩」
シズクと呼ばれた猫耳の美少女はけだるげな雰囲気を演出しようとしている。
が、残念ながら内に潜みし好奇心のもとには虚偽など全く通用しないのであった。
「全く困ってしまいますよ、アンジェラさん」
シズクはアンジェラという名前の後輩魔法使いに向けて「やれやれ」とわざとらしい素振りを見せつけている。
「しかし魔王陛下がああしてお暇を弄ばされている間は、ぼくらはこうして「余暇」に浸れるというワケなのでございまして」
無駄に大仰な言葉遣いを使いたがっている。
シズクとしてはルイ陛下が男女関係なしの恋愛関係における困難に陥っている状況が愉快で仕方がないようだった。
「勘違いしては困ります」
シズクは弁明のようなものをする。
「魔王陛下お付きの魔法使いである我が身は、常日頃尽きること無く陛下が安心安全の平和な日々を送られるよう、それはそれはもう、骨身を惜しまない努力をしているわけでございまして!」
「あーーーハイハイハイ」
「オタク」なる特集存在もドン引き不可避の早口自分語り。
シズクの詭弁を制止する、別の美少女の声が介入してきていた。
「口を動かさんで、さっさとネーム考えてくださいよ。板ロス先生」
「先生」の意味を冠する奇妙な呼び名。
どうやらそれはシズクのことを指しているらしい。
注意喚起をしている。その美少女には乳牛のような形状の耳が側頭部に生え揃っており、角は左右に二本、しっかりと爪やすりで磨き込まれている。
肉体を保つ清潔感の全てに勤勉さが見て取れる。そんな彼女を相手に流石のシズクも意識を改めざるを得なかった。
「は、はい! すみません、モネさん」
モネと名前を呼ばれている、牛耳の少女は先程から継続して机の上の書類に視線を固定させ続けていた。
書類といえども事務的な文章列のそれらとは大きく異なっている。
仕事として金銭が関わる大事な紙類、には変わりないのだが……。
「漫画の原稿か? それは」
男性の声が聞こえてくる。
若い魔物の女が三匹、揃いも揃ってマンガ原稿に食らいついている。
異様な光景ではあるが、しかしまあまあありふれた光景でもある。
要するに彼女たちは漫画を描いている、ただそれだけのことだった。
ただとにかく異様なのは熱量というものなのか……有り体に言えば情熱の具合が異常であった。
異常にやる気がない、……であればまだ救いのようなものが存在していたかもしれない。
しかし誠に残酷ながら現実は非情であった。
妖しき魔物の美少女共の作業への熱量こそ異常で、非日常のそれらそのものでしかなかった。
モネが背伸びとともに事情を説明する。
「お世話になっとる出版社が系列する小さな展示即売会が先に開催されるみたいでね、そこにうまい具合の作品拵えたらええ感じに参加させてもらえると」
つまりのところ面白い漫画を用意したら販売権をくれてやる、ということである。
「それはまた……」
問いかける男性の、獣のそれとしか呼びようのないふわふわの耳がピクリと不安げにヒクついている。
「近代文明にしては随分と野蛮……っつうか、その……ワイルドな販売経路だな?」
「致し方なし、ですよ。クドリャフカさん」
シズクが彼を慰めようとしている。
「科学文明やインフラストラクチャーが二千年代前半日本国と同様に機能していたとしても、そこはやはり戦後の混乱時期であり、更に言ってしまえばそもそもここは……」
「人間界じゃないんだ」
魔王の声が聞こえてくる。
と同時に、魔王はクドリャフカの体をスッと抱きかかえていた。
「クン」
クドリャフカは思わず犬のように鼻を可愛らしく鳴らしてしまっている。
犬のような……という表現はしかしてクドリャフカにはふさわしくないのだろう。
と、魔王であるルイは常々思っていた。
「ごきげんよう、クドリャフカ殿」
ルイは貴婦人のような挨拶とともに、クドリャフカのフカフカの体を撫でていた。
ナデナデと巧みなフィンガーテクを駆使される。
「うぐぐぅ」
クドリャフカはルイの腕の中でビチビチと暴れ狂っていた。
「や、やめろ! 俺をナンパの逃げ道に利用すんじゃねぇ!」
流石に敏いクドリャフカである。
手前がたった今軟派行為の逃げ口に利用されていることをすぐに理解していた。
要するに犬を撫でに、魔王目当ての軟派男から逃げてきたのである。
「魔王と言うよりかは、姫と言うべきなんだろうね」
だが軟派男はそのような予備なの問題を使いながら、なおも魔王陛下ににじりよって来ているのであった。
「酷いじゃないか」
伊達男と草食系男子を雑に混ぜ合わせたようなイケメンであった。
素面で出会えば少女たちもそれなりに浮き足たっただろうが、しかし残念ながら今は仕事の内である。
「ちょっと困りますよ、事務所通してくれんと」
「え? 事務所」
「すみません、それっぽいこと言いたかっただけなんよ」
モネの冗談は、半分は本当の意味合いを有していたのだろう。
しかし裏腹には策略があるようだった。
頓珍漢な自己紹介で相手の意表を突く。かなりヌルリとした質感の先手攻撃であった。
本質的に恐ろしいのは、モネがその牽制をほぼ無意識にて行ったことだった。
「……」
クドリャフカは慌てているモネの姿をジッと見つめている。
実際のところ場面の支配権はゆったりと静かに、夏の日差しの川面のように温く支配されていた。
「はあ、そんなに若いのに魔法使いなんだ」
相手の男もしれっとモネの会話の内輪に引きずり込まれていた。
本人にしてはただ質問をしているだけなのだろう。
しかし、とクドリャフカは考えている。
魔界、それも「魔法」という混沌の技を極める界隈において、質疑応答はある意味世界の根元に触れるレベルにも至れる行為なのだ。
食が生を繋ぎ、眠りが心を癒し、生殖が種を継続させる。
それくらいには大切であり、同時に無意識的に為されるべき行いなのであった。
ともあれ、モネの潜在的な才能による技巧にてそれなりに速やかに相手の男の情報が剥かれようとしていた。
年の功は「人間」的換算で言えば中年の枠がようやく坂の上に見えてきた頃合い。
二十代後半だったか、あるいは三十の始めか。
科学世界に生きる人間、それも二千年代前半ほどの科学、ないし医療文明が発達していた場合とする。
そうだとすれば、彼の年齢は箸にも棒にも引っ掛からないただの若造、だったのだろう。
年代的な情勢や経済状況が人間の育成に大きく関わるであろう状況を踏まえたとしても、しかしそれらの考慮はクドリャフカの憂いに組み込まれてはいなかった。
「あなたが何を考えているのか、当てて見せましょうか?」
魔王であるルイがクドリャフカに微笑みかけている。
今日は体の調子がいいのだろうか?
髪色は墨のように黒々としている。毛づやは香油で整えたように艶やかだが、魔王が言うには「大体ワゴンにあるシャンプーで洗っています」だそうだ。
確かに匂いを嗅ぐとあまりよい匂いとは言えない化学物質の香りしかしない。
がしかし、それにしても……。
「実に芳しい髪の毛だ……」
どうにかこうにか無理矢理に美少女たちの質疑応答から逃亡してきた伊達男が、不用心にも魔王の髪の毛に鼻頭を寄せているのであった。
「おえ」あたかも恋人同士の挙動のようなそれにクドリャフカは吐き気を覚えている。
「恋愛観が人間のそれとは違いまくってるって言われても、こう実際に見せつけられると……結構吐き気にクるな……」
「致し方ないんよ、クドリャフカのお兄さん」
気分が悪そうなクドリャフカの背中をモネがもふもふと撫でている。
「侵略戦争の間、取り分け魔物の社会ではほとんど男の人が戦争に駆り出されて、ましてや「人間」に奴隷のような扱いを受けていて、水商売を利用することすらままならんかったわけで」
女を好き勝手自由に犯せず、かといって肉欲は凝る。
となれば。
「近場で済ませとったんじゃよ、男も、当然女もな」
アンジェラは「やれやれ」と肩をすくめている。
一番年下、幼いであろう彼女が摩れた諦観を持っているのにはそれなりに理由がある。
「灰の笛でお嬢んトコで世話んなる前は、軍人用のお水の方々の護衛さ勤めさせてもらっとったからのぉ」
もっと直接的な言い方をすれば軍人用の娼婦の護衛をしていたのである。
なんでも幼い頃に命を助けてもらった女性がそれ関係の館主をしていたらしく、一人立ちできるまではずいぶんと世話になったらしい。
「むしろ静寂の時代においては女性同士の肉体的繋がりのほうがメジャーになっとる次第じゃけぇ」
もとより魔物である。
人間とは違い、科学的な生殖に依存した思考や理念が酷く希薄であるらしい。
「だからまあ」
シズクがゆっくりと歩いている。
バレエのステップのような足取りだった。
「魅力的な男性となれば、サバンナにクロマグロを丸々一匹放り投げられた時の飢えたライオンのような視線を向けられたりしたも、それは仕方のないことなのですよ」
同時に、戦争と言う環境が女の魔物の攻撃性を強めすぎてしまった。
という荒唐無稽な予測をクドリャフカが考えてしまうのは、次に目を開いた瞬間に伊達男がシズクに襟首を捕まれ弄ばれていたからであった。
「……」
シズクは魔王陛下に近づく不埒な輩を排除していた。
未然形でも現在形でもない、すで過去形である。
左手の義手。表皮カバーもなにもないメタル部品が剥き出しな義手はシルエットこそ体格に合わせてスマートではあるが、外殻から内部構造に至るまで軍事兵器さながらの機能性が詰め込まれている。
とても二千年代前半の科学技術では到達できないほどの機能性。
科学世界の終末期に構築された高度科学技術のおこぼれ。そこに魔道機構をほどよく組み込ませた、半ば生身以上の強度を誇る義肢と為っている。
「魔道武器だと?!」
伊達男がシズクの腕を見て驚愕している。
現状の魔界において戦争の惨禍はまだ完全に払拭されてはいない。
当然戦時中に活用された兵器などは公的なグループである魔術師たちが管理していると、表向きはそう発表されている。
「闇ルートか……!」
伊達男の、シズクを見る目が一気に敵対と警戒心のそれに変わる。
見てくれは可憐な少女であろうとも、初手にて自ずから「魔法使い」を自称しただけの事はある。
そう、暗に吐き捨てるかのような状況であった。
「……」
シズクはほとんど身体的労力を消費すること無く、まるで羽虫でも潰すかのような要領で伊達男を壁際に叩きつけ、そのまま拘束した。
「警告は、すでにぼくの上司が通達を何度も繰り返しました」
一方的な通告だった。
過失は全て貴様にある。と、シズクは眼鏡の奥の視線で相手を刺し続ける。
伊達男は、現状はまだ降参しようとしていなかった。
先程までの軟派な様子とは大きく異なり、剣呑な気配をすでに自己に確立している。
「警告か。にわかには信じられなかったが……」
伊達男は視線だけをモネの方に動かす。
視線の鋭さにモネが警戒し、携帯する銃に手を添える。
「せいぜい武器を携えた金持ち嬢さんぐらいかと思ったが。だが、こんな劇物を付き従えているとなると、カタギの線は潰えたってことになるな」
抵抗として男はシズクの左手首をつかもうとしたが、彼女にネズミのように壁に叩きつけられそれも無駄に終わる。
「警告内容がご理解できなかったのならば、誠に恐縮ながらぼくから再度通達させていただきます」
シズクの、相手に対する言葉遣いはどこまでも丁寧で、ただそれだけだった。




