救われなかったドMやろう その3
勇者は謝っていた。
「二つ、あなた達に謝らないといけないことがあります」
「はあ」
シズクは皆目見当がつかないといった様子であった。
「勇者様が謝罪なされるとは、これはいったいどのような非常事態で?」
まずもって前提しなくてはならないのは、シズクは決して皮肉を込めて勇者を挑発している訳ではないという事実である。
「いまこの瞬間に出会ったばかりですのに、いったい何の失礼があるというのでしょうか?」
少女は割合本気で疑問を抱いているようだった。
つい先程まであからさまに「勇者」の一味である可能性が高い敵に内蔵を潰される勢いの攻撃を受けたばかり、にもかかわらず、である。
記憶障害でもあるのだろうか?
「それは、僕の仲間が貴方をひどく痛め付けてしまったからであって……」
勇者はシズクに向けてあえて直接的な表現を割けつつ、質問対象の記憶の有無について確認しようとした。
勇者としては暗に記憶が消滅してくれれば、あとはこの場をごまかし取り繕わなくてはならない要素がひとつ、確実に消滅するという証明になる。
そのはずだった。
だが、事は彼の思惑通りには進んでくれないようだった。
「ええ、ええ、お仲間様のお陰さまでお腹から子宮のあたりがひっくり返ったように不快感に満たされております」
そっと腹部に手のひらを添えるシズク。
その動作はさながら受胎告知のごとき神聖さがどうのこうの。
はて、所作の美しさはどうでもいいとして、シズクはどうやらクルミの所業についてはさして気に止めていないようだった。
それこそ、勇者に分かりやすく指摘されるまでにはすでに忘却という名の記憶の廃棄所に事実を放り込む気配さえある。
「気にしていないのですか?」
信じられない、といった様子で勇者は魔物の魔法使いの事を見つめている。
珍しいモンスターを見つけたというよりかは、場違いにおぞましい造形の敵に遭遇してしまったかのような怯えが見てとれる。
しかしシズクは目の前の相手の恐怖に気づかないでいる。今は勇者のご希望通り、自らに攻撃を放った敵への共感を高めようと努力している真っ最中であった。
「ええ、ええ。クルミさんのお気持ち、行動原理、理念……とまで踏み入れるかどうかは分かりませんが、しかしそれらに近しい理由ならば、愚鈍なるぼくにも察せられるものがありますよ」
「といいますと?」
日常会話のように、シズクは他の誰かの事を思いやっている。
「勇者を復活させ姫を救うという目的があり、その邪魔になるものを排除する。とても丁寧な仕事だと思いますよ」
あともう少し、もっと丁寧に作業を詰めれば確実に殺せたはず。
「経験値上の計算ではニターンほどの攻撃で戦闘を終了させられたはずです」
感謝をするように、敬愛をこめて、シズクは他の誰かの事を思いやっている。
「勇者様、貴方の下僕はとても心がお優しい。たかが魔物一匹殺すのに、躊躇い続け、結局はトドメを刺せずに戦闘を終了させてしまった」
最近流行りの殺さず主義の主人公気取りだろうか? シズクはそう考察している。
「どうして」
勇者は無表情で質問を続けていた。
「殺そうとした相手に同情するのですか?」
どうやらこの勇者はずいぶんと聞きたがりらしい。シズクは少し不思議な気持ちになり、しかし物語の主人公である勇者を待たせるわけにはいかないと、ひとつひとつ、丁寧に答えを返そうとする。
「彼は仕事をしようとしただけです。そしてそれは尊ばれるべき仕事でした」
何といっても勇者をお助けする仕事なのだ。
勇者が姫を助けるということは、魔王を殺すこと、すべての魔物を皆殺しにすること。
「ええ、ええ、そうすれば再び人間は世界に繁栄し、魔法などというカオスの汚れは排除され、秩序の美しさが甦るのでしょう」
希望的観測ではあるが、可能性はかなり高い。
「貴方はそれを望んでいる?」
質問に答えようとする。
だが、その前に少し考えを巡らせているようだった。
少し悩んで、シズクはかぶりを降る。
「若い頃はそのような夢想を致したこともございました」
十六歳程度の肉体年齢、最大数が小さすぎて若いという基準も本来ならば通用しない過去の事を思い出している。
「しかしとある素敵な女性に恋をして、ぼくはそのような夢を捨てて魔法使いとして、ひたすら魔法という混沌を作り続ける道を選びました」
土曜の午前に放送されてそうな、夢見る若者を編集済みに応援しまくる爽やか番組のような気配で、シズクは自らの目的を語っている。
うっとりしつつも、お客様の手前シズクはすぐに気を取り直している。
夢見心地に浸りすぎた自覚があるため、頬は羞恥心に紅く、熱を伴って染められている。
勇者は、解くに表情を変えることなく、最後の確認をする。
「貴方は、自分が殺されてもいいと、目的のためなら殺されてもいいと、そう思っている?」
正直な話、魔王の片割れであるルイの方は最初から勇者が少女にたいして怯えを抱いていることに気づいていた。
「貴方は殺されるべきではない」
「いいえ、ぼくはそう思わない」
「なぜ?」
「ぼくは死ぬべきだと思っている。理由は、ぼくはすでに自分で死ぬことを選んだあとだからです」
「どうして、そんなことを?」
「自分が完璧に無価値で無意味あると確信したからです」
シズクはしっかりと自分の意思を込めて自己主張をしている。
「どうしてぼくのために他の誰かが苦しまなくてはならないのか? ぼくを助けるために誰かが苦しむかもしれないという可能性が、どうしても辛かった」
言ったあとで、シズクはすぐに言い直す。
「いいえ、いいえ、許せない、そう思ったんです。
完璧などという事態が世界に成立することはあり得ないとは思っていますよ、ぼくだって。
ですが、信じずにはいられない」
その瞳の輝きは流れ星に願い事を託す子供のようだった。
「考えずにはいられないんです。いつから始まったかは分かりません。この考え方が間違っていることは、自分でも分かっているつもりです。ですが、止められません。
勝手に動いてしまうんです。まばたきをするのと同じくらい、それはぼくにとって自然なことなんです」
無意識に刻み付けられた自殺願望、と呼称するのが精一杯だった。
意識の形成と同時、いや、むしろ無意識の状態、赤子の時点で暗に死を望まれていた。
なぜなら魔王になれるから。
人間を望む存在に、魔王は必要ない。
勇者は考える。
直接的でないにしろ、あるいはしっかり言葉や行動に表したとして、頼るべき大人に死を望まれた子供がどうなるか?
考えたくないが、考えないといけないと、勇者は考える。
「殺人と変わらないじゃないか」
考えた果てに、勇者はおぞましくなった。
「生まれもっての魔王がどこにいるというんだ? いるわけ無い……貴方はただ環境に殺されただけだ」
「そうでしょうか?」
シズクは、だんだんとこの話題に辟易とし始めている。
「まわりに言われたからといって、自殺を望むほどの愚か者だらけだとしたらこの世界は滅亡してしまいます」
自分の事を話すのが、自分の事を考えるのが酷くつまらなくて仕方がない。
「あるとしたらぼくだけに理由があるのです。死ぬことを選びやすい何かがぼくにあっただけです。きっと向いていたんでしょう」
生きることを望む個体がいるとして、それが基準であることは間違いないのだろう。
だが基準にすべての個体が当て嵌まれる訳がない。
「工業製品ですら、不良品が生じてしまうというのに!」
シズクはケタケタと笑っている。
結局のところ、たまたま死にやすい性質の脳と肉体を持つ子供が、運良く死ぬべき存在になれた。
子供の回りの大人もそれを望んでいた。
なぜなら、魔王は殺されるべき存在だから。
「ああ、ぼくがそれでも魔王を生かそうとした理由については……」
「ああ、それは先程聞きました」
クルミを介して、一匹の魔物が魔王を無理矢理生かした理由はすでに知っている。
「ああ。ああ。」
勇者は何となく察してしまった。
強い共感能力が、この勇者に与えられた個性、いわゆるチートスキルのようなもの。
「そして、君にも欠片だが、僕と同じ思考が流れている……!」
勇者は、この場ではじめてシズクの目をしっかりと見つめた。
見て、途端に嫌悪感たっぷりの表情になる。
その表情の動き、筋肉や皮膚の湾曲、歪み。それらの動作のひとつひとつがシズクにはとても見覚えのあるものだった。
鏡で自分の姿を見た瞬間の、あの不快感を抱いた表情。それにとても良く似ている気がする。
「死にたがりの魔王が、なぜ、混沌の世界を望むんですか?」
「生きたいという理由ができたからです」
即答。
あっけない答えに勇者は面食らっているようだった。
「理由を聞いてもいいでしょうか?」
「え?!」
展開は予想できるが、しかし実際に直面するとなるとシズクは気恥ずかしさにしどろもどろになる。
一貫して自らが死の危機に瀕していることは関心の外側、刺身のバランをプラゴミに捨てる程度の興味しかない。
「それは……初恋の女性が素晴らしい魔女でしたから。彼女に憧れて、同じ魔法使いになって、すごい魔法を作りたいと」
「はあ?!」
ここへ来て勇者がようやく若者らしい音程で怒りを露にしていた。
「さんざん子供の自殺願望を聞かされて、結末が色恋沙汰って……」
これだから魔物は……。
怒りを膨らませたあとで、賢い勇者はすぐに後悔の念を抱いている。
「あ、いや……生きる希望ができたのは、素晴らしいことだけれども」
しかしたったそれだけで死にも値する呪いが解けるものなのか?
それらに関しては、シズク自身も思うところがあるらしい。
「正直ぼくにも良く分かっていません」
少女は、未だに自分が生きている意味を見つけられない。
「強いて言うなら心ですよ」
美しいものを見たときの甘美、快感、快楽、オルガズムにも似た感動。
「意味を忘れるほどに、美しさに見惚れてしまったんです」
まさに愚者の選択。
己のエゴのみで、生命に刻まれた意味を殺し続けている。
「ぼくは魔法を作る。
誰かの心を不安にさせたり、怯えさせたり、深いにさせたり怒らせたり。
……そうすることで」
シズクは右手を構える。
「そうすることで、憧れている美しさに少しでも近づきたい」
「我が物にしたいと?」
勇者も右手に力を込める。
互いに動作を止めないで、シズクはあらかじめ質問への回答を済ませておく。
「いいえ、美しさは手に入れるものではない。求め続けて、考え続ける。妥協せず、丁寧に丁寧に思考を巡らせる。命が続く限り、ぼくは美しさについて考え続けていたい」
死が明日、あるいは二秒経過したあとの世界に自分に訪れたとして、それはそれで彼女にとって本望なのだろう。
とはいえ、魔王は生かし続けたいし、魔法もまだまだお粗末なものしか作れない。
死ぬべき魔王が、「魔法使い」になってしまった。
死にたくない、どちらかと言えば生きていたい。
その程度の理由ができた。
「これも感情か」
勇者はため息をついた。
質疑応答の繰り返しに、歴戦のチート能力を持つ彼もかなり疲弊してしまったらしい。
「もとより、自殺志願者に延々と共感し続けるっていうのは、どうにも骨が折れるよ」
「それって、ザラキを延々とかけ続けられるみたいな感じですかね?」
「いいや、君はまだザキ程度だ」
と、好きなRPGゲームの世界観に浸っている場合ではないのである。
「何にせよ」
勇者は納得のなかでゆったりとまばたきをしている。
心穏やかな雰囲気。
「一応敵陣の総本山の行動原理は、ちょっとだけ? 理解できた分、潜入捜査としての成果は必要最低限クリアできたといえましょう」
「はぐれメタル」を延々と探して、結局周辺のモンスターを律儀に丁寧に倒しすぎて三つほど勝手にレベルアップしてしまったような感覚。
「効率悪いですね」
シズクはようやく不可解そうにしている。
「敵が死を望んでいる事を知ったとして、それをうまく利用した精神攻撃はすでに何度も食らってますし。この先あなた方が利用しやすい手段足り得る情報とはとても思えませんが」
「それに関しては、僕もそう思うよ」
この情報は全く無意味である。
「少なくとも、敵の攻略という意味ではね」
「んる?」
今度はシズクの方が疑問を抱く番であった。
小さく首をかしげる動作。
その可憐さに勇者は思わず「ふふ」と笑ってしまう。
そして答えを返す。
「友達になれるとしたら、これほど共通の話題もないよ」
共感できる事柄。
怯えると同時に驚愕していた。
まさか同類がいたとは!
「僕もずっと、気がついたらずっと、いつからか分からない時からずっと」
願っていた。
「自分なんか死ねばいい」
シズクは驚いている。
「それはそれは」
少しだけ可笑しくなる。
「奇遇ですね、ぼくもいっしょです」
楽しそうにしている。
「ふざけんな」
また声が聞こえる、クルミの声だった。
彼は酷く怒っているようだった。
「何してんだよ……!」
意識を失っていたはずだが、しかし彼には今までのやり取りがすべて把握できているらしかった。
「笑いながら自殺について考える馬鹿がどこにいる……?」
「ここにいますよ、クルミさん」
勇者はクルミをそっと抱き抱えている。
まるで赤ん坊を扱うような手付きで、慈愛を込めて抱き上げている。
「生きることを強く望む誰かが、同じくらい死ぬことを強く望む瞬間を理解できないのは、仕方の無いことです」
それでも。
と、勇者はクルミという名の魔物に話しかける。
「貴方は自分の命を賭してでも、「だれも死ぬことを望まない世界」を作り上げるのでしょう?」
それが、クルミという名前の魔術師の願いだった。
「心さえなくせば、痛みも淀みも凝りも苦しみも、死だって、分からなくなる」
曖昧の世界、そこが彼らの願いの果てである。
「おやおや」
シズクは喜びに満ち溢れた笑顔で、魔術師の存在を肯定していた。
「感情によるカオスの世界を否定為されるとは、これはもう、見事なまでにぼくの願い事と相反する内容でございますね!」
「ああ、まったく」
勇者様は安心しているようだった。
「自分の願いが否定されることが、こんなにも嬉しいなんて!」
感慨深そうにしている。
「素晴らしい」
勇者は歓喜する。
「きっと、僕の材料になってくれた「彼」もお慶びに……──」
「なるわけ無いだろう!!」
クルミが、ついに堪えきれなくなり勇者に向かって絶叫していた。
悲鳴に近い声色だった。
「試作品4423!」
クルミは勇者のことをそう呼んだ。
「お前の自発的な発言を、これ以上許容することはできない」
ある意味、ある種、ある場合、神様足り得る存在に命令を下している。
「ふむ……」
敵の様子から、魔王であるルイが対象の状態についてを想像している。
「本物にしては人間味に溢れ過ぎているとは思っていたが、よもや」
「どうしました? ルイさん」
シズクはルイに質問している。
ルイの姿は、肉眼では視認することができなかった。
「おっと」勇者が軽く身構えている。「おしゃべりに夢中になり過ぎてしまいましたね」
煌めきが走る。
それは一振のナイフだった。
魔王の魔力、攻撃性、生命力、おおよそにおいての存在意義、それらすべてを凝縮している。
水晶で拵えられたような姿。
ナイフを握りしめて、シズクは逃げようとしている敵へと襲いかかる。
重力に逆らった動き。
いや、むしろ重力という概念を忘却しているような速度であった。
しかし目にも止まらぬ速度であったとしても所詮は魔物、勇者の前ではターン制バトルの空き時間のようにしか見えていなかった。
「おっと!」
剣が現れる。別の刃物、豪奢な造りの両刃剣。
剣を盾として利用しつつ、勇者は左に構えたその武器に力を込める。
エネルギーを伴った衝撃波。
魔物の持つ魔力とは圧倒的に異なる。この世界にとっては限りなく不可解の領域に属する力。
強いて言うなら聖なる力とでもいうべきなのだろう。
実に勇者らしい、彼らはナイフを持ったシズクをまたしても壁に叩きつけている。
バンッと壁にぶつかるシズク。
「……っ」
しかし今回はある程度受け身を整え終えている。
意識を失っていない状態であれば、少女にとって壁に叩きつけられる状況など日常茶飯事であった。
攻撃を主体としていない、どうやら勇者ご一行はこの場からの退避を画策しているようだった。
「致し方ありません」
勇者が少しだけ悔しそうにしている。
経験値を1ミリも得られること無く退散するのは、「勇者」としてはとても心苦しいようだった。
「あ」
勇者は最後に小さく思い出していた。
「名前を言うのを、忘れていました」
思い出した時点ですでに勇者は緊急避難用の魔術を展開していた。
「僕の名前はユー。アンドウ・ユー。「勇者」の複製、偽物、紛い物」
にせ物勇者はクルミと共に、以上魔術で魔王城から退散していた。




