ルシフェル、イタッ(°д०॥)✷✸ショッピング
まず持って大惨事を防がなくてはならない。
その必要性に駆られていた。
モネは相手を牽制しようとする。
「落ち着いてくださいませ」
獰猛なけだものをなだめるように、懸命な努力を行っている。
徒労に終わろうとも、こんなところで世界を滅ぼす勢いの惨劇を繰り広げるわけにはいかないのである。
「そない怖い顔しんといてや、ねえ?」
モネは牛の耳をびくびくと震わせながら、果敢に相手に挑む。
「ねえ、ルイさん」
味方に警戒心を抱かれているのは、その陣の中心点であるはずのルイそのものであった。
「…………」
彼は、「魔王」である彼は怒り狂っていた。
必ずかの傍若無人を許すものか、悪逆のすべてを賭して己が敵を必殺せしめんとしている。
「……っ!」
魔王の金色の眼光に射抜かれた。
エルメル・ミミロと言う名の相手側の剣士は殺意の質量にたじろぐ。
エルフの血族として百年を超える日々を戦いの中に置いてきた。
しかしそれでも、本物の「魔王」の抱く殺意がこうも強烈であるとは。
「まったく……」
ミミロは身につけている仮装束、クラシックメイド服にしか見えない、服の裾を踏み潰したくなる。
「忌々しいな……絆というやつか……?」
ミミロの問に魔王、ルイが答える。
「そんな薄い言葉で片付けるな」
感情を極力抑えようとして、しかし全く上手く出来ていない。
嫌悪と憎悪がこれでもかと、まるで流行っただけのパンケーキの上の生クリームのように過剰に盛り込まれている。
「ああ、もう……めんどくせぇ」
相手を罵倒しようにも、しかしミミロにはそれがどうしても上手く出来ない。
彼には、この状況に対して、あまりにも身に覚えがありすぎていた。
「情念か」
エルフの問に魔王が再び答える。
「いいや、ただの愛だよ」
魔王は相手を殺そうとしていた。
皆殺しも是非もなし。
「わ、あああ!」
怯えきってしまっているのはサラリーマンもどき、つまりこの状況の主たる原因であった。
もどきは問題の渦中が己に含まれていることにも気づかないまま、ただ魔王から発せられる強烈な魔力の質量に失禁寸前になっている。
殺されるとでも勘違いしたのだろうか、もどきはもう一方のお供に命令をしている。
「と、クルミ!」
クルミと呼ばれた、一見して人間のそれにしか見えない外見を持った変わり種の魔物が返事をする。
「はい?」
もどきはクルミという名前の、今度こそ本物風味が濃い目のサラリーマンに命じる。
「召喚獣、そうだ、召喚獣を出せ!」
「それは」
クルミは命令に承諾しかねるようだった。
「危険すぎるな、色々と。
それに」
焦げ茶色、科学世界におけるモンゴロイドに広く一般的に現れやすい遺伝的特徴の色彩にて、手元の大きな布袋のようなものをじっと見つめる。
「彼も今日は、なんとはなしにお腹の調子が悪そうだし」
そう言って、布袋だったものの中身が顕になる。
きゃあ、と遠巻きに避難していた人々が次々に悲鳴を上げている。
「勇者だ」
誰かがそういった、誰もがそう思っていた。
魔物ならば直感的に理解できてしまえることだった。
まず恐ろしいと思う、銃口をこちらに向けられれば死を意識したくなる程度の関連性。
そして、圧倒的に自分と異なる存在であると理解してしまう。
石を見れば石と思って、それは自分とは同じでは無いと理解できる。
ましてや青空を見て、誰が自分と同一の存在であると納得できるものか。
違うものは違う、そして異なる対象は魔物たちを殺すために存在する、神よりも恐ろしい存在。
「それが「勇者」なんじゃよ」
周辺の人々よりはいくらかだけ冷静な魔法使いたち。
そのうちの一匹であるアンジェラが、シャボン玉のようにきらめく触覚をツインテールの根本からひょこひょこと動かしている。
「もっとわかりやすいのやと」
モネが視線で彼、トーヤの左目を指し示している。
「眼球などの視覚器官に目印の文様が、ほら、あのように」
確かに勇者である彼の目には魔法陣をかなり簡略化させたような文様が刻み込まれている。
「おやおや珍しい」
若干の白々しさを込めて、クルミはトーヤの機嫌の具合について確かめている。
「勇者であるこのお方が自発的に目覚めるとは、近くに魔王でもいやがるのだろうか?」
図星であると、しかし魔王そのものであるはずのルイよりも、勇者は床の上でゲロとコーヒーまみれになっている雑魚魔物に注目しているようだった」
「あー」
地を這って、シズクの方に近寄ろうとしている。
気絶する彼女をどうするつもりなのか、それは勇者だけが知っている考え事。
想像するまでもなくルイが先に行動をしている。
「……」
眉間に深いシワを寄せる。
苦悶とも取れる表情で、ルイはトーヤの頭部を思い切り踏みつけている。
「あぅ」
言葉を発せられないのか、あるいは意識が酷く混濁しているのだろう。
勇者は何も出来ないまま、動きを抑制させられてうめき声を漏らしている。
「あーう」
まるで乳をねだる赤子のよう。
魔王を殺すことを望む、そんな勇者にルイは話しかけている。
納得させるように。
「たしかにわたしは魔王だが、しかし権威は半分だけ彼女に受け持ってもらっている」
自分にはもう、魔王の座を保有しきれる器は残されていない。
「それは当然、彼女にも背負わせる気はない」
ルイは苦しそうにシズクの方を見ている。
そして勇者の方に視線を戻す。
「勇者であるあなたなら分かるだろう。
わたしが魔王として何を為したか」
「あぁあ」
ルイの頭の中に過去の情景が思い出される。
魔王としての責務を果たそうとした、それだけを願っていた日々。
「わたしは永遠に「魔王」の物語を終わらせたかった」
だから、続きの魔王をこの手で殺す日までは生き続けると願っていた。
望んでいた。
そして望みは果たされた。
ルイは殺す決意をした、魔王の座としての視覚を有する彼女を、シズクを。
「殺すべきだったんですよ」
シズクがえずきながらむっくりと起き上がっている。
「……」
ルイが躊躇いがちに彼女を助け起こそうとする。
シズクは一瞬だけその手を見て、考えて。
「大丈夫ですから」
彼の手を払い除ける。
自分独りの足で立ち上がる。
「とある天使素体の複製体、たかが人形を殺すのにお手間を取らせてしまったのですよ」
シズクは「誠に申し訳こざいません」と再三の謝罪をルイに向けている。
ルイは何も言わない。
しかし事実は無言のうちに隠れてはくれない。
「えっと?」
つまり、とモネが要約をする。
「当代の魔王と次点の魔王が、権力の座を争って殺し合ったけれど、引き分けに終わって」
「それで」
シズクは決まりが悪そうにしている。
「どうしても魔王が必要だったぼくは、自殺してでも陛下に権力を残存させたかったのですが」
しかし。
「いやはや、我ながら、生への執着が強かったようで」
自殺は失敗した。
目を潰しても目が再生する、ビルから飛び降りても死ななかった。
「そんなだから」
ここでサラリーマンもどきが、シズクに向かって唾棄するように言い放つ。
「魔王が中途半端になっちまったんだ。
邪魔しやがって!」
魔王の弱体化、物語としての意味を奪った女を否定する、非難する。
「出来損ない。魔王の眷属の分際ででしゃばりやがって、さっさと魔王陛下の望み通り殺されればよかったんだ」
魔王としての物語が終われば、勇者はもう戦わなくていい。
人間が、ついに一つの確実たる平和を手に入れたはず。
魔物たちをすべて支配して、本当の意味で尊敬すべき神になり得たはずだった。
「ゴミ人形が」
平和とハーモニーへの道を邪魔した魔物を、人間の味方は侮蔑する。
「魔王の願いも叶えられない雑魚が。
お前のせいで人間が死んだんだ。
ふざけるな、お前なんか殺されればよかったのに」
魔王に殺されさえすれば、今度こそこの世界に絶対的な神が訪れたはず。
ついにハーモニーへの道が開けたはずだった。
しかし生きようと望んだので失敗した。
魔王が死にきらなかったので、世界は平和にはならなかった。
ゲームという物語では当たり前、魔王が死ななければ人間に平和は訪れない。
いつまでも魔物がはびこる、混沌の気持ち悪さだけが続く。
全部は魔王が、魔王の可能性が続くから。
「お前なんか殺されればいい」
「魔王の続き」その物語を持っている。
シズクは笑顔で、どこかの人間の匿名の意見に同意する。
「奇遇ですね、ぼくも、ぼくなんかは殺されればいいと思っていますよ。
ええ、ええ。
ぼくは殺されるべきだった」
心の底から同意している。
素晴らしい意見、最高の選択肢。
シズクはそう思っている。
思っていなければ、一体誰がこのように可愛らしい笑顔をほころばせることができるだろか?
愛する人のために世界を守ろうとした誰か、その誰かのために死にたかった。
魔王に変われる自分は死ぬべきだとおもった。
だから自殺したかった。それがシズクのかつてだった。
うふふ、微笑みが実る頃、ついに当代魔王の精神に限界が訪れていた。
「……」
涙さえも出ない。
出せるものか。間違いなく少女を殺そうとした、過去は消えない。
かつて、魔王は物語を終わらせるために次の魔王をこの手にかけようとした。
次代の魔王は先代の意思を尊重するために自殺しようとした。
自殺にまで追い込んだ。
心の底から愛している女を、自分の身勝手で自殺にまで追い込んだ。
それがルイにとってのかつてだった。
全身に魔力がみなぎる。
敵は目の前にいる。
周辺の人々は勇者に夢中だった。
誰も魔王のことなど見ていない。
もうこの世界に魔王はいらない、王様は無意味だった。
だからこそ殺意を固められる。
獣のように爪を伸ばす。
ルイは肉食獣のような爪をギラギラときらめかせ、もどきへとまっすぐ向かう。
「へ?」
「魔王の続き」への罵倒に夢中になっていた、ぶっちゃけ気持ちよくなっていたもどきは、魔王の単独進行に全く気づいていなかった。
がぎゅ。
鋼のように硬い爪が、もどきの顔面を全力で切り裂いていた。
爪は皮膚をえぐる。表皮はラップシートのようにたやすく破れ、中身のピンクや紅色の肉が顕になる。
刃物のそれではなく、あくまでも爪。
動物性の歪みが肉への攻撃をより凸凹としたものへと変容させてている。
ぐじゅぐじゅに歪んだ傷が一本二本三本……指の数、五本の真っ赤な筋がざっくりと顔面に切り開かれていた。
「ひっ」とあまりの残酷な攻撃法にクドリャフカあたりが小さく悲鳴を上げている。
痛みを許容しきれなかった。
もどきがうめき声を漏らし始めている。
「あああッ」
顔面を真っ赤に染めている。
「あーあ」
そんなもどきにクルミが近づいていく。
「派手にやられたね」
もどきは味方であるはずのクルミに助けを求めている。
「た、たた、助け……」
「えー?」
しかしクルミはどうも乗り気ではないようだった。
「なんかやだな、だって」
クルミはサングラスの位置を指先でちょこまかと動かしている。
「助けてって言われてもさ……」
「流石に無理あるだろ」
言いよどむクルミの代わりにミミロがもどきに対してはっきり宣言をしている。
「いくらクライアントにたんまり料金を支払ってもらっているからって、いくらなんでも下衆を世話する趣味は無いんだよ」
誰が下衆なのか、分かりきっていないもどきの顔面をミミロは躊躇いなく鷲掴みにする。
血や脂肪分などで手が汚れることなど全く厭わない。
傷まみれのそれを握りつぶすかのようにする。
実際、ミミロの規格外の腕力の弊害としてもどきの顔面の傷口からダバダバと幾筋もの血液が漏れ出ている。
いや、絞り出されているといったほうが正しいか。
唐揚げの添え物レモンのようにギュウギュウと体液を絞られている。
もどきは言葉としての意味を為していない声を幾つか吐き出しているが、しかしミミロは全く意に介していないようだった。
「知らないのか?」
ミミロは相手にしっかりと教える、言葉を介して教えている。
「何も悪いことをしていないやつを一方的に殺すだの何だの言うやつは、基本的にどの世界でもやべぇやつなんだよ。
……っつーか単純にキモい、意味わからん。喚くならドブの中でひとり寂しく喚いてろよ」
それだけ言って、ミミロはなんの感慨もなさそうにベッと唾棄するかのようにもどきを地面に落としている。
「ぎゃ」
ズタボロになっている。
しかし二人、いや三人の男性は全くそれに意識を割いてなどいなかった。
「まったく……」
腹ただしいことこの上なし。
と、ミミロは経過した時間を大いに嘆いている。
「初対面のガキに殺害予告するようなクソつまらねえバカキモいド変態の世話するとか、聞いてないんだが?」
ミミロはクルミの方を忌々しげににらみつける。
「おい、トコ・クルミさんよぉ」
フルネームをわざわざ呼ぶ、そうしてまで確認しなければならない事柄があった。
「本当に、こんな外来種の絞りカスの世話なんざして、「姫」にたどり着くのか?」
「姫」という単語。
言葉そのものに特別な意味はない。
ただ包丁が台所の上では清らかな調理器具であるだけ。
しかし人の腸の中に捻りこめば、その小さな刃物は立派な殺人兵器となり得る。
ものは捉えよう。
ただそれだけのことでしか無い。
「またまたこれは」
頃合い、間合いを読んでモネは惨劇の場面に滑り込む。
喜劇、とも捉えられるか、ともあれこれ以上身内を無駄に愚弄されるわけにはいかなかった。
「随分とだいそれたご名目が登場なされたね」
できる限り相手をなぶり殺したいところだが、今は牽制だけに務める。
モネは題目について、彼らに指摘してみる。
「姫っていうのは、まあ、科学世界における核保有みたいな基準だと間違いないんよね」
「まさか!」
何をバカなことを、とクルミはまだ名前も知らない少女の言葉を訂正する。
ただしい表現方法を自分なりに模索している、答えはすぐに見つかった。
「核どころの問題じゃない。
あえて例えるなら太陽を自由自在に操作できるレベルの概念だと思ってほしいね」
やばい、と特に驚く風でもなくアンジェラがわざとらしく驚く素振りを作っている。
「なんてこった、そげなもん気軽に世界が滅ぼせるの」
とにかく、今日この無粋な場面を用意し彼奴らはその「姫」を狙っているらしい。
もどきがぐねぐねと苦しみ悶えている間、動けないうちにさっさと会議を済ませる。
さて。
「よいしょ」
若干顔色が悪い、シズクが机の位置を丁寧に元に戻している。
若干強迫的にまで丁寧な仕事。
かなり精神的にダメージを受けたらしい。
「そりゃそうですよ」
シズクは「んるる……」と目を眩しそうにしょぼしょぼさせている。
「門外不出の黒歴史を公衆の面前でバラされて、純粋無垢な乙女坊やが無事で済むわけ無いでしょうよ」
「自殺未遂を黒歴史にするんじゃありません」
シズクの茶化しをモネが諌めている。
「あらゆる人死には外野が下手に茶化すとロクなことにならんのやから」
アンジェラも同意する。
「昨今はやれすぐに不謹慎だ炎上だ私刑だ退学だ特定だネットリテラシーorデジタルタトゥー何じゃから、ね?」
最後の一言。
いや、あるいはこの場面が始まるより前から、魔法使いの少女たちは死ぬことを喜ばしいとは思っていないようだった。
軟弱に死を求めるくらいなら殺してやる。
自分勝手に死ぬなら、てめえの手で殺して罪ごと食らいついてやる。
「まだまだ死なれちゃ困るんですよ、板ロス先生」
「板ロス先生?」
クドリャフカはまた魔法使いどもがトンチキなセリフでも吐き出したものかと、そう思い込みそうになる。
「ンだよその、エロ漫画家みたいなトンチキ名称」
うぎゅ、とカエルが潰れるような声が、声が。
「シズク?」
先程までの死を予感させる青白さをすっかり忘れている。
頬をさくらんぼのように染めている、シズクが告白をする。
「ご明察です、それはぼくのペンネームです」
随分とふざけた名前である。
が、どうやらそう思っているのはルイとクドリャフカと、そしてまだまだ伸びっぱなしのもどきだけであった。
あとの数名は概ね名前の意味についてご存知らしい。
とりわけミミロという名前のエルフっぽい見た目の男性が強く関心を寄せているようだった。
「ほうほう! これはこれは」
「なにか知っとんのか?」
ミミロはクルミの質問に直接的には答えようとしない。
なんとなく、彼はクルミのことを直視したがらない気配があった。
ミミロは、改めてシズクに挨拶をする。
「俺、おれの名前はミミロ。エルメルはペンネームで、本名はルビ・ミミロいいます」
相手の信頼感を得たいのか、あえて自分自身がリラックスしているような挙動を作ろうとしている。
「なんやいきなり身内が失礼な真似して申し訳あらへん」
西の地方の言葉。
シズクは彼の声音に水で練った小小麦粉の気配を感じていた。




