過去話「猫耳魔法使い」 その2
生存戦争が終わった世界。人間の殆どが「神様」という化物に変わり果て、魔物たちがビクビクと怯えながら生きている世界。
食欲に支配されている哀れな神。
欲求のすべてを神として失い、しかし魔物の血肉が魔力を求めて生き物を、それも意識を持った存在を求める。
そんな、飢えた神がここにも一人。
……まあ、神と言ってもみてくれはただの人間の、十九歳程度の青年のそれでしか無いのだが。
判断をしているのはぼく、ぼくは魔物。
気がついたらこのくらい倉庫の中にいて、この眼の前の神様と一緒に暮らしていた。
倉庫の中には沢山の本がある。
どうやら、昔……戦争というものが実際に起きたときにとても大事な本を誰かが、大量に仕舞い込んで守ろうとしたようだ。
ぼくは、神様が「お仕事」で忙しいときには本を読んだりした。
読書に飽きたときは、写真集の女の人の裸……じゃなくて! えっと、きれいなお城の写真を真似して描いたりしていた。
ちなみに神様は絵があまり上手くない。
代わりに小説を自分で書いてくれる。つまらない、というとすごく落ち込む。
とにかく、ぼくと神様は暗い暗い、おひさまの光なんて届かない暗い部屋で二人で暮らしていた。
しかし困ったことがある。
お腹が空いたのだ。
今までは神様が時々外に出て、外にいるエライ人に頼まれた仕事をたくさんこなして、なんとかお腹が空かない程度にはご飯が食べられた。
だけどこの前神様がお仕事ですごいミスをしてしまったらしい。
エライ人は、怒ったのだろうか? その日以降ぼくたちにご飯を渡してくれなくなった。
そうして三日間ぐらい経っていた。
ぼくはもう、お腹がペコペコだった。
お腹すくと、本の中に登場する食べ物が羨ましくてしょうがなくなる。
ただの文章なのに、文字なのに、ぼくの頭の中でそれらは見たこともないすごいきれいな姿で現れては、消えてしまう。
「おなかがすきましたか?」
神様がぼくに話しかけている。
「はい」
とぼくは神様に答える。
「ごめんなさい」
「どうしてあやまるの」
「ぼくがもっと強くて、かっこいい魔物だったら、かみさまの一人や二人、簡単に養えるのに」
かみさまは何も言わなかった。
気分を害されたのだろうか?
お腹が空いているのでなんのやる気も出ない。
絵もかけないし本も読む気にならない。
仕方ないから横になっている。
眠れないけれど、この部屋は位から眠っている気分になる。
かみさまの呼吸が聞こえる。
少し鼻水の音がした。
さて、一方旅人は。
「神殺しの専門家と言っても、最近の担当者はどいつもこいつもなよっとして女々しくて仕方がねぇ」
「なるほど」
旅人は納得しようとする。
「それで、いっそのことぼくみたいな女そのものの魔法使いを利用しようと」
「ああ、いやいや、そんなことは決して」
旅人に対して、金持ちと思わしき男が慌てて訂正しようとしている。
「てっきり「ぼく」だなんて言っているものだから、男かなと、遠目で見てみて」
しかし胸の膨らみや足の細さ、腰の曲線からすぐに勘違いであると察した。
「女ごとき、いえうら若き女性にこのような危険な仕事を任せるのはとても気が引けますが」
速攻でおべんちゃらであることを旅人は見抜きつつ、しかし報酬の過剰とも言える充足に魅力を感じないわけにもいかない。
そんなわけで、ある程度の暴力沙汰を覚悟の上で怪しい商談に乗っかったわけであった。
「して、これから殺しに向かう神はどのような個体なのでしょう?」
殺す、という言葉をあまりにも当たり前に使う。
金持ちは女のように長い髪の毛を指先でいじくりながら、迷うように、戸惑うように言葉を選んでいる。
「あれは、まさに鬼神ともいえる個体と言えましょう。
そうですね……戦争が終わってしばらく経ったあと、ここいらの巷で恐ろしく強い神殺しの神が現れたと、噂が裏の世界で広まりまして」
まだまだ神の死体は、採取そのものが危険事項の頂点に座している。
尽きることが殆ど無い石油が、常に耐えない業火の真横に眠っているような状態。
下手をしたら簡単に食い殺される。
だからこそ、街の食堂の付近で神を簡単に惨殺した。
しかもその死体をなんのためらいもなく近くにいた謎の、酔いも覚めきっていない一般サラリーマン客に手渡してしまった。
「全く持って理解し難い!」
金持ちは、いっそこれから利用しなくてはならないはずの旅人を侮蔑するような勢いさえあった。
それほどまでに、神の死体はこの世界で有用なのである。
「トラックほどの大きさの個体を殺し、死体を加工すれば宝石の山と同等、あるいはそれ以上の価値を得られるというのに!」
「なるほど」
そうまでとは。
流石に神の座に上り詰めたる存在の魂を材料にしているだけはある。
「だったらやっぱり、命の恩人に手渡すのは義理と言えましょう」
旅人はそれとなく納得する。
金の問題というよりかは、無粋な本音として八つ当たりをしたいだけの戦いであったのだ。
「はあ……魔法使い共の考えることはわからんな」
決して称賛のそれではない視線を向けつつ、金持ちは旅人の魔法使いを大きな倉庫のような建物の前に案内する。
旅人が金持ちに質問をしようとした。
「ここに神を閉じ込めていると?」
「ええ、あとついでに神のペットも」
「ペット?」
理屈はわからないが、直感、あるいは体の奥底の見えないところにピリッとした痛みを旅人は覚えていた。
金持ちは今すぐにでも倉庫からはなれたいようだった。
「ええ、ある日そのペットを捕まえましてね。適当に売り飛ばそうとしたらその神に襲われかけて。
なのでペットを人質にわたしと協力関係を結んだと。
神を殺して、その肉の一部をお前に渡す。あとついでにペットの餌も。
そうしたら、あやつはこちらが驚くほどに素直に言うことを聞くようになりまして」
「ふーん」
旅人の猫のような瞳孔がきゅう、と細められた。
だが金持ちは彼女の視線に気づかないで、さっさとこの場から退散してしまう。
「では、可能であればペットごと、殺処分頼む!」
さて。
「あーあ、まったく、香水臭くてたまりませんね……」
旅人は早速金持ち男への悪態を一つ。
ともあれ、倉庫の中身と対峙することにしようとして。
「あ」
ひとつ、重大なミスに気づいている。
鍵がないのだ。
あの男、恐怖のあまりロクに準備もせずに去っていってしまった。
「うぅ〜ん……面倒くさいですね」
ただ取りに戻るだけの話。
しかしなんとも、旅人の中の直感にも近しい本心があの野郎との会話を拒んでいる。
少し考える。
ぽくぽくぽく、と思いつく。
「まあ、依頼内容は神殺し「だけ」ですから」
その際に、多少建造物が破損しても想定内の事故と言えよう。
なんと行っても相手は神なのである。
旅人は倉庫の扉をノックする。
「お邪魔します、今から扉を開けるので、危ないから下がってください!」
神のことは割合どうでもいいが、神が飼育しているペットは、とりあえず見の安全だけでも確保したい。
その後のことを考えるよりも、とにかく、どうしようもなく、旅人はその存在のことが見たくて、見たくてたまらなかった。
理由や理屈、意味を振り払うように刀を抜く。
呼吸を整えて、そして刃を振るう。
袈裟斬りのように、清らかな一閃が扉を破壊した。
旅人は扉を蹴破り、中身に侵入する。
何かしらの臭気を身構えたが、意外と内部は不快感のない空間だった。
ひたすら暗いことを除けば、むしろ品の良い、例えば昼間利用していた食堂のような空気がある。
何者かを安心させるために、誰かが細心の注意を払っている。
そんな空間。
暗さにもすぐに目が慣れる。
もとより旅人の魔物としての特性、ネコ科動物の流れをくむ肉体は夜行性としての利点を十分に宿している。
暗がりの中、本の山、そこにうずくまる黒い塊があった。
「ウウウゥ」
小さな黒い塊は弱々しい唸り超えを上げて、急に現れた謎の魔法使いに襲いかかろうとする。
しかしかなり衰弱しているのだろう、飛びかかるというよりかはまるですり寄るような勢いしかなかった。
ぽふっ、と触れ合う頬。
柔らかな肌、旅人のミズは自らの足にまとわりつくそれが、とても小さい子供であることにすぐに気づいていた。
「君は……」
「んぐるるるる……」
神のペットとされている、幼い子ども、小さな猫のような耳をはやした黒い髪の毛の子供。
子供は異邦人であるミズをポカポカと拳で攻撃しようとしていた。
ミズは全く動じること無く、「落ち着いてください」と子猫の魔物を抱きかかえるように抑えている。
「ぼくは危険な神を殺しに来ただけです。君に害を」
完全に悪手であったことは否めない。
神殺しを示唆された瞬間、いよいよ子猫は全身の毛やら肉やら皮膚を緊張させ、ミズに対する敵対心を確固たるものにしていた。
「かみさま!」
子供は叫んでいる。
「かみさま! 危ない! 殺される……殺される、逃げて」
かなり動揺している。
この頃合いになってミズは己の認識を改めている。
切り替えが早いのは彼女の少ない利点。
少なくともこの子猫さんは、「かみさま」のことを嫌ってはいない。
状況をすべて把握していないとしても、子供は必死に誰かを助けようとしていた。
「まって……」
刃が外の光を受けて、少し輝いた。
あるいは武器を握りしめる手が少し強まったか、呼吸の乱れ、僅かな同様。
相手にはいずれか、たった一つさえあれば十分のようだった。
突然現れたように思う、視線の鋭さ。
息を潜めていた「それ」が咆哮をあげる。
聞くもおぞましい、この世のものとは思えない鳴き声だった。
「!」
閃光が走る。
強力な熱、雷撃の一閃がミズの脇腹を抉った。
服は燃やされ皮膚は焦げる。
タンパク質が炭になる、すえた臭い。肉の水分が蒸発する、塩の香り。骨まで焼ける、肋骨がパリパリになる。
「ぁガ……ッ!」
血も流さないうちに、たった一撃でミズは死に瀕していた。
子猫の魔物を抱きかかえるように、どさりとその場に倒れ込む。
脂汗が吹き出る額に、豊かな雪色の前髪が張り付く。
「はぁっ……んっ……は、ぁ……あ……ぅあ……」
息が上手くできなくて、喘ぐしか無くて、ミズの瞳に涙があふれる。
「うああ」
死にゆく旅人を見て、初めて、子猫は彼女の顔を光の下で直視した。
じっと見つめる。
「うわああ」
声が漏れている、夜中の猫のような声が思わず漏れる。
酷く興奮しているらしい。
「うわああ、うぅあああ」
ミズは子猫の声を、どこか母の子守唄のように心地よく聴いている。
死のうとしている体が、極限のストレスから逃れるための行為を行っているに違いない。
嗚呼。とミズは嘆く。
それでも、死に向かう今でも、好みに宿る謎の悲しみと寂しさが消えてくれない。
悲しい、涙が溢れても、泣き叫んでも収まってくれない悲痛。
寂しい、寂しい、誰かに、誰かも分からない誰かに逢いたくて仕方がない。
この悲しみを癒やすために、彼女はずっと旅をしている。
寂しさを癒やしてくれる誰かに巡り合うために、彼女はずっと旅をしている。
「んるる……」
意識が遠のく。
死ぬときにも、夢を見るのだろうか?
きっとそうに違いない。
彼女がそう思ったのは、目の前に、それはそれは美しい男性が現れたからだ。
カラスの濡れ場のような髪の毛の男性は、金色の瞳に悲哀を浮かべている。
桃色のやわらかそうな唇から、そっと言葉を紡いでいる。
「すみません」
どうして謝るのだろうか?
もしかして、彼が今しがた自分のことを殺そうとしたのだろうか?
ミズはすぐに合点がいった。
理由を知って、そしてせめて殺された事について罵倒の一つでも吐き捨ててやろうかと、そうおもって。
声を出す。
「ごめんなさい」
あれ? とミズは勝手に動く唇に意識を置き去りにされる。
「ごめ、ん、なさい」
そして、腕の中の小さな生き物を抱きしめる。
理由は分からない。体が勝手に動いていた。
「んる」
小さな、黒い髪の毛の子供は驚いたように、戸惑うように喉を鳴らす。
生きている。
こどもの体温、とてもホカホカしている。
熱を肌に、言葉が動く。
「ありがとう」
ありがとう、を最後にいよいよミズの意識が限界を迎えようとする。
ふと、そこへ冷水のような冷たさがそっと、彼女の頬に触れていた。
神の恵みのような心地よさだった。




