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真珠の酒 その三

 戦闘終了。


 ルイはほとんど息を乱さないままにただ棒立ちになっている。


「うわぁ……」

 ドン引きするような声を発しているのは、今の今まで彼と彼女の戦闘行為を眺めていたライカ・クドリャフカのふかふかな喉元であった。

「一撃必殺かよ、エグいな」

 敵を倒してくれたことには感謝をしつつも、やはり「魔王」の戦闘能力の高さに畏怖を抱かずに入られないでいる。


 怯えてしまっているクドリャフカとは相対的に、ジェラルシ・アンジェラは平坦とした態度で魔王であるルイに話しかけている。


「しっかしもうちっとお早いご登場くらいできんもんですかね? ねぇ、ルイ陛下」

 とてもへりくだっているとは思えない、王に対する態度としてはあまりも不遜すぎている。


 が、しかし。

「……陛下って呼ばないでください」

 ルイの方はそもそも、王様扱いされることを酷く嫌がっているようだった。

「第一、どうして自分などが魔物の王たる所以を持ち合わせていると、そう思われるのか? 理由が全くわからない」


 謙遜でも自虐心でもなく、ルイにとっては心からの本心であるらしかった。

 心持ちを少しでも分かりやすく、目に見えやすい形として証明するように、ルイは己の魔力ストッパーを元に戻している。

 百から一まで。ゼロは死に等しく、そして上限はおぞましくも百に留まらない。


 さておき。

 魔王は「ぽんっ!」という軽やかな音ともにその姿を変身させてしまっている。


 もとの長身と痩躯、程よく近世が取れた筋肉量は見る影もなくなる。 

 まるで幼い子供のように、それこそ少女の細い腕でも軽々と抱きかかえられそうなくらいには小さい。

 その程度に弱々しい姿に変身してしまっていた。


「嗚呼」

 ルイは、道路標識看板のような形状の仮面にいを包み、膝が見える程度のシンプルな半ズボンから覗く膝小僧を屈折させている。

「やはり、この衣服が一番落ち着いてしまうであります」

 衣服、と例えたとおり、どうやらそのてるてる坊主じみた可愛らしさの漂う姿は所謂外見スキンのようなものであるらしかった。


「エエよねぇ、羨ましいよ」

 新たなる少女の声、否彼ら魔法使いにしてみれば見知った姿の声だった。

「モネお嬢さん!」

 モニカ・モネという名前の、乳牛のような特徴を肉体に宿した少女魔物。

 彼女の姿を見つけて、シズクは殊の外嬉しそうな声を発している。

「お嬢」

 アンジェラの方は落ち着いた様子を演出しつつ、足取り軽やかにモネの方に歩み寄っている。


 どうやら牛耳の少女が、このズッコケ三人娘のリーダー格をそれとなく担っているらしい。


 モネはまず持ってシズクやアンジェラなどの惨状を見、そして周辺の様子からある程度の状況を把握し終えている。


 形の良いまぶたの中、秋の青空のような色彩の瞳がぱちくりと快活そうに瞬いている。


「今日は、わたしらもほとんど所要で来たっているのに」


 さて、所要というのが。


「結局神殺しなんじゃないか?」

 神の死体を魔法の紐で縛り吊るしている、魔法使いたちの作業をクドリャフカが眺めていた。


 神の死体はしっかり丁寧に血抜きをしたあと、専門の加工処理上に郵送するのが決まりとなっている。

 神を殺して糧を得る。

 つまりのところ。

「この世界に有り余る、そんな神さんの体に有り余る魔力を処理線といかんという問題に突き当たったんよ」

 クドリャフカにモネが説明をしている。

「戦争の時代しか知らんあなたには、あまり馴染みがない仕組みかもしれへんけれど」


 モネは話す。

 自らを退役軍人であると自称するクドリャフカに丁寧に言い聞かせている。


 立場的にはクドリャフカこそ後輩の魔法使いどもを導かなくてはならない。

 そのはずなのだが……。


「まさかあんたに使い魔として召喚されたと思ったら……世界がすでに滅びかけとか、なんのギャグだよ」

「ええ、まったく」本当に、とクドリャフカに同調しているのはシズクであった。

「やれ世紀末だ、それポストアポカリプスだ、仮にも曲がりなりにも世界ともあろうものが気軽に滅んでもらっては困りますよ」


 自分自身の悩みについて真面目に考えてもらえること、その状況に面映いような心持ちをいだきつつ、クドリャフカは懸命に自らの紅潮を表に出さないようにしている。

 そしてごまかすように、今更ながらの確認を後輩魔法使いたちにしようとする。

 

「それにしても、本当に世界は終わったのか?」

 モネが即答する。

「マジに終わっとったらわたしら生きとらんでしょうが」

 それもそうだ、と納得しそうになる思考を、逃避行じみたそれをクドリャフカは懸命に軌道修正しようとする。

「いやいや、でも」

 ちょうどモネが魔法の炎で程よく水分を飛ばしている、神の死体を見てクドリャフカは主張を改めている。

「ほぼ確実に、「人間」は滅んじまったんだろ?!」


 声が上ずっている。

 絶望感を演出しようとしたのならば、あまりにもお粗末な演技力と言えよう。

 少なくともモネは彼の感情の方向性を見逃さなかった。


 元より、色々な諸事情によりモネラの視力は「とても良い」状態になっている。

 とりわけモニカ・モネという個体は視認できる範囲内の生物の動向をこと細やかに観察することを得意とする傾向がある。


 観察し、その上で想像してみる。

 感じ取れたもの、予感した感情は喜びだった。


 彼は喜んでいると、なぜだかモネにはそう予想することができた。

 これはあまり良くない考えだ、そう思ったモネは自らの思い込みを解きほぐすために事実確認を優先させた。

「可愛そうだと思うん?」

 モネは魔力にまみれた自らの血を加工した燃料を、ドロップスのように丸っこい四角のランタンの底口からドバドバと吐き出している。

 ちょうど神の死体にまんべんなく、味付けでもするかのように振りまいて、そしてシズクに目配せをする。

 すでにアンジェラの魔法、樹木のような貼り付けが神の死肉を固定している。


 シズクが右手を、銀と合金で設えられた義手から放たれる魔力の塊を放つ。

 その頃合い、クドリャフカから肉声の返事がモネの持つ牛の耳に届けられていた。


「そりゃあ、嬉しいさ!」

 心からの言葉だった。

「嬉しいに決まってんだろ! 敵が死んだんだ。全滅だ、ザマーミロ!!

 さんざん俺達を奴隷扱いしやがったクソ人間どもが、てめえらでシコシコこしらえた究極魔術の事故で自滅全滅だぁ?」


 クドリャフカはぷにぷにの肉球を使い、とても可愛らしい足跡を港、だった小規模な異世界に一方的に刻みつけている。


「チョーウケる!

 これで戦争で死んでいった仲間も報われる。あんた方が必死に戦って勝とうとした憎き敵は勝手に自滅して、こうだ!」


 もむっもむっ、と柔らかい音を立てながら、ほとんど無意味な攻撃を彼は神の、元人間の神の死体に食らわせ続けている。

 死体は無意味に揺れるだけだった。


「こんなゴミ糞にキモい化物に成り果てやがって。

 せいせいする! 人間なんか、みんな死んじまえばいいっていつも思ってた!」

「それはまた、どうしてかのぉ?」


 意気揚々と語るライカ・クドリャフカに、ジェラルシ・アンジェラが真顔で質問をしようとしている。


「戦おうとする選択肢を能動的に選んだのは、何も向こうさんだけの話じゃなかろうに」

「あ?」


 かなり遠回しで、丁寧に湾曲した言い回し。

 なのだが、クドリャフカの耳は敏感にも戦争行為を、己が身を浸した時間、時代、空間の否定を感じ取っていた。

 クドリャフカはアンジェラをにらみつける。

「また随分と上から目線だな」

「それはもちろん」

 アンジェラは自らの傲慢さ具合を自覚しようとしている。

「歴史の殆どは、教科書で読めるおおよそ全ては、読み手に文字列だけの愚行を一方的に伝えるだけじゃからの」

「そういうわかりきった態度がムカつく……」


 小生意気な小娘に実際の事情を分からせてやりたい。

 しょんべん臭い支配心もそこそこに、クドリャフカは目ざとくある違和感に気づいている。


「……ん? ちょっと待て、いまなんつった?」

「戦争に参加している時点であんさんらも所詮は世界滅亡に加担したゴミムシのつまらんくだらん一匹の一人でしかない、といった旨のことを話しとったよ」

「てめえ!」

 

 いやまさか、そこまで見下されているとは。

 クドリャフカはこの、アンジェラという名の娘に対して、怒りを通り越し、むしろ疑いのようなものをいだき始めていた。


 もしかすると彼女は、戦争に何かしらの被害を受けた女なのかもしれない。


 相手のことをほとんど何も知らないが、しかしすぐにそのような想像に至ってしまう。

 簡単に到達できる程度には、その疑いは戦争にあまりにも似合い、しつこくつきまとい、そして何度も何度も、何度も無視され続けてきた問題だからだ。


 同情したくなるのは強者ではないから。

 

「あれ……?」


 なにか胸のうちに苦いものを思い出しかけた。

 痛みや苦しみを覚えたときの、絶望よりも濃い憎しみと怒りの苦さを思い出しかける。


 と、そこへ。


「取れました!」


 シズクが作業を終え、そしてモネがクドリャフカたちから目を離して摘出した一品を観察することを優先している。


 シズクは最終的に魔法に頼るよりも自らの手を使うことを優先していた。

 氷細工のように透き通った不思議なナイフ。

 魔法を使うためのナイフを、さながら本物のナイフのように利用して神の死体をゴリゴリと削っていたのである。


 もしも神が「人間」のままだったとしても、むき出しににした骨をナイフで削るのはかなりの荒業と言える。

 シズクの腕力であれば、猫の意味を借りる足や腕の力でなんとかなりそうでもある。


 しかし今回の主たる目的は骨そのものというより、骨の間に埋もれる一個の器官にあった。


「んんん?」


 取り出されたるその品に、クドリャフカも思わず今までの暗い話をさっぱり忘れそうになる。


「何だそれ? 真珠か?」


 反射的に答えてみたものの、真珠にしてみればかなり大きさがあることにすぐ気付かされる。

 卓球のピンボールほどの大きさがある真珠など、科学の世界では国宝級の逸品たり得てしまうだろう。


 だが、どうやら魔法の場所の規格ではそうでも無いようだった。

 

「それって……」真珠の正体が何であるかも、クドリャフカにはすぐに合点が行き届いていた。

「神野郎の目玉か!」


 真珠は神の死体から摘出した眼球だった。


「本来ならば液体を主とし、ほとんど蒸発していなくなるはずの器官」


 シズクは真珠の粒を両手に、しっかりと大切に手のひらに包み込むようにして持っている。


「しかし神様の血肉となれば、それはぼくらに濃密な魔力要素として、主に生活の糧として重要な意味を為してくださります」


 シズクの言葉づかいには「人間」という存在への哀れみが込められていた。


「もう二度と、彼は死してもなお、透明になって死ぬことができなくなりました」

「死ねない、ってことなのか」


 クドリャフカはシズクの柔らかくみずみずしい唇から語られる、この世界の事実を口の中で反芻している。


 散々魔物たちを……いや、魔物たちと「共に」、地獄の道を進んできた。

 戦争という名の地獄行為のはてが不死身の肉体とは。


「そう考えると、ご褒美としか思えないが?」

 考えるよりも口が先に動いている、クドリャフカは己を構成する第多数が酷く動揺していることにまだ気づいてすらいない。

 獣のしっぽ。

 生後一ヶ月程度の柴犬の子犬のようにコロコロふわふわと可愛らしい体に、どこかくたびれた中年の人間のような哀愁が漂う。


「死ねないからだとか、人類がみんな願ってたことだろうがよ」

「本当にそうでありますか? ライカ・クドリャフカ殿」

 ルイが低い声でクドリャフカに確認をしている。

 

 ルイはてるてる坊主のぬいぐるみのような出で立ち。

 遠目から見れば気象庁系列のイマイチ定着が期待できないかわいいだけのなんの毒味も旨味もない雑なゆるキャラのように見える。


 ほんわりと可愛らしいぬいぐるみの姿でふよふよと浮かびながら、空間の中をクラゲのように漂いながら、アイオイ・ルイは死ぬことについて考えている。


「死ねないということが、こんな世界に生き続けることが、本当に幸せと言えるのか。

 いえ、もうすでに「人間」という存在が確立してしまったあとの世界では、手遅れでしょう。

 人間にはもう、二度と幸せなんて訪れない。

 それが人間であるがゆえの、個体としての証とも言えるのに」

「な、なんの話を……?」


 不死身の夢が、なぜか幸福云々という曖昧な問題にすり替わっていくような気がしてならない。

 

 ルイとクドリャフカは相容れないままだった。

 互いに理解できないまま、無言を重ねている彼らに。


「くっちゃべっとらんと、仕事をしてもらうけぇ」


 アンジェラは冷水のような視線だけを、今は、送るだけだった。

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