浮気話噂話 その二
「……ハッ!!」
しばらくの間、どれくらいの時間かは定かでは無いが確実にトリップ状態のようなものに陥っていたらしい。
ラフィー・エイム氏はまたしてもラブホテルの501号室の天井を見上げる格好にて、ひとり寂しく……ダブルベッドの上にて目覚める。
……一人?
「なんか、何となく、全体的に重苦しいような……?」
寝ぼけまなこでも誤魔化しきれないほどの違和感を全身、ないし皮膚を通過して肉や骨、脳神経の隅々まで覚え、疑問を秒単位で増殖させている。
「確か、……確か俺は謎のロリっ子魔法使いに回復魔法を処方されていて」
そして少女の魔法の快感に意識が飛んでしまったのだ。
と、ここまで状況が理解出来たところで。
「事態は解決出来ても、問題点がよりエグめにマズイ感じになっただけじゃねぇか……」
魔法であろうが魔術であろうが、よしんば医療技術でも、よもやこの身空で快感のあまり意識をぶっ飛ばすことになろうとは。
「まじ恥ずい」
エイムが羞恥心に身悶え、堪らず実際に体をモゾモゾベッドの上で動かそうとした。
ほんの些細な動きのつもりだった。
せいぜい寝返りを打つくらい。
ずっと仰向けで寝るのも居心地が悪く、ついでにエイム氏は右側に体を傾けて寝るのが好きなタイプであった。
ただそれだけの事、たったそれだけの理由。
そのせいで彼は次の瞬間深く後悔する羽目になる。
「え?」
と言うより既に手遅れ、目の前にはいかにも柔らかそうな胸の谷間が広がっていた。
実は太った男のそれでした、だとか、あるいは尻の割れ目どうのこうの、という甘い観測はすぐに過ぎ去ってしまう。
どこからどう見ても女の胸部に膨らむそれで、触ればきっとえも言われぬ弾力としっとりとした質感が神経にねっとりとした蜂蜜のような電流を送るに違いない。
あと数センチ、これ以上体を動かせば完全に触れ合ってしまう。
そんな距離感。
あまりにも近いために乳の谷間、自発的に触れ合う皮膚どうしに発生する汗の匂いすらも感じ取れてしまえる。
すごい甘酸っぱい。
「……って、ぎゃああ?!」
時間的には二秒と満たない短さに近いが、しかしながらエイム本人にしてみれば一週間以上その場に拘束されたような、そんな時間的感覚に陥りかけていた。
まだ意識が完全に回復しきっていないか云々、しかしてそれ以上、以前の問題点が山と積み上がっていた。
「んあー?」
エイムの絶叫に、とりあえずすぐ近くに寝ていた寝間着姿のモニカ・モネがうめき声とともに上半身だけをベッドから起こしている。
ポニーテールの状態からほどいた亜麻色の髪の毛。
寝て起きた状態のため癖の多めの髪の毛がほわほわと膨らみ、毛先はそれぞれ束になりながら自由気ままにはね回っている。
上下共にいかにもスタンダードなパジャマ姿といった風体。
ただ彼女の個人的嗜好の問題なのだろうか? 胸元がやたらと大胆めに開かれてしまっている。
なるほど、あんなにだらしない胸元なら谷間も見放題。
……。
違う、そうじゃない……!
「って、何してんだよ!?」
上半身を起こしただけ、たったそれだけの動きでエイムは自らが貶められている非常事態を目の当たりにする羽目になった。
なんということか、エイムの他にラブホのダブルベッドの上にほか三人。
モネを始めとしてシヅクイ・シズク。ジェラルシ・アンジェラと、もれなくエイム氏の呪いを解いた魔法使い連中が同衾しているのであった。
「何してんだよ……?」
エイムはようやく明瞭さを取り戻し始めた脳と意識にて、改めて魔法使い共に質問をしている。
魔法使いの一人、モネがあくび混じりに質問に答える。
「ふわーぁ……。何って、疲れたから寝てるんやけど」
「何で、俺と同じベッドの上で?」
「それは、この部屋がわたしらがあんさん方に宿賃払って借りた一室だから」
なるほど、金銭的な問題で言えばモネの主張は何ひとつとして間違っていない。
いやしかし、それで納得できるほど彼も愚かにはなれないようだった。
「そうじゃなくて! 若い処女共がこんな得体の知れない野郎と同衾してんじゃねえって話!!」
主張を確立させたところで、なぜだかエイムの頭の中に彼女らの父親の恐ろしい視線が空想させられた。
恐怖は一瞬の通過性だったが、それでも確実にひんやりとした感触を彼の心に刻みつけていた。
嫌な予感を強引にでも振り払うように、エイムは子供のように頭をブンブンと横に振っている。
ラブホテルの少し癖が強めのシャンプーの香りが周囲に振りまかれる。
「んる……」
当然のごとく同じベッドに眠る、モネの近くに寝っ転がっているシズクが喉を小さく鳴らしている。
「おやおや」
シズクは横たわったままの姿勢でうっすらとまぶたを開けている。
シズクの方は三つ編みを解いて長い黒髪をあでやかにベッドのシーツの上にさらけ出している。
ネグリジェとワンピースのそれとない中間地点のような寝巻き。
キャミソール式の肩部分が左側だけ若干はだけそうになっている。
「お前もな……!」
肩部分から目を逸らして、もっと目をそらそうとして、長い裾からはみ出ている両足の方に目線がたどり着いてしまう。
目線の安息が得られないままのエイムに、シズクはむにゃむにゃと微笑みかけている。
「んるる……元気になられたようで、良かったです」
シズクはそれだけ言うと、また瞼を閉じて眠りの世界に沈み込んでしまうのであった。
寝起きの悪い猫耳魔法使いはともあれ、エイムはもはや忌々しさを覚える勢いでもうひとり、少女を探す。
「ああもう……! この調子だとどうせアンジェラも……っ!」
すぐに見つかった。
当たり前のように、アンジェラもエイムと同じラブホテルの同室のベッドの上に寝ていた。
「……ッ?!」
絶句する彼の視線の先。
アンジェラはもはや全裸に等しい格好をしていた。
「んあー?」
一連の騒ぎにごく自然な流れとしてアンジェラも目を覚ます。
むっくりと起きる。
上半身も下半身もほぼ裸、つまりは下着しか身につけていない。
その下着さえもやたらと扇情的と言えばそうで、フリルがふんだんにあしらっているそれらはかなり少女趣味である。
いや、まごうことなく彼女も少女なのだが。
「馬鹿じゃねえの?! 馬鹿じゃねえの?!」
ランジェリー姿のアンジェラにエイムは、なるべく彼女の方を見ないで怒号を飛ばす。
「うるさいなぁ」
寝起きにぎゃんぎゃんと騒がれ、アンジェラは背伸びをしつつ愚痴を垂れる。
「こちとらひと仕事どころかふた仕事ぐらいは終えたばかりじゃけぇ、もちっと労りぐらい出来んもんかの?」
「それに関してはありがとう、お陰様で元気百パーセントだ」
しかして、それはそれとして。
「なにやってんだよ、お前ら」
どうしてこうなった。
なぜ男やもめ1匹が謎のバイオレンス美少女魔法使いに囲まれながら、ラブホテルで夜を明かさなければならないのか。
「仕方ないやろ」
モネは欠伸をするよりもベッドに再び身を投じることを優先さている。
「あんさんの奥さんが迎えくる言うても、もう夜中の二時半やしそないな時間に女性ひとり、こんな場所を出歩かせるなんてそれこそ正気の沙汰やないなろがい」
それに関しても、また概ね正しいと言えてしまえる。
いくら戦争が終わったとはいえ。
いくら戦後の混乱時期がほとんど落ち着いたとはいえ。
いくらこの場所が、ある程度町として機能しているとはいえ。
「曲がりなりにも、ここは戦争の禍で産まれた「大迷宮」なんやから」
「……」
魔道に関する専門的なワードの登場。
もれなくモネ自身が魔法使いという職業……? と呼べるかどうかも怪しい区分を自称している。
……?? ……それにしては、魔法使いなんて怪しい職業を自称している割には、どうしてかそれらを自称している者共は皆揃ってやたらと身なりが良いのだろうか?
ともあれ、ランジェリー姿のアンジェラは解いたツインテールの毛先を指先で弄りながら、適当にエイム氏のことを心配している。
「まだ完全に魔力の回路が治ったとは言えんのですから、もうちっとじっくりゆっくり療養した方がええですよ?
例えば……今夜くらいはあったけぇベッドの上でぐっすり眠るとか」
肉体の治療行為としては概ね正解に近い方向性の提案である。
しかし一方通行の正しさだけ提案された所で事態の問題点は依然として何一つとして解決されていないのである。
「冗談じゃねぇ。なんでよりにもよって俺が、見ず知らずの会ったばかりの小娘3匹と同衾しながら夜を明かさなくちゃならねぇんだ」
「理由としては」
目を閉じたまま、シズクがいきなり事情説明を行い始めていた。
ほぼ完全に睡眠状態に落ちているはずの風体からいきなり明瞭な発音が放たれる。
「貴殿が完全なる自己の縄張りを取り戻すまでに神々の再度の侵略行為を許す訳には行かないと、我々としては可能な範囲における仕事の完璧さを追求した、所謂「魔法使い」としてのエゴイズムに付き従った我儘と言いましょうか」
つまり。
「お家に帰るまで、しっかりお守りしたいのです。むにゃむにゃ……」
単純に仕事に妥協したくない、という一方的にわがままな主張でしか無かった。
「知ったこっちゃねえよ、ンなこたぁ」
少女たちの主張はともかく、これから恋人が迎えに来ると言うのに女三人連れ立ってラブホのダブルベッドを同時利用するなんて。
そんな状況に浸れるほど豪胆な精神力をエイム氏は有してなどいなかった。
少なくとも、今の彼にしてみれば瓦礫の中に封印されることよりも耐え難いようだった。
「冗談じゃねぇ、俺は別の部屋で待機させてもら」
言い終えるより先に、エイムの視界がぐにゃりと歪んだ。
「ぐ、ぅえ」
めまいと吐き気。脳細胞がおぼろ豆腐よりもぐちゃぐちゃにされるような感覚。
目玉が見えない手、砂まみれの透明な指で粗野にゴロゴロと弄ばれているかのような不快感。
「うぅぅえ……」
魔力回路の負傷が意識の回復と共にその痛苦を再生し始めていた。
風邪の症状が寝起きから時間経過とともにじわじわと取り戻されるような感覚であった。
「……うぅ」
エイムは呻き声と共にその場に崩れ落ちそうになる。
反射的にまぶたを固く閉じる。
倒れて体に振動が走ろうとする。
「?」
が、しかし身構えたところで予想した衝撃も痛みも、何時まで待てども訪れなかった。
恐る恐る目を開ける。
するとそこにはサラサラと清流のように流れる柔らかな黒髪。
「大丈夫ですか?」
シズクがエイムの転倒を防いでいた。
あのベッドの上の熟睡状態から一体全体どうやって、どんな速度でエイムの元に馳せ参じたのか。
疑問は尽きないが、しかし彼女のおかげでエイムは無駄に前歯を折るなり鼻頭を潰すことなく無事を獲得できていた。
それだけは確かな事実だった。




