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誕生日おめでとう

 ククル・クーは勇者である。

  数多く制作された勇者たち。

  その中の一体。失敗作の弟とは異なる、成功したはずの兄。

  お兄ちゃんは後悔にひたっていた。

  初恋の彼、コソアド・オズワルド博士と、初恋のライバルして腹心の友オガワ・スイソとお話をしていた。

  皮肉なものである。

 世界が滅びようとしているのに、勇者ひとりだけがとても心休まる一時を享受している。


「世界、滅んじゃいましたね」


 波打ち際、潮騒に美しい銀髪をなびかせながら、スイソがそう呟いている。

 スイソは盲目であった。

 先祖代々の家系、魔法使いの一族が目指した最高の1品。現在視力の魔眼。宝石の魔眼は「健康で普通な人間」としての視力を奪ってしまう。

 彼女の閉じたまぶたが、見えることの無い世界へと思いを馳せている。


 オズワルドという名前の魔法使いが、驚いた風にクーのことを見ている。


「すごいね」


 こんな世界、もう見る価値もない。

 魔王、魔王に変身した兄、ルイウ・ルイと共に最強の天使「Rain」を倒した。

  倒した、と言うよりはほとんど相打ち。自分自身の肉を食って生きながらえるように、その場しのぎの継ぎ接ぎみたいな結果だった。

  その結果が、今目の前にある。

  名古屋と呼ばれた土地。

  取り立てて縁もゆかりも無い場所が、今は、ほとんど水没している。

  水の中には大量の兵器の残骸と、そして人間、人間、人間の腐った肉があちこちに漂っている。

 人間の世界は滅んだ。魔王ルイと、そして人魚姫であるクーによって滅ぼされた。


「それがどうしたというのだろう」

 

 クーは自分自身にそう、問いかけている。

「どうして俺は、今更になってこんな夢を見ているんだろう」


 全ての人間を滅ぼした。

 後悔はしていない。でも罪の意識も消えてくれない。

 今すぐ死にたいのに、どうしてこんな素敵な夢を見ているのか。


 クーは目を上手く開けることも出来ない。

 好きな人達を目の前に、頬が高揚している自分が浅ましくて恥ずかしくなる。


 必死に自分を否定したくなる。


「惚れた男、一番好きな相手。彼をむしゃむしゃと食べて生きながらえた俺に、もうこの世界で生きていく価値なんてない」


「そうだね」

  血まみれになっているクーの左、隣にオズワルドがしゃがみこむ。

「わたしたちは失敗した。世界を救えなかった」

  事実を再確認する。

 目の前の女は、はて、クーの自責の念が呼び覚ました幻影なのだろうか?

 クーの隣、オズワルドが楽しそうに結果を話す。

「わたしの過去は、わたし自身を構成する時間の経過は天使たちに食べられた」

 抽象的な言い方をしてはいるが、要するに人肉食である。

 細胞の成長の果の肉を、スイソとオズワルド、兄妹はこの世界の全ての異世界転移者達に食べさせた。

  そうして、彼らを神へと昇華した。

 なんのために?

「彼らには、わたしたちのための消費物としての役割を思い出させてもらう」

  口付けでもするような距離感で、オズワルドはクーにほほ笑みかける。

「わたしたちが物語を基軸にしたゴブリン、魔物、幻想世界の住人であるように。彼らもまた、この世界に訪れた時点ですでに架空の遺伝子をその身に組み込んでいる。産まれて、酸素を必要とするように、これは当たり前のこと。

  だけどね、人間って良く当たり前を忘れるの。

 誰かを助けて生きていることを、誰かに助けられて生きていることを、それらを忘れるように、忘れる。

 化学なんかが一番いい例だね。あれは忘れるための生存戦略。人間が不安を忘れるために生み出した、生き残るための方法」

 であればこそ。

「だからわたしは、わたしの過去、最高の魔法を生み出すために人生をかけたわたしの過去を世界に食べさせることで、全ての人間が持つ嘘、作り話、フィクションの力を思い出させる」

  そのための過去を使う。

  であれば?


「未来はどこに行くんだ?」

「それはもう食べ尽くされたよ」


  クーの質問に、妹のスイソは気軽に答えている。


「わたしの旦那さん、彼がこの世界に生き残れるために。わたしの未来は彼に食べさせた。

  だからかな、副作用でうっかり未来まで飛んで言っちゃったみたいだけど」

 オズワルドがけたけたと笑う。

「ああ、今みたいな終末世界にとばされて、まあ、大変そうでざまぁwwwwって感じだけど」

 兄がバカにしたのを妹のスイソが楽しそうにして聴いている。

「んるるる!」スイソが嬉しそうに喉を鳴らしている。

「その訳の分からない発音、やっぱり素敵ね」

「どうも」


「……」


 やめてくれと、クーは願う。

 だが同時に永遠に2人の姿を見ていたい、とも思う。


 愛しいもの、尊いもの、生きることが出来る理由。

 いまが、現在がこんなにも、こんなにも! 楽しいのは15歳の夜以来だった。


 今、未だ生きている。

 いまだ生きのびている。

 わたしはいまだ生きのびている。


 ……。……


  あれ?

  と、クーはおもう。


「まだ、俺が残っている」


  自分がどうして理性に基づいて、人間らしい魂で、魔物の純なる欲望の心を保てているのか。


「なんで俺なんかが、こんなにも救われた気持ちでいるんだよ。

  おかしいだろ? いいわけないだろ。俺が……俺がこの戦争で何人殺してきたと思っている。魔物も人間も関係なく、何人も、殺してきた。

  救いようがねえのは、俺自身がそれを悪いとも思ってこなかったことだ」

「それ仕方がない」スイソが、まるで病人を診断する医者のようにハッキリと宣告している。

「あなたは、一種の洗脳状態にいた。

 ありとあらゆる尊厳を奪い尽くす、最悪の洗脳だ。

  多幸感の元に他者を殺害したことについては、あなたは自責をする必要は無い。

  お門違いもいいところだ」

「ああ、そうだ」

 お門違いなのである。


「これを、殺すことを選んできたのは、あくまでも俺自身だ……」


  洗脳状態に陥いる、選択肢は自分で選んだ。

  それに変わりは無い。


「ルイを、彼を、」

 スイソは眠ってしまった夫のことをおもう。

 初恋を捧げた男の事をおもう。

 そして、

「ボクの、ボクとルイくんの赤ちゃんを守るためだったのでしょう」


  スイソの言葉に嘘は無い。

  当たり前か、とクーは自嘲する。

 自問自答に嘘がつけるはずもない。


「でも」


  クーは涙も流せない自分が憎くて仕方がなかった。


「誰も救えなかった」


  スイソが答える。


「いいえ、それは違う」

「違うわけないだろうがよっ!!」


  雷鳴のような怒号。


「何も出来なかった! 何も出来なかった……何も出来なかった……!」


 クーはポロポロと涙を流す。

 死ぬ前くらいには愛しい人たちの走馬灯を心から楽しみたいのに、なのに、この心はそれさえも許してくれない。


「俺の……っ……おれ、お、れ、の……っ」


 もう言葉も上手く作れない。


「……わたしのせいだ……!」


 ただ涙が流れるだけだった。

  しくしくと泣くことしか出来ない。

 息が苦しくて仕方がない。


「オズ……オズ……!」


 最後に、せめて最後に、クーはオズワルドに謝りたかった。

 彼に縋り付くように、体を支えきれなくなってオズワルドに抱き抱えられるようになる。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 涙を流して謝る。


「何も残せなかった、何も、何も! 貴方の宝物を守れなかった……!」


 兄のルイも、妹のスイソも、そして。


「赤ちゃんも、わたしが殺しちゃった」


 いつかオズワルドが夢見ていたもの、心から魔法を楽しめる可能性。

 いつかルイが会いたがっていた誰か、この世で唯一の家族。

 いつかスイソが憧れていたもの、愛したいと願っていたもの。


 全部自分が殺してしまった。


 死ぬ前なのに、こんなにも苦しいなんて。

 でも、これでいいのかもしれない。

 諦めかける。


 そこへ。


「君は本当に愚かだね、ククル・クー君」


  ものすごくバカにしたように、スイソは笑って指を指す。


  クーのことを指さす。


「あなたが食べたのはわたしの未来でも過去でも、現在でもない。現在は私だけのもの。

 であれば? わたしの中に残されていたものは?

  あなたは一体何を胃の中に、お腹の中に隠し続けていたのか」


  答えは。

  潮騒の中、スイソの姿はいつの間にかクーの前から居なくなる。

 その代わりに、クーの手の中には武器があった。

 人を殺すための武器。魔物を屠ってきた剣。

 片手剣、戦争のための原始的な兵器。

 これで何人も殺してきた。


  だが今、この瞬間、クーは剣が持つ本来の意味を理解した。


  肉を切るための道具の意味を。


「大丈夫」


 初恋の彼、オズワルドが彼を励ます。


「あなたはわたしの最高の友達。とっても頼りがいのある、なんだって守れちゃう、勇者みたいな人なんだから」


 応援する。

 痛みを共にしてくれるように、オズとスイソの二人はクーによりそう。


「……」


 気がつけば1人になっていた。

 また1人、誰もいない。

 あれは夢だったのか?


 どちらでもいい、やるべき事は、決まっている。


  クーは静かに、できるだけ静かに、呼吸を三回繰り返す。

 それだけですます。長く続けたら決意が鈍る。


  剣の切っ先をクーは自らの腹部、乳がある所より少し下に突き立てる。


  もう洗脳は存在しない。

  そのための回路は完全に焼ききれてしまった。


 だから痛みは直に脳へと伝わる。

 

 皮膚の表面は神経が密集していて、それでいて伸縮性に優れている。

  怖くて刃が進められない指先を嘲笑うか、あるいは命乞いをするかのように痛覚が電流を流し続けている。


 痛い、痛い。痛い!

  だけどクーは知っていた、誰かを斬り殺し続けてきた彼は、すでに人肉の切り方を熟知していた。


  痛覚の壁を強引につきやぶる。

  刺すと言うよりはもはや侵入、男の肉棒が処女の穴に捻りこまれるような強引さがあった。


「ぅ……ぁ、ぁあ!」


  悲鳴をあげることも出来ない。

  間違いなく自分自身の手で行う、自傷行為に他者の救済は必要とされていない。


「ふー……っ! ふー……っ!」


  呼吸の気配もよく分からなくなる。

 ただ可能性のためだけに、クーは刃を今で到達させようとする。


  麻酔も何も無い。かろうじて意識を残せているのは、悲しいかな、洗脳が持つ痛覚に対する多幸感という麻薬の効能であった。


  ぐちゃぐちゃ。ぐちゃぐちゃ。

  茶碗蒸しをかき混ぜるかのように、震える手でクーは己の内蔵をかき分ける。


  そしてついに目的の内蔵を見つけた。

 意識は朦朧としている。

  好都合。

  胃の壁を刃物で切り裂く。


「……!」


  途端、洗脳の力によって抑え込まれていた全ての感覚、流血という生命の証が唐突に再生された。


「は、……ぁぁあ!」


  痛い。

  息が上手くできない。

  クーは「あ」「あ」と喘ぎ声を漏らしながら、生理的な涙と鼻水にまみれて、汗を大量に流しながら。


  剣を雑に投げ捨てる。


  そうしながら、胃の中に指を突っ込んだ。


  ジェル状の何かが、彼の胃の中に詰まっていた。

  それはとてもあたたかい。

 三十四度ほどの、安心感に満ち溢れた温かさだった。


  眠りたくなるのは痛覚による拒絶と言うよりも、温かさのあまりにも、あまりにもな心地良さによるものだった。


  うとうと、冬の終わり、春が近づいてこようとしている。

 そんな陽の光を、青空を見たような気がした。


「……ぅあ」


  眠りかけた、あるいは眠っていたか。しかし次の瞬間にクーの指先は誰かの存在を認識していた。


  ついに見つけた!

  クーは壊れないようそっと、量の指でそれを包むように掴む。


  頭からさき? いや、なるべく細いところから徐々に、徐々に。


  左足を掴んで、そのまま腰へと指を滑らせる。


  ほとんど土下座に近しい姿勢。

  重力の力を借りて、中身のそれが少しでも苦しまないように出てこれるようにする。


「ふ」


  呼吸を取り戻した瞬間、痛みの本流が始まる。


「う……ぅ、う」


  汗を流しながら、クーは胃の中からそれをゆっくり、ゆっくり、慎重に取り出す。


  引きずるほどに痛みが。


「あー、あー、あー」


  正体のない、ただひたすらに原始的な悲鳴をあげることしか出来ない。

  でも指はとめなかった。


「はぁっ……! はっ……!」


  もう、体の半分は出ている。

  あともう少し。


「うあああーーー」


  悲鳴をあげて、力んで、ついに胃の中からそれを取り出した。


  ずるりと落ちそうになるそれを、痛みにぐったりしているはずの腕は不思議なまでに、驚く程に力強く心配そうに抱えている。


  すごく温かい。

  それが、泣きはじめた。


「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ」


  それは彼女だった。

  彼女はようやく世界に生まれ落ちることできて。呼吸を一生懸命に行っていた

  それはもう、ものすごく生きていた。


「……」そういうことかよ、とクーはついに納得する。


  自分がスイソから奪ったのは過去でも未来でも、現在でもない。

  彼女の胎内に生まれた、新しい可能性だった。

 可能性、おぎゃあおぎゃあと泣き叫ぶ、彼女が彼をこの世界につなぎ止め、そして彼もまた彼女を世界に生まれ落ちるだけの力を蓄えさせた。


 彼女はクーの現在を食べて生きて、生き続けた。

 同時にクーは彼女の可能性を食べて、世界に存在し続けた。

 利害関係、なんとおぞましい共生。

  二匹の蛇によって構成されたウロボロスの姿を思い出す。


  永遠に完結しない共食い。

 だが、ついに、世界の滅亡とともに輪廻がちぎれたのだ。


「あうーまむー」


  滲むクーの視界の中、彼女が唇をむぎゅむぎゅとさせている。

  小さな唇で早くも栄養を摂取しているようだった。


 ……はて? 自分は男である。出産をした訳でもないのに母乳はどこから?


  答えはすぐに見つかった。

  と言うより、クー本人の目玉のすぐ近く、あまりにも近くに存在している。


  涙だった。人魚の涙、ズタボロになりながらも不老不死レベルの魔力、要するに栄養ならある。


 ちゅぱちゅぱと、彼女の唇が涙をただひたすらに原始的な欲求に基づいて食べる。

  その音、音を聞く度に涙が止まらない。

  クーは、実に五十年近くぶりに涙を流していた。


  あまりにも素晴らしいものを見つけてしまった時の喜び。

 喜びは直ぐに快楽にも似た欲求へと変わる。


  感情の正体が分からないまま。


 クーは早くも開いている彼女の目、左目に青空と同じ色の魔眼が宿っていることに気づいた。


「海だ」


  雨空が隠してしまった、灰色に眠る色。しかし誰にも明かさないままに、世界中のどんな宝よりも美しい瞬間を隠し続ける色。たゆたう水


  目を見て、そして。


  そして、うわーん、うわーんと泣きながら、彼は彼女に恋をした。

 兄と妹の大切な子供。

 オズという名の魔法使いが残した宝物。

 シズク……やっと会えた。

  想う心は、クーにとって生まれてから二度目の恋だった。


ありがとうございます。

次回予告、死にかけの彼らをカラスが苦し紛れに救う。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 自由だなと思います [一言] 私にはちょっと合わなかったかもしれない。 グロテスクさとか起こっていることとかそういうのはこっちも血みどろ臓物ハイスクールとか裸のランチとか読んでいるのでそこ…
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