灰色灰笛魔法使い日常模様
待ち合わせは夜の七時、早くあなたに会いたい。
丸っこい形のレンズをはめた眼鏡をかけた猫耳の魔物が一匹。
一匹? いや、そこに人間らしい矛盾や非合理、無駄、尽きることの無い欲望があるとしたら?
やはりそれは人間なのだろう、あるいはそれに最も近しい存在か。
ともあれ魔物であろうとも一人、と数え、一人のゴブリンの娘が考えながら世界を歩く。
仕事の休憩時間、夜勤の暇を塗って気晴らし。
魔物、広い意味では「魔物」と区分される生命体が暮らす世界。
かつて人間と魔物が生存をかけた戦争を行った。
最終的に人間の郡から裏切り者が出た。
人間は滅んで、ついでに魔物も絶滅寸前まで追いやられた。
滅んだ原因、直接の要因はまた別の話。
大災害の話、自然現象の話……。
とにかく人間のほとんどは死に絶え、人類世界は衰退。
危うく絶滅の危機に瀕した魔物たちも年々その数を減らしている。
出生率の低下もあるが、しかしそれ以上に殺される量が多い。
誰に殺されるかって? まあ、それはおいおい。
ここ十数年において、ようやく西暦2010年代以降の文明と文化を取り戻しつつある。
そんな世界。
そんな世界の夜の街。
夜の街を歩く少女、少女もやはりゴブリン、ないし魔物と呼称される生き物であった。
名前はシズク。シヅクイ・シズク。
本が大好きな、猫耳の魔物の少女。
今から大好きな彼に会う。
スマートフォンにて、新調したその日の夜に「会いたい」と実に二年ぶりの連絡である。
シズク自身もこの名前を結構気に入っている。感じで呼んだ時の雰囲気が好きなようだ。
雨の下
シズクは歩いている。
彼を探していた。
彼は人間? 魔物?
いやいや、彼は見事に「人魚姫」なのである。しかもうさ耳!!!
リンゴのように赤くて美味しそうで、美しい瞳を持っている。
探し歩いて。
「あ」
彼の姿を見つけた、空を飛んでいる。
「メリーポピンズ」のような可憐さ、空を飛んでいる。
だが。
「んる?」
少し様子がおかしい? 何か、大きな虫のようなものに絡まれているようだった。
遠くを目掛けて駆けだす。
ちょうど同じくして、彼もおそらくシズクの姿を見つけていた。
魚眼ではあるが、しかし個人的都合によりとても視力がいい。
じっと彼女を凝視。
髪の毛は長いお下げを三つ編みに2本。魔法を使う女の子なら三つ編みと相場が決まっているのがこの世界の文化。
そう、シズクは魔法使いなのである。
年齢は「普通の人間」における高校一年生程度
長い長いお下げ三つ編みをねこのしっぽのように快活に揺らす。猫耳魔法使い少女。
黒猫のように真っ黒な髪の毛。
猫っ毛でまとまり切れていないアホ毛が左やらにひょこひょこ揺れている様子は、彼女が外見に無頓着な具合を表していると言える。
それを証明するかのように着用しているものもほとんど男物。
家にあった有り合わせで間に合わせている姿はそこそこに不格好。
M41フィールドジャケットのような上着、夜戦服でとても頑丈そうな服。しかし袖の部分は酷く摩耗している。加えて職業柄、殺し屋としては手の汚れを防ぐために厚めのミドルサイズ革手袋をはめている。そのため作業服のごとき機能美と無骨さも想起させる。
上着等での重装備に対して、それ以外はかなり機動性を重視した装備。上着の下はノースリーブの白いワイシャツで通気性は確保。
黒色のタイトなホットパンツに、長めの黒い靴下。魔法使いらしく神秘と未知の黒色、寛容と明晰の白色を大切にしたカラーリング。
というのは建前、コーディネートの工夫が思いつかなかった、というのもある。
ただ、ブーツはワインレッドでどことなく活動的なイメージがあった。
黒猫のような耳が揺れる。
左側の耳だけ醤油をつけたかのようにチョコんと灰がともる。
……こんなにもじっと見られていることに、気づいているのか居ないのか。
確実に気づいていないのは、彼が頭上の厄介者を見事にキレ散らかせるほどに無視を決め込んでいた。その事実だけだった。
何も知らない、知る由もないシズクが曲がり角を曲がると。
「あ」彼と「え?」シズクが視線を交わす。
なんとビックリ、彼が目の前に、東からの風および謎の厄介者に押して押して流されて、落ちてくるではないか!
「わーっ!」
「んるぅ?!」
驚いて、シズクは変な声を漏らしてしまう。
丸っこいレンズの眼鏡の奥、左目は諸事情に閉じたまま。
右目だけ、新緑のような色彩が異様にらんらんと輝いている。
瞳孔は夜の猫のように広く、光はしっかりと視認できる。
が、如何せん近視が入っていて視力はあまり良くない。ネコ科としては致命的である。
見つめる先、そこに目的のリンゴがあった。
ボロキレをかぶり、褐色の肌に白色の前髪、そのすき間。
魔王が作り出した雨を固定するのは、人魚のこしらえた雨雲の魔術。
降りしきる雨粒の下。
リンゴ色の赤い瞳があった。
落ちてくる。
それをシズクは抱きとめて、抱きしめて受け入れる。
少女よりずっと大きい人間。
男性の筋肉のそれが腕越しに伝わる。
「……」
沈黙の中でシズクと赤いリンゴ、すなわち彼とが静かに視線を交わす。
「ごきげんよう」
シズクはかなり動揺していた。
「ごきげんよう……」
彼の方も、かなりビックリしているようだった。
彼の体内を構成する遺伝子、あるいは物語の半分。「鳥獣戯画うさぎ」の耳が可愛らしく動く。
はて? なぜこのようなことに。
答えなすぐそこ。
「ぎゃはははははははは!」
神が空から降臨してきていた。
神である、神以外の何物でもない。
どうしようもなく神な、そんな神はとてつもなく元気が良さそうに笑っていた。
「おらっ! 休んでんじゃねえよ障害者!」
魔力を使って2人を吹き飛ばす。
「くっ!」彼、クーはシズクをかばおうとして、失敗する。右腕に障害があり、上手く体が動かせない。
放り出されたシズクが「ふぎゃっ!」としっぽを踏まれた野良猫のような声を発する。
「シズクさん!」
クーがシズクの元に駆け寄ろうとしたが、頭上の謎の存在に頭を上から蹴られて動きを邪魔される。
地上3mを浮遊している人型の存在、神が、ぼろきれを羽織る魔物の男性に首輪をはめた彼を睨む。
「ったくこれだから障害者は、チンたらチンたら意味不明なことばっか! 無意味! 無意味で無駄! 社会のゴミなんだよ役立たず! さっさと死ね!」
シズクがじっと、魔物の方に視線を向けている。
やがて近づいてきた神がシズクの姿を見つける。
「あ? おい、ゴブリンのクソガキ。邪魔だ、どっか行け」
シズクは答える。
「申し出は喜んでお受け致しますが、ですが、その前にひとつ、条件を呑む代わりに質問に答えて貰えないでしょうか?」
恭しく答えている。
相手が下手に出たと判断した神が、平均的に整った顔で受け答えの了承をする。
シズクはさらに質問。
「彼は? どうしてあなたの所有物のように扱われているのでしょうか?」
神は当たり前のように答える。
「俺が神だからだ! 異世界から来た人間はこの世界ではチート能力をもたらされる。それがルール! ルール! ルール!」
なるほど、彼はどうやら最近になってこの世界に異世界転移した人間であるらしい。
シズクは嬉しそうにする。
「なんと、神様でありましたか。それは何ともめでたい、めでたい」
「そうやろ? とりあえず手始めにその辺にボロ切れまみれで飛んでたホームレスのキチガイ障害者ゴブリンをとっ捕まえて遊んでたって訳」
シズクはまた質問をする。
「彼はあなたに何か嫌なことをしましたか?」
「は?」
質問の意味がわからなかったようだった。
神はとりあえず適当なことを言う。
「知らねえよ、ゴブリンでしかも障害者なんて、そんなの人間にとってはただのゴミだろうがよ」
神は得意げに語る。
「ヒトラーも言っていただろ? 政治家だってよく言うだろ? 障害者に優しくするくらいなら、俺みたいな健康な人間を保証すべきだって。
だってそうだろ? あんなキチガイ役立たずどもよりも、健康な俺の方が働いて金を稼げる、役に立つ!」
息は続く。
「だってみんな、みんな、みんな本当は邪魔だって思っているんだろ?
ちょっと体が動かないだけで優しくしてもらえる、アイツらが鬱陶しんだろ?」
誰かに確認をするような声、 シズクは納得する。
「なるほど、それがあなたの考え方ですか」
受け入れて、少し嬉しそうにする。
そして提案をする。
神の願いを叶えるために。
「神様、神様、どうか私めにも首輪を与えてはくださいませぬでしょうか?」
相手の造形の整った様子をみて、神はすぐに舞い上がる。
「ああ、奴隷にして、そうだな、お前は賢そうだから執事にでもするか」
夢物語を語る。
神がこちらに降臨する。
普通な様子に、元気いっぱいに、夢と希望に胸をふくらませている。
シズクはそれを見る。
そして、愛おしそうに、大事そうに、嬉しそうに喉を「んるるとならして抱き締める。
そして、
歯で、神の喉笛に食らいついていた。
「え?」
呼吸をする暇も許さない。
獲物は確実に捕えないといけない。
万力のごとき腕力の中、神は魔法少女に捕食されていた。
「!」
ぎゃあぎゃあ、ぎゃあぎゃあ。
ものすごい悲鳴が周辺に鳴り響いた。だが滅び掛けの街に、神を、人間を助ける存在はいない。
前歯は牙という訳でもなく、あくまでも人間のそれでしかない。
そのため食いちぎるのには、毎回、シズクは苦戦してしまう。
皮膚は意外と頑丈で伸縮性に優れている。
肉も結束が固く、また血抜きもしていない生はあっという間に口周りが真っ赤にベトベトしてしまう。
ぎゃあああ、ぎゃあああ。
悲鳴を聴きながら、シズクは神の首の肉を大きめのおはぎひとつぶんほど、ぶちっと食いちぎる。
そして思いっきり前に蹴り飛ばす。
痛みに動けない神が仰向けに、言葉を失ったままパクパクと唇を開閉する。
ショックで下半身から尿を垂れ流しているが、雨がそれを透明に溶かしてしまう。
おかげでシズクは心から神の肉を堪能することが出来た。
特別美味しいという訳では無い。
血の味は血の味でしかない。
だが、鉄錆の味であるはずなのに、それはシズクにとって上質なウイスキーと同等の豊かさをもたらしてくれる。
皮膚も余すことなく噛み潰す。
ごくり、と嚥下する。
美味しいものを食べて、そして元気よく話す。
「その理由は美しくない」
それがシズクの理由だった。
「自分の価値を他人に求めるのは美しくない。
たとえ障害を持った方々をバカにしようと、それが自分のためだと信じられるのなら、それは美しい優生思想と言えるでしょう」
「でも」とシズクは悲しそうにする。
「それはそれで、僕はあなたのためにあなたを殺さなくてはならない。
なぜなら優生思想は、それを保有し主張した時点でただの劣勢になってしまう。僕はそう考える。
人間は、社会性の中で弱者も行かすという選択肢、生存戦略にて生き残れた種族だと言うのに」
「なのに!」とシズクは神に失望する。
「あなたはあなたの信じるものを、最も美しくない方法で裏切ったのですよ」
魔法少女は美しくないものが大嫌いだった。
「己が生きていくための理由を、他人に依存するな。自分のための理由を、他人に明け渡すな。
自分のためだけの痛みを、誰かと共有するな。
僕はそう思う。あなたが障害者を無意味に憎むように、そう思う」
嫌いだと思う反面、悲しいまでに申し訳なさそうしている。
「申し訳ございません。せめて生前の願いはできるだけ多く叶えさせて頂きたかったのですが。残念ながら僕は執事にはなれませんよ、なれるとしたらメイドが関の山です」
そこでようやく相手が彼女の、魔物の性別を判別できたかどうか。
いずれにしても神は彼女にとって、ただ単に美味しそうなものでしかない。
「」
神が地面をはう。
助けろ、と神はどれ位として扱っていた彼に命令する。
しかし。
「それは出来ひんよ」
彼はそれを否定した。言葉に少し関西の風味がある。
「あなたは知らないようだが、この世界では異世界転移した人間は共有財産として扱われる」
共有財産とは?
髪型求める立場とは異なる、彼は神を全く恐れていないようだった。
「石油みたいなものだ」
つまり?
彼は神を恐れないが、決して怒りを抱くわけでもなく、むしろ視線はリスペクトに満ち溢れている
「貴重なエネルギー源。誠紙には感謝しっぱなしだ、我々魔物はあなたがたを消費することで今日まで生きのびている」
彼はたちあがり、雨避けに使ってていたボロキレを脱ぐ。
布の下の顔には、りんごの甘酸っぱさを感じさせる表情がある。
およそ人間にはありえないであろう色彩の瞳、りんごの皮のように鮮やかな赤の双眸が神を見下ろす。
「そのエネルギー源がなんやぎゃあぎゃあやかましくて。考えてご覧なさいよ、石油が文句を言い始めたら? 使われたくないと意志を持っていて、誰がその言うことを聞いてまでてめえの生活を捨てられるか?」
考えて欲しいと、彼は神に頼み事をした。
「人間なら分かるだろう? 人間なら想像できるだろう? 人間なら理解できるだろう?
なぜならあなたは優れた人間のはずだから」
神は既に気絶していた。
さて、貴重なエネルギー源。
「よいしょっと」
人型の神の殺し方は簡単、シズクは横たわったままの彼の上に馬乗りになり。
「えい」
ガラスペンを拡大させたような杖をくるりと回転、ペン先を下に、神の心臓があるであろう部位に深深と突き刺した。
神は「ぁ」とか「ぅ」など何か言ったような気がしたが、しかしもう彼らは神の言葉に興味がなかった。
もとより石炭が何か物を話すか、あるいは見た目が可愛い生菓子にスプーンを差し込むくらいの感覚しかない。とりわけ魔法使いや魔術師など、
すなわち、
「神様専門の殺し屋、か」
彼がシズクが神の遺体を水晶玉の中に回収するのを眺め、ぽつりと呟く。
「専門的な道具で殺さないと、すぐに再生するんだよな」
「ええ、ですので事務所に持ち帰って専門の方々か、あるいは自分の手で丁寧に解体しなくてはなりません」
シズクはウキウキと嬉しそうにしている。
「人間の原型を残したままの宝石は、とっても珍しいのですよ!」
「解体作業はR18Gになりそうやけどね」
「手間暇たっぷり、丁寧に加工してボーナスもたっぷりでございます」
シズクは既に損得勘定に「んるるる」と、ご機嫌な猫のように喉を鳴らしている。
麦の実り、稲穂の重みに喜ぶ、寿ぐ農民たちのように。
タタッ、タタッ、タタッ。小躍り。
くるりとエトワールのように、シズクは彼に笑いかけて、淑女のようにご挨拶。
「ごきげんよう、ククル・クー氏。お久しぶりです」
「ああ、久しぶり、シヅクイ・シズクのお嬢さん」
彼も微笑んで返事をする。
シズクとは相対的に白色がよく映える髪の毛の下、リンゴ色の瞳が柔和に揺れる。
彼の声を背に、シズクはウキウキと夜の雨の中を進む。
足取りは軽く、唇の血液は雨粒に流され、ブーツが水たまりを踏んで小さく透明な飛沫を踊らせた。
踊る彼女。
その姿を愛おしく眺め、クーは決意を抱く。
「シズク」
彼は彼女にお願いをする。
「改めて頼みたいことがある」
「なんですか藪から棒に」
「俺と結婚して欲しい」
本当に藪から棒であった。
シズクは振り向いて、困る、困り果てる。
突然と思われる告白。だが、実の所二度目の告白である。
シズクは、二年前と同じように、彼に思いを伝える。
「ですが……僕には好きな人がいます」
遠回しのようで、かなり直接的なフリ方。
「僕は魔王を愛してる」
彼は、クーは微笑む。
悲しそうに、悔しそうに。
「知ってるよ、初代魔王……。
確かに、彼女、オガワ・スイソがほの字になるほどにかっこいい」
初恋をほじくり返されて、黒歴史にシズクは思わずクーを呼び止める。
「マーメイドプリンセス! 人魚「重力的眩暈」さん!」
「……その呼び方はよしてくれないかな化け猫さん、恥ずかしいから」
からかったはずの彼は、何故か、彼の方こそ泣きそうになっていた。
ともあれ、猫耳な「魔法使い」少女と人魚姫魔術師は、魔王再生の計画をリプレイするのであった。
「とまあ、こんなバカみたいな頼み事をができちゃうのは、ものすんごいプレゼントがあるって前提があるわけであって」
「んるるる」シズクは当然! といった様子でクーのことを信頼している。
「分かってます、分かってますとも。天才魔術師であるあなたが僕なんかに愛を捧げる茶番を許すわけが無いでしょう!」
「……」
クーは少し悲しそうに、あるいはどこか怒ったようにしている。
が、二十九歳程度の肉体は十四歳ぐらいの少女の初心を簡単に騙せていた。
「何を隠そう」クーがぽつり。
「魔王の、あの人の情けなぁ〜い後輩、27代目の魔王の体を、アイオイ・ルイのバカ兄貴を、天使たちの巣窟から盗んできたのだ」
クーに向けてシズクが目を丸く、驚く。
そして……楽しそうに微笑む。
「なんとなんと、それはそれは、素敵ですね」
ありがとうございます。




