深夜のダブルベッド三人利用 終わり
彼があまりにも小さく笑うものだから、だから、当然のごとく神様は彼の存在にすら気づいていなかった。
「あ」
ただ下卑た笑みを浮かべて、近くに見つけた、見覚えのある人の似姿だけを見ている。
視野がとても狭い。
この場面において一番魅力的で、一番攻撃力が弱くて、一番犯しやすそうな対象を見つけ出す。
「あ」
神様は笑いながら、ヨダレを垂らしながらアクア嬢に襲いかかる。
「わ!」
アクア嬢の前に、エイムが立ちはだかる。
一見してふざけたハロウィン野郎にしか見えない。
そんな相手であればこそ、神様の方も油断して単純な圧殺でことを済ませようとしていた。
だが。
金属同士がぶつかり合うような硬質な音色がホテルの室内に響き渡る。
エイムが発動した魔術らしきもの、によって神様の体は窓ガラスがある壁まで思いっきり叩きつけられていた。
刹那の速度でモネとシズクがエイムの挙動に視線を向ける。
見れば、やはり彼の手元にはひとつの魔術が展開されていた。
魔術とは、簡単に言えば魔法とは異なるもの。
魔法よりかはよっぽど理論的で扱いやすく、科学世界の仕組みと近しい魔力の動かし方をする。
魔術のひとつ、防壁に特化した術式をエイムは右手の先に展開していた。
否、右手の先にという表現が果たして正しいのか、魔法使いたちにはすぐに判断することが出来なかった。
なぜなら彼の姿は見えなかった。
限りなく透明に近い、まさに「透明人間」の物語に登場する存在のようだった。
「全くもって、世界最高のイケメンと世界最高の美女の元に生まれたガキってのは、こういう気分なんだろうなあ??! なあ、イケメンの軍人さんよお」
エイムは何やら神様に向けて威嚇行為をしている。
溜まりに溜まった言葉を吐き出すかのような勢い、発音はなめらかでよく耳に届いてくる。
「「透明人間」の魔物に生まれて、ずっと姿を隠して……あの子をボコボコに陵辱したクソ野郎共を一匹ずつぶっ殺す! ようやく、ようやくだ……!」
なるほど、とシズクはナイフを左手に、エイムの殺意をひんやりと感じ取っていた。
汝が敵を殺さんとする意識、覚悟、決意。
彼は己の自由などハナから望んではいなかった。
石に封印されたことで恨みを抱くとすれば、「透明人間」としての物語を使い果たすことすら出来ずに、憎しみを晴らせられないこと。
傷つけられた誰かを助けられなかった、己に始末を付けられないこと。
「ああ、嗚呼……なるほど、なるほど」
シズクはエイムから目を逸らして、神様の方を凝視する。
「全部を殺して、自分もさっさと自殺したかったんですね」
そう思わなければ、そうやって呪い続けなければ、後悔が自己のあらゆる要素を蝕む。
死を望むよりも苦痛な時間だけがただひたすらに累積する。
「ふふ」
シズクは神様の方に一歩近づいて笑う。
「そんなこと」
家族も捨てて、自分の後悔だけを消費し尽くす。
「なんて素敵なのでしょう!」
地獄に身を投じる、彼のことをシズクは美しいと思った。
美しいと思う。であればこそ、シズクはその対象を全力で守り切らなければならない、そんな思いを抱いた。
「はて、しかしていかが致しましょう」
悩む猫耳の魔法使いに、モネが提案をする。
「目には目を歯には歯を、はどうかな?」
優しさの欠けらも無いアイディア。
「ふふ……ふふふ」
シズクは爆笑したくなる気持ちを胃が捻れるような気持ちで懸命にこらえる。
魔物の小娘たちが邪悪なイマジネーションを働かせている。
その間、エイムは久しぶりに起動した魔術の形を整えるのに必死だった。
彼の計画としては、魔力を生命維持が不可能になるまで消費して防壁で叩き潰す。
というのが本来望むシナリオ。
「危ないから、離れろ!!」
呪われた身、生命活動の正しさから離れすぎた影響でエイムの存在はかなり気迫になってしまっている。
それこそ「透明人間」の物語を己の意思で自由に抑え込めないくらいには。
ならば。
「アンジェラ」
モネが同業者に指示を出す。
眼帯の奥にある義眼、戦火をくぐり抜けた計算式の繰り返しは今も続き、戦闘場面に的確な移動経路を示す。
モネの指令からアンジェラは手元に武器を握りしめる。
背中に抱えている謎の杖のようなもの。
シルバーを基調としたオシャレな杖かと勘違いしそうになる。
だが実の所その杖はハンマーで、金槌の部分でアンジェラはエイムの頭部を上から下へ、全力で殴ろうとした。
ラブホテルの狭い室内、さしたる移動距離は必要ない。
よもや魔力の過剰消費で疲労感に弱くなってしまっている。
元軍人であろうとも、現役の魔法使いの攻撃に上手く対応できなかったようだ。
「ぐ、ぅ……?!」
五寸釘よろしく頭部を叩き潰されるものかと、そう思い込んだ。
だがエイムの真っ当なる思い込みは外れる。
実際にはアンジェラの金槌はしっかりと対象を殴っている。
ただし人間のような、科学的根拠のある肉体のそれとは異なっている。
魔物が魔物たる所以、魔力が織り成す実像。
人間側から見れば虚像、頭の中に思い浮かぶイメージ映像のようなもの。
金槌はそれに触れて、そして一種のヒーリング魔法のようなものを大量に注入していた。
薬の過剰摂取のような現象が怒る。
「あ、……が、ぁ……!」
過剰な魔力の増幅にエイムの意識が混乱する。
吐き気のような不快感、視界は揺れて滲んで、所々青紫色の暗黒が膨らんでは縮む。
「増幅完了!」
アンジェラがそう叫ぶ。
誰に向けての報告なのか、不快感に溺れるエイムの思考は、そのような状況に陥ってもなお元軍人らしく冷静に判別していた。
モネはシズクの方に目配せをする。
しかしてシズクの方は言われるまでもなく、まるで童話のプリンセスを取り巻く動物たちのように嬉々として場面の下ごしらえに参じる。
シズクが左手……ではなく右手をかざしている。
左手には軍事用ナイフのような武器が握りしめられているため、自由が聞くのは右手のみ。
シズクは実に魔法使いらしく、手のひらを快くかざして魔法を使う。
冷たい空気が場面を問答無用で支配する。
もとより冬の終わり程度の気温がある土地。
それも「太平洋」と呼称されていた海洋に面しており、また緯度も南に近い。
雪が珍しいほどには温暖な地域。
そんな場所に長らく生息していたエイムにとって、シズクの魔法が作り出す冷たさは異常なものとして認識するより他はなかった。
自然現象が生み出す正しい氷とは圧倒的に異なっている。
暴力性に満ち溢れた蒼い氷の塊が、真冬の容赦ない吹雪のごとく神様に襲いかかる。
マシンガンのごとき速度と猛吹雪の冷たさに同時に襲われる。
神様の規格外の魔力よりも先に、ホテルの壁の方が限界を迎えてしまっていた。
ボカァーンっ!!!
ド派手な音を立ててホテルの壁が氷の礫に破壊される。
雪風に吹き飛ばされるように、神様の肉体もホテルの外側に放り出される。
外では雨が降っていた。
雪の欠片のように覚束無い冷たさは雨のぬるさに次々と溶かされていく。
神様の肉の間を流れる血の温かさを奪っていく。
ここはラブホテルの上層階、壁の外には虚空しかない。
狙いを済ますまでもない。
アンジェラはだるま落としの要領にて、溜まりに溜まり、濁りに濁ったエイム氏の魔力を金槌で打ち出す。
と同時、モネが拳銃を構えて素早く呪文を唱える。
魔法使いが魔法を使うために必要な言葉の幾つか、そのうちの一つ。
世界を少しだけ変える何か、それらの情報にアクセスするためのパスワード。
「羅針盤を弄ぶ、帰路は失われた
思考と不眠症の婚姻
過去の証明こそ牢獄の鍵
フィクションを止めてはならない
そして海に錨を落とす」
かなりの早口で済ます。
同時に一字一句間違えることなく、それぞれの単語や接続詞を正しく運用、発音しなければならない。
魔力関係なく単純に難易度が高い方法、戦争時代から見ると酷くアナログに見えるに違いない。
実際エイムは牛乳の魔法使い、つまりはモネの使用した魔法にびっくり仰天してしまった。
緊急事態を少しだけ忘れそうになるくらいには、酷く古ぼけた方法でしかない。
とはいえ魔法は魔法に変わりなく、呪文はそれなりに見事に発現をした。
魔法陣が発動する。
文字列が記されたもの、魔法のひとつ、何やらタイトルが書いてある。
人間には読めない文字だった。
人類文明の感覚ではただの模様か文様にしか見えない点と線の繋がりと連なり。
……いや、もしかすると原初の時代に生きていた誰かならば、この世界、魔物たちの使う言葉の意味を理解できるのかもしれない。
残念ながら人間の抱く不理解について、この場面においては誰一人として理解することは出来なかった。
たとえ人間を材料にして作られた神様であろうとも、この世界においてはもう既に「人間」としての特性を失ってしまっている。
死者の魂が失われた、その後はもう二度と魂が肉体を灯すことが無いように、ただひたすらに出来ないのだ。
だから、人間では無い彼らは普通に魔法陣を読むことが出来た。
「怪物はささやく」。そのようなタイトルの魔法陣だった。
魔法陣を、己が作ったそれを、モネはやはりと言うべきか自らの武器で破壊している。
弾丸が魔法陣を破壊する。
夏の夕方、宵闇が近づく頃合い、夕立が通り抜けたあとの雑木林のような匂いが雨風に乗って室内を満たした。
冬が一気に夏の気配に戻ったような、そんな湿度だった。
目まぐるしく季節、もとい魔力の方向性が書き換えられていく。
「そうれ! ファークライ!」
ゴルフのつもりなのだろうか?
どこかで聞き覚えのある、ゲームのタイトルっぽい掛け声とともにアンジェラはエイム氏から搾り取った魔力を金槌でさらに強く打ち出した。
生きている男性から搾り取ったばかりの採れたてピチピチの魔力。
魔物としての存在の証明、意味、人間の言葉で物語として扱われる。
春の嵐のような力強さにて、春夏秋冬のそれぞれの温度が不自然に触れ合ってしまう。
混ざりあった、混沌が渦を生み出す。
例え話のそれらとは意味合いが大きく異なってしまう、本当の意味での渦が発生していた。
熱々のコーヒーにミルクをとぷりと注いでかき混ぜた、そのすぐあとに見える刹那的な色彩のようなもの。
渦の中心に、まさしく狙い済まして神様が存在している。
世界の許容を超えた数々についに耐えきれなくなる、堪え性の聞かなくなった弊害は渦のいちばん近くに存在している物体に降りかかる。
「あ」
気づいた時にはもう遅かった。
神様は己の存在の重さを知ることが出来ないまま、そのまま空間の歪と魔力の渦に飲み込まれる。
ただそれだけの事だった。
「うあ」
壁の向こう側の風景に、図らずしてエイム氏は見とれてしまった。
己の悲願が今この瞬間、ついに達成されようとしているというちゃんとした意味合いも、もちろんあるにはある。
しっかりと感動が主軸に存在している中、しかして心の片隅にどこかしら神に対する羨望が欠片ほど存在している。という事実を賢明なる彼は悲しいまでに自覚してしまっていた。
死を迎える瞬間があんなにも美しくお膳立てされるなんて、嗚呼羨ましい。
恨めしい、お前らが犯してヤリ殺した誰かは、そんな風には最後を迎えられなかったというのに。
「クソッタレが……」
空間の歪みに閉じこめる。
いつ頃出られるかは「神様」には与り知らず神のみぞ知る。
百年後だろうが、三日後だろうが、どの道この世界に戻ってくる限り「それ」に人間としての甘美を味わう機会は既に失われている。
分かりきっていること。
それでも、エイムは直接傷つける方法を選んだ。
そうしなければ、自分を保てなかった。
そして今は、単純に疲労感で眠くなり意識を保てない。
石っころに封印されるよりも深い、深い眠りに彼は落ちていった。




