深夜のダブルベッド三人利用その四
ともあれ、自己紹介がまだだった。
「俺の名前はエイム。ラフィー・エイム」
「エイム……」
苗字から個別名称まで、しっかり耳にして、その上でモネは胸の内にまあるく違和感を抱いていた。
「あ? どうかした?」
「ああ、いえ、なんでもないです」
かなり異質な雰囲気を込めた自然であったため、エイムはモネの方に怪訝そうな声を向けてきている。
モネが慌てて訂正をしつつ、まずはとにかく客が何を求めているのかを調べようと試みる。
「とりあえずざっくり質問させてもらいますけれど、一体何を助けて欲しいんでしょうか?」
「それはもちろん、俺を助けて欲しいんだよ」
どう助けて欲しいのか、と言うより自分の身に何が起きているのか?
エイムは、改めて確認するように、落ち着いたような声で話し始める。
「俺は昔、侵略戦争で運搬作業を担当していたんだ」
戦争というのは、ざっくばらんにまとめれば人間と魔物が互いの生存に関わるありとあらゆる要素をかけて行った戦いのこと。
現状世界が滅び掛けの瀬戸際、ラインを攻めまくっている状況の原因のうち、一端とされている。
旧世界において発現した戦争行為の概ねに従い、魔物側も大量のオスを消費する羽目になった。
そのうちの1匹にエイムも含まれていたらしい。
「ある日、戦闘用の備品を運んでいる時に、俺は人間側が起こした戦争犯罪に巻き込まれた」
何でも魔物か人間か知らないが、軍人が若い個体を複数で強姦していたらしい。
そして。
「止めに入ろうとして、俺は逆にボコボコにされておふざけで魔術をかけられて、その辺にあった石っころに雑に封印されてちまった」
それから?
「戦争が終わったあと復興建築がどうのこうので石材が使われて、んでもって、俺が封印された石は無事、このラブホテルのこの一室のどこかしらに使用された。
というわけなんだ」
締めくくり、エイムは本懐を告げる。
「そろそろ、もうすぐ? 女まわして得意げになっていた軍人のうちの一人が、人間が、神様に成り果ててこのホテルを襲いに来る」
「そ」言葉が詰まるのを堪えて、懸命に堪えてモネは彼に問うべき事を問う。
「その根拠は?」
エイムは答える。
「六年、六年かけて俺が延々と準備し続けたお膳立て、据え膳がいま、この瞬間、ようやく完成しつつあるんだよ」
というのも。
「俺は、……自由を幸せを馬鹿みたいに奪ったくっせえクソ人間を許しちゃいない、一時も。
だから雑魚魔物は雑魚魔物らしく、延々と呪いをこしらえ続けた」
まず、召喚の儀式。
ラブホテルそのものを基軸として、肉欲の知識を延々と土地に練り込む。
「はいはいはーい!」
アクアがそこで元気よく手を挙げている。
「なんかね、いくらでも待機時間使ってもいいしこの部屋も使い放題だから、頼むから俺を手伝ってくれって、物凄く頭を下げられてさー」
「失敬な!」
アクアの主張をエイムは嫌そうに否定している。
「頭を下げるだけで済むかよ、全裸でケツにロウソク三本ぶち込みながら土下座しようとしたら、あんたが気持ち悪がって断ったんだろうが」
「すごい覚悟じゃの……」
アンジェラはエイムに対して戦慄を覚える。
何がなんでも人間に復讐したい、という意気込み。
であればこそ。
「土地の準備は整い、あとは神様とか言うのを召喚して、そして、テキトーに気持ちよくさせりゃ、あいつはもうこの世界に二度と戻って来れなくなる」
結論として、エイムはかつての加害者をこの場所から追い出したい。
駆逐をして欲しい、との事だった。
「可能か?」
問われて、モネは首を小さくかたむけて悩む風体を作る。
「決して不可能というわけではありません」
西の土地に受け継がれるどくどくの訛りを乗せて、モネが仕事内容の予測を相手に伝えている。
「ですが、わたしどもの専門とする業務からはいくらか離れてしまっている、ということをまずもってお伝えしておかないといけません」
「と言うと?」
エイムの質問にモネはハッキリと答える。
「わたし共は水曜日さんを殺害、ないしそれと同様の状況に落とし込めることを専門とした魔法使いでありまして。
要するに、水曜日殺し担当の殺し屋、と言いましょうか」
何となく察していた。
あれだけ血まみれになるのなら、相当必死に元人間の「水曜日」を殺しているのだろう。
だからこそ。
「殺したくは無いな」
エイムは細やかな注文内容を伝える。
「なるべく、殺さない方向で」
「なるほど、なるほど」
モネは、客の要望をそれとなく察した。
「承りました」
さて。
「でもさ、でもさぁ」
何やら物々しい感じになりつつある。
場面の中で、アクア嬢は魔法使いたちに質問をする。
「水曜日召喚するって言っても、どうするの? どうするのっ?」
久方ぶりの乱痴気騒ぎ。
セックス用アンドロイドの彼女は騒がしいのを基本的に是とする性質を有している。
「方法や色々とあるんやけど」
モネはその色々の中から一つ、適当と思われるであろう手段を選ぶ。
「アンジェラ」
同期であり、若干年下の同業者である彼女にモネは目配せをする。
「ふむ」
モネの青い瞳の思惑、アンジェラはツインテールの根元から生えているシャボン玉色の透き通る角をぴょこ、と動かしている。
了解の合図だった。
「えーっと、ロッカーロッカー」
ラブホの部屋の収納から、アンジェラは一個のアタッシュケースのようなものを取りだしている。
広く一般的なアタッシュケース。
若干サイズが大きめに見えるのは実際に大きいのか、あるいはアンジェラの小柄な肉体が演出する目の錯覚なのか。
どちらにせよ、その鈍色のアタッシュケースからエイムは確かにひんやりとした空気を感じとった。
決して悪寒のそれとは異なっている、と体が判別したのは、アンジェラが直ぐにケースの中からとある一品を取り出したからだった。
「それは」
エイムは驚く。
アンジェラは次々とケースから、選り取りみどりの酒を取り出しているのであった。
発泡酒ひとつとってもコンビニで気軽に購入できる缶ビールから、果ては海外の土地でしか手に入らなさそうな、あからさまにマニアックな地ビールまで。
それこそダブルベッドの上が簡単に埋め尽くされそうな勢いで、ケースから次々と様々な酒が登場してくるのであった。
「ちょ、ちょ……おい」
「んあ? なんじゃあ」
がんを飛ばそうとして全く上手くいっていない、そんなアンジェラにエイムは質問せずにはいられない。
「な、なに……? そのアタッシュケース」
「ああ、これは所持品を簡略化する魔術でね。本人の持ち物と認識された物品を所有者の意思でさながらパーソナルコンピューターにしまい込めるデータ並みに縮小することが可能の優れもんじゃよ」
魔術というファンタジックなアイテムの解説にしてはやたらと現実的要素が多すぎている気も無きにしも非ず。
「って、それは別にいいんだっての」
エイムは自己否定する。
別段魔術自体は彼にとっても刺して珍しいものでは無い。
むしろ、アンジェラが使用している魔術そのものは軍務に着いていた彼にとって仕事道具に等しい親しさがあった。
なれば、彼が注視したがるのは魔術が使用されている対象であった。
「どっから用意したんだよ?! そんだけの大量の酒……!?」
聞くところによれば戦後の混乱時によってありとあらゆる酒は消失し、今や酒とタバコは大人どころか貴族家族王族でさえ足を向けては眠れない存在に到達した。
「いやいや、さすがにそこまで状況は悪くなっとらんよ」
エイムの動揺をモネが困惑気味に訂正している。
「たしかに、戦争が終わった直後はちょいとそれに似た状況に陥ったらしいけれど……。でも、今どきは旧世界技術の発掘も軌道に乗って、それなりに嗜好品も流通するようになっとるから」
「はぇーそうなのかよ」
ここで初めて、エイムは戦争に使われていた当時の若者らしい様子を思い出していた。
「俺がガキの頃は、酒なんて夢のまた夢だったんだがなぁ」
社会情勢の意味合いなのか、それともただ単に未成年飲酒禁止法が織り成す大人への憧れか。
どちらにせよ、エイムはまだ観察眼を継続させたままだった。
「だとしても、この量の酒はいくらなんでもおかしくないか?」
いよいよホテルの一室を埋めつくさん勢いの、そんな質量の酒の気配を感じ取ってしまった。
「ドラゴンのお嬢さん、あんた、これだけの量の酒を一体どこから」
エイムに問われ、アンジェラはいかにも意味深にルビー色の虹彩に彩られた縦長の瞳孔をつい、と斜め上に滑らせる。
「なに、うちのコレが会う度会う度渡してくるもんじゃから」
そう言いながらアンジェラは右手で小指と親指と人差し指を同時に立てている。
「どれだよ」
おふざけたっぷりに揺れる指先を眺め、エイムははあ、とお決まりのため息を着く。
「なんつうか、マジでヤバい感じしかしねぇな、お前ら」
「お陰様で」
モネが肩をすくめて、そしてアンジェラから一本の酒瓶を受け取っている。
上品な作り、シンプルな出で立ち。シックなドレスに身を包んだ貴婦人のような佇まいのそれには、「カベルネ」という名前が残されていた。
「さあさ、どうぞ」
シズクが左の指先で空気をつつつ、とくすぐっている。
何も無いはずの空間。
否、空気であろうとも、たとえ科学的な世界観であろうとも、全くの透明ということはありえない。
そこには酸素なり、あるいは謎のウイルスであったり、もしくは水分が含まれている。
でなければ人間の肉体は生息できない、魔物でも同様だった。
シズクの場合は水分を多めに使用する。
氷のように透き通った、しかし程よく凹凸を含ませ工芸品的妖しさを醸し出したグラスを用意している。
とくとくとく、とワインをグラスに満たす。
途端、酒の芳香が空間を次々と満たし、一瞬にして場面の色彩を塗り替えていく。
かぐわしい香りに「ごくり」と思わずエイムの喉元が鳴る。
「???」ただ一人、味覚を必要としないアクアだけが状況を一番冷静に、そして他人行儀に眺めていた。
モネが神様に向けて言葉を発する。
「申す! 何処より訪れし御霊とは存ぜぬが、畏み畏み申す」
祝詞のようなものらしい。
もっと気楽に考えれば、電話の呼び鈴のようなもの。
言葉はただの音でしかなく、声よりも求める美味さ、つまりは酒をモネは天に掲げる。
掲げて、そのまま手を離した。
ごくごく自然な動作。
言うなればなんの感慨もない、ただワイングラスから手を離しただけのこと。
「あ」
と、声を出したのが果たしてエイムの喉元なのか、もしくは別の何かだったのか。
少なくともエイム自身には判別がつかなかった。
分からなかった。なぜなら。
「あ」
落ちゆく酒の波を中心点に、突如として謎の空間の歪みが現れたから。
歪みそのものがまるで人間の幼子のような、無垢で拙い声を発していたから。
声はあまりにも存在感が大きくて、まるで鼓膜を直接針で刺すかのような不快感がうずまき管を貫通して脳を直接犯した、ような気がした。
現れた「人間」。
あるいは人間だったものが巨大な、あまりにも巨大で正体のない呪いによって「神様」に変身させられたもの。
神様は大きな唇のような御姿をしていた。
唇以外の器官は存在しておらず、見ようによっては雑な作りのウインナーか、もしくは萎れた小腸がぶつ切りにされて二本並べられているようにも見える。
唇の奥には歯があって、歯茎があって、舌びらがあり喉があり。
なのに、外側から見た際には唇以外の全てが存在していなかった。
「あ」
唇しかない神様はニチャニチャと唾液を混ぜながら、意味もなく空間を下で味わっている。
青紫色の血管と思わしき隆起が何本も走っている舌。
職種のように蠢くそれはスプリットタンよりも分岐が多く、三又に別れている。
三本に別れた触手はそれぞれに心を有しているかのように、勝手気ままに動いている。
意思決定も無いままに、神様は酒の次の味を意地汚く求めている。
唾液の匂い、粘膜の気配、あるいは呼吸の音。
「……ハハ」
全てが鮮明に思い出せた。
「受付さん?」
アクアが脅える。




