15-6 伏見 北条本陣3
来るんじゃなかった。
つくづくそう思いながら、すだれに向き直る。
その向こうに本当に左馬之助殿がいるのだろうか。
先程から動く気配がしないので、いないような気がするのだが。
上座に正対して、お行儀よく礼を取ろうとしたところ、若干不満そうな顔にも見える遠山が、「ではこちらへ」と刀を収めながら言った。
……やっぱりいないんじゃないか。
この野郎、と怒り半分自棄半分、何も言わずにニコリと笑って立ち上がると、遠山はともかくとして、すだれの前に並んだ左馬之助殿の側付きたちは申し訳なさそうな表情になった。
よかった。
こういうのは客に見せるものではないという、最低限の常識がある者はいるようだ。
だが上の言う事には逆らえないのだろう?
武家の世界はもともとそういう色合いが強いが、北条家の家風(?)は強烈だな。
もはや軍議でも詮議でも公事でもない。パワハラ集会と呼んでやろう。
これだけの人数がいるのに、息遣いも衣擦れの音もしない。
転がっている芋虫たちを含め、全員が息を詰めてこちらの動向を注視している。
北条は普段からこんな感じなのか?
だとすれば、叛意を抱くのはそれが理由なんじゃないか?
気概があれば誰だって、こういう環境から脱したいと思うはずだ。
案内はいいからこのまま帰ったら駄目かな。
遠山をどこかへ連れて行ってくれと、懇願されている気しかしない視線を浴びつつ、表立ってはいい子ちゃんな笑顔で、ぎっしり大人たちが詰め込まれた広間を通り抜けた。
「……驚かれたでしょう」
部屋を出てそれほどしないうちに、遠山が忘れ物をしたと引き返し、その間に小声で話しかけてきたのは左馬之助殿の側付きのひとりだ。
特別何かがあるわけでもない、当たり障りのないねぎらいの言葉だったが、あの強烈なインパクトのあとでは心のオアシスを見つけたような感じがした。
いつもああなのか、と真顔で尋ねそうになって堪えた。
これも北条の求心のテクニックかもしれない。そんな用心が働いたのだ。
小声での解説いわく、寸鉄帯びずの集会は先代からの伝統のようだ。
いやいや、突っ込むべきなのはそこではない。
見せしめのための処刑とか、その他もろもろ気になるところが満載なのに、当の家人は慣れ過ぎてわからないのだろう。
遠山のやり方が尖りすぎているというよりも、やはり北条家の家風そのものがあんな感じなのかもしれない。
左馬之助殿がいるという、奥まった部屋にたどり着くなり、室内でバタバタと焦ったような物音がした。
側付きの進藤はまったく何も聞こえなかった様子で「福島勝千代さまをお連れいたしました」と鋼のメンタルな取り次ぎをしている。
そして返答を待たずに襖を開けてしまった。
「お取込み中失礼いたします」
進藤はまったく「失礼」だとは思っていない声色でそう言って、深々と頭を下げてから主人の許可も待たずに部屋に入った。
驚いた表情をした小奇麗な少女が、柿をひと切れ黒文字に突き刺し手を添えている。
いわゆる、「あーん」の体勢だ。
……確かに取り込み中だな。
勝千代は、先程までの重苦しい空気とのギャップに、ついつい聞えよがしなため息をついてしまった。
重傷説はどうなった。薬で意識朦朧としていて、眠ってばかりだと聞いたぞ。
先程バタバタしていたのは、慌てて臥所に潜り込んだ音だろう。本当に骨折していたら、あんな動きは到底無理だ。
「何をやってるんですか、本当に」
勝千代が同じことを尋ねるのも、もう三回目だ。
「何もしていない」
左馬之助殿は、もの凄く言い訳じみた表情でそう言った。
……そう、布を巻かれていた顔の怪我はむき出しになっていて、確かに酷い怪我ではあるが、顔中を覆い隠すほどのものではないのがわかる。
「柿をお食べになりたいと言わはって」
若干赤らめた顔でそう言ったのは、十代半ばを過ぎた年頃のものすごく若く可愛らしい女の子だ。
武家らしい身なりで京訛り。どこから連れてきた。
今広間ではパワハラ集会の真っ最中で、謀反人が芋虫状態のまま首を刎ねられそうになっていたのに。
女の子に柿を所望する元気があるのなら、参加しろよ。大将だろう。そしてその天性の暢気さで、あの惨状を喜劇にしてくれ。
左馬之助殿の天然スキルはそのためにあるのではないか?
「込み入った話がありますので、妙殿はお下がりを」
妙というらしい少女は、ぶしつけな進藤の言葉に腹を立てることもなく、にっこりと赤らんだ顔のまま左馬之助殿に微笑みかけた。
「まだお身体をお拭きしてのうて」
……マジで何やってんの、モテ男め。
勝千代の冷たい視線に、左馬之助殿は何度も咳払いをした。
左馬之助殿の言い訳をまともに聞くとするならば、特使団対策とのことだ。
連中には重傷中の重傷だと告げているので、表だって動くわけにはいかないのだとか。
だったら柿食うな。女の子呼ぶな。
勝千代の心の声は隠し切れなかったようで、つたない言い訳のあとはしょんぼりと眉を垂らす。
よくよく見れば室内にはほかにも護衛や側付きたちが控えているので、ふたりっきりで昼間からよからぬことを云々というわけではないのだろうが、それにしても……どこに行った緊張感。




