15-5 伏見 北条本陣2
誰も何も言わない。
びったんびったんと板間に手足が叩きつけられる音が異様だ。
勝千代の困惑の表情をどう取ったのか、「御目汚しを」と眉を垂らしたのは遠山ではなく、前回左馬之助殿の背後にいた側付きのひとりだ。
どうやら芋虫たちは、生き残った副将の親族らしい。
あちこち破け、血もにじんでいるが、身にまとっている小具足は立派なものだ。それなりの身分なのだろう。
そのじたばたと芋虫状態の惨状と、無言の武士たち、ニコニコ笑顔の遠山という対比がものすごくシュールだった。
「いや、若君にもご迷惑をおかけしましたが故に、見て頂こうかと」
遠山の、至極ご機嫌なその言葉に、逆に嫌な予感が増した。
一体今から何を見せられるのだろう。
しゃり、とよく知っている音が聞こえた。
刀が鞘から抜ける音だ。
勝千代を守るべく、護衛たちが壁になって立ちふさがる。
「……お待ちを」
その肉壁越しに見えた情景に、思わず制止の声を上げてしまった。
刀を抜いたのは遠山だ。
ウキウキ楽しそうな表情で、刃を振り下ろそうとした先は芋虫の首の付け根だ。
「殺すのですか」
「はい」
刀を振り上げたまま、ものすごく不思議そうな顔をされた。
「ここで?」
「ええ、もちろん」
……ええぇ、マジか。
直垂姿の北条家家臣たちはみな神妙な……いや、気のせいでなければ強張った表情をしてこちらを凝視している。
勝千代たちに警戒しているというより、自身の身を心配している雰囲気だ。
要するに、これは見せしめなのだ。
北条家に叛意を持つとどうなるか、骨の髄まで恐怖を埋め込もうとしている。
徹底的に押さえつけ、二度と馬鹿な事を考えないように。
皆が小具足ではなく直垂を着ているのは、この場で武装することは許されていないからだろう。
見たところ誰ひとりとして刀を持ち込んでおらず、両手を膝の上に置きピクリとも動かさずにいる。
瞬きですらするなと言われているのかもしれない。
ちょっと待てよ。
もしかしなくとも、勝千代が「行きたくない」ともたついていた間もずっと、彼らはこうやって板の間にぎゅうぎゅう詰めで座らされていたのか?
具体的な時間を指定されたわけではないので、多少遅くなってもマナー違反にはなるまいと安易に考えていたのだが、その間死ぬほど恐ろしい思いをさせていたのかもしれない。
北条家の家臣の事情など知った事ではないが……いやいやいや。
これは駄目だ。
無関係のままなら、眉をひそめて終わりだったかもしれないが、目の前でやられるなどたまらない。
数え十歳の子供に何を見せようとしているのだ。
それとも、北条家ではそういう教育をするものなのか?
「借り家が汚れますよ」
違った。そういう事を言いたかったわけではない。
焦りもあって、とっさに意味不明な事を言ってしまった勝千代を、遠山はきょとんとした顔で見下ろしてきた。
そして、はっとしたように周囲を見回して、凍り付いたような家臣たちではなく、ここが一時的に借りただけの、しかもまだ建てられてそれほど経っていないよそ様の御宅だということを思い出したようだ。
「おお、気づきませんで……おい、誰か敷物を」
血しぶきが散るから止めたんじゃないんだよ。
「遠山殿」
人の首を飛ぶのを特等席で見たくはない。
頼むからどこか他所でやってくれと思いながら、表面上は愛想よく微笑んだ。
「処さねばならぬというならそうなのでしょう。ですが猿轡をして芋虫のように転がすというのは……」
「武士としての扱いなど不要にございます。賊として処罰して当然」
左馬之助殿、危うく死にかけたからなぁ。切り刻みたいほど裏切り者たちを許せないのだろう。
「それはそうかもしれませんね」
ここで反対の意見など怖くて言えない。
勝千代は従順に頷き、現代日本人の得意技、「合わせる」を発動させた。
それは思いのほか遠山の心に刺さったらしい。さっと頬が紅潮し、更に満面の笑みになる。
抜き身の刀をぶら下げた白髪のオヤジが、頬を赤らめながら息を弾ませている。
いや、普通に案件。ネットニュースだけじゃなくてテレビでも報道される奴。
お巡りさん、どこぉ……
「ですがそれだけでよろしいのですか? まだまだ余罪があるのでは? 首を刎ねるのは、吐くものもなくなるまで喋らせてからにした方が良いと思いますが」
スプラッタを見たくない一心で、ついそんな事を言ってしまった。
「もちろん調べつくしましたとも」
遠山は自信たっぷりにそう言い切って、「だから処分するのだ」と胸を張る。
いや、粛清が起こってからまだ数日。調べたと言っても軽くじゃないのか?
絶対に何か心当たりがあっても知らんぷりしてるやつが他にもいるぞ。
そうは思ったが、あえて口にはしない。
「そうですか」
勝千代は、壁となって立ちふさがっている護衛たちを目前から退かせた。
そして転がる芋虫の一匹に、昆虫観察をする少年さながら顔を寄せる。
地面の虫を見るかのようにしゃがみ込み、今にも首を飛ばされそうになっていた男の顔を覗き込んだのだが、よほど恐ろしかったのか、布の端から泡を吹きながら白目をむいて気絶していた。
仕方がないので、先程から滂沱の涙で床に水たまりを作っているもう一人に顔を向ける。
「お気を付けください。自暴自棄になり獣のように暴れるやもしれませぬ」
「もちろんです」
遠山の忠告に頷いてから、その若い男の湿った目を覗き込んだ。
知らぬ者ばかりだと思っていたが、その男の顔を見たことがあった。宿で奥平と対面していた、若い身分ありげな(偉そうな態度の)武士だ。
あのクラスの武士でも、本国での詮議も待たずに処刑か。厳しいな。
「何か言いたいことはあるか?」
勝千代が問うと、転がっている芋虫たちが一斉に「うーうー」と呻き始めた。
再びばったんばったんと重い魚が跳ねるような激しい音をたてて暴れ出す。
危うく頭突きを食らいそうになったところを、すごい勢いで襟首を引っ張られて回避した。
襟が締まって「ぐえっ」とカエルのような声を出してしまった。
誰だと振り仰ぐと、やはりこの乱暴さは谷だった。強く引っ張りすぎだ。首からゴキッと変な音がしたぞ!
「若、他家の問題に口を挟むものではありませぬぞ。左馬之助様のお見舞いに参ったのではなかったのですか」
よく言った逢坂!
勝千代は涙目になって首をさすりながら、ぴたりと張り付くように至近距離にいる逢坂のなめし皮のような顔を見上げた。
「そうよな。大切な詮議に子供が口を挟むなど、身の程をわきまえない事をしてしまった」
このまま逃げるぞ。
勝千代のアイコンタクトを受け取って、逢坂は大げさに頷き顎をさする。
「遠山殿も、詮議は左馬之助殿が床を上げられてから、処罰はもっと広い場所ですることをお勧めします。急いては見落とすものもありましょう」
こんな大勢がいる中でも、逢坂は断トツで年長だ。
そしてこの時代は、年寄りと言えるほどまでに生き残る者は少なく、誰もがその言葉に耳を傾ける。
特に逢坂は、見るからにたたき上げの、歴戦の武士だ。
しかもまだ現役で勝千代の側に侍っている。
それだけでも、尊敬を浴びるに値する人物なのだ。
新興国家北条はヤベェ奴らなのだと伝えたいのですが、遠山個人がヤベェ奴(別意)に><




