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春雷記  作者:
京都編

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15-3 伏見 遠山2

 遠山の印象と言えば、気苦労の多い左馬之助殿の側付きという、当たり障りのないものだが、そういえば初対面、風魔小太郎を叱責していた。

 忍びに対する武家の態度といえば、それでもまだ優しいぐらいかもしれないが、あの男に直接そんな口を利く度胸があるという意味では、もっと注視しておくべきだったかもしれない。

 とはいえ、現状こちらから何か行動をとることはないので、注視すると言っても本当にただ『見ているだけ』だが。


「お会いにならないのですか」

 そんな事を考えていた最中、何という事もない口調で問われた。

 真顔で「誰に?」と尋ね返しそうになった。

 もちろん庶子兄殿の事だろう。

 視線を返した相手の表情は温和で、むしろ朗らかだ。

 だがその目の奥は読み取れない。

「理由がありません」

 勝千代が首を横に振ると、わざとらしく「はて」という顔をされる。

「御父上の御実子だとあちらは申されておりますが」

「面識すらないのです」

「そうなのですか?」

「例えばそのあたりにいる誰かがその名を名乗っても、私には判別がつきません」

 会ったこともない相手だからな。

 遠山は真意を問うように勝千代と、その側付きたちを見回している。

 こちらこそどういう意図でそんな事を言ってくるのか聞きたい。


「会うても話すことがありません。共通の話題もないですし」

 聞いた話によると勝千代について散々な言いようらしいし、わざわざ会って不快な思いをしたくない。

 それに……一昨日の襲撃が庶子兄が画策したものだとしたら、その顔を見た時に強い憎悪を抑える事ができるか不安でもあった。

 怒りは理性を薄れさせる。これ以上誰かを失わないためにも、冷静さを手放したくない。


「お助けすることができると思いますが」

 聞き間違えようのない明朗な声色、しかもニコニコ笑顔のままそう言われた。

 勝千代は目を瞬き、一瞬その意味を考え、やがて「ああなるほど」と納得した。

 おそらく今限定の事だろうし、大元のところの確執にまで踏み込むほどのものだとは思えない。ただ、風魔しかり、遠山しかり、これは北条からの歩み寄りのサインだろう。

 つまり、勝千代が庶子兄を「処分して欲しい」と言えば、こっそりその首を刈り取ってくれるという事だ。

 ……怖いって。

「いえ、その必要はありません」

 勝千代はなんとか笑みらしきものを浮かべ、普段通りの声で返答した。

 遠山はこちらの目をじっと見つめ返してから、一度二度と首を上下させた。

「所詮は小物ですからな」

 納得したように頷き返さないでくれ。それってお前が風魔に命令を下せる者だという答えじゃないか。


 遠山は、明日にでも左馬之助殿の見舞いに行くと約束をとりつけ、ほくほくと人の好い笑顔のまま帰っていった。

 なんとかしのぎ切ったと思わず安堵の息を吐いてしまう程、返事ひとつするのにも気を遣ってしまった。

 遠ざかるその背中を遠目に見送って、ようやく周囲を見回す余裕ができたのだが、逢坂をはじめとして皆が険しい表情のままだった。

 一昨日の夜に続き、北条方からの「よからぬ誘い」に不安を感じているのかもしれない。

「……何だ?」

 子供の非行を心配している、という雰囲気ではなかった。道を踏み外すことよりも別の何かを気にしているようだ。

「お気を許しませぬよう」

 もちろんだとも。

 これまでになく気を遣って、言質を取られまいと頑張ったのだ。

「何を心配している?」

 そう問いかけると、逢坂は眉間の皺を深くし、三浦らは互いの顔を見合わせている。

「……典型的な引き込みのように見受けられました」

 引き込み?

「味方につけようとしているのでは」

「気を許したつもりはない。おそらくは今だけだろう」

「そうでしょうか」

 勝千代はまじまじと逢坂老の皺顔を見上げた。


「若は北条家と血縁関係にあります」

 かなり遠いけどな。

「北条は新興の御家ゆえに、家臣層が薄いと言われております」

「だから勧誘するとでも? 無理がある」

 長年刺客を送り込んできた相手だぞ。おいそれと信頼はできないし、そもそもあんな恐ろしくブラックなところで働くなど嫌すぎる。せめてもっとクリーンでホワイトな体質になってからにしてほしい。

「あちらも厭うだろう」

 勝千代はきっぱりと首を振って、ありえないと否定した。

 例えば今川館と揉めに揉め、何もかも放り出して出奔することになったとしても、よっぽどの理由がない限り北条へは向かわないはずだ。

「ですが、お嫌いではないのでしょう」


 逢坂老の言葉の意味を考え、苦笑した。

 左馬之助殿のことだろう。

 確かに嫌いというのとは違う。だが、親族だからという情などはないし、積極的に何かをしてやるほどの好意もない。

「……今だけのことだ」

 いわば今は、同じ船に乗った状態。

 嵐の方向に向かいそうなら、それとなく向きを示唆するぐらいはする。

 もちろん、沈みそうなら即座に逃げるが。

「この状況をしのげるなら、利用できるものは利用する」

 何より、勝千代の腕の中には守るべきものが大勢いて、そのうちの誰ひとりとして失うわけにはいかないのだから。

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― 新着の感想 ―
[一言] フラグ「まだだ!まだ終わらんよ!」
[一言] まずありえない軽口のつもりのお話しなんだろうが、歴史を知ってる人間には大きく響くフラグですね。
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