14-4 伏見 風魔小太郎4
情けない事に、とっさに目を閉ざしてしまった。
強く背中を土間にぶつけたからだなどと、言い訳はできない。
目を閉ざしたせいで誰が負傷したのかわからず、衝撃が通りすぎてからすぐに限界まで瞼を見開いたが、真っ暗なので状況の把握は難しかった。
ただ、幾人かの男たちが勝千代を守るために身を挺し、肉壁となって覆いかぶさっているのはわかる。
頭を守る市村の腕にぎゅっと力がこもったので、彼が生きている事は確かだったが、逆に言えば、それ以外の事は定かではなかった。
どれぐらい時間が経っただろうか。覆いかぶさっていた男たちが用心しながら退く。
「お怪我はございませんか」
なおも光る春雷を背景に、逢坂老が気づかわし気に勝千代を引き起こしてくれた。
「……被害は」
ゴロゴロと腹の底から震えるような雷鳴が続く。
「三名死亡。五名ほど負傷」
逢坂老は隠すことなくそう言って、なおも覗き込むように勝千代に顔を近づける。
ひときわ明るく、ぴかりと空が光った。
まるで昼間のように通りを照らし、皺顔の背後に、黒々とした屍がそこかしこに転がっているのが見える。
光ってから数秒後、ドドン、と地鳴りのような落雷の音がした。
一気に雨脚が強くなり、周囲に充満している血の匂いが泥のにおいと混じる。
構わず外に足を踏み出そうとしたが、止められた。
さっと複数名が貸店舗の入り口に向かって身体をねじ込み、警戒して腰を低くしている。
まだ敵がいるのか?
瞬きを数回。
気を取り直す間もなく、四角く切り取られた入り口をふさぐように、小山のような人影が立っていた。
誰かなど聞かずともわかる。顔が見えなくても、その体格だけで判別できる。
一瞬、襲ってきたのはこの男なのか? といぶかしんだが、それにしては周囲の者たちの反応がおかしい。
「下がってください」
弥太郎が勝千代の前に立ち、普段よりもトーンの低い声で言った。
「おいおい」
重低音の笑い声は、雷鳴の音よりもなお低かった。
「危ないところだったろう? ちょっとばかり手を貸してやっただけじゃないか」
再び雷が夜空を照らす。
ざあざあという激しい雨音に紛れた忍び頭の含み笑いは、場違いに楽し気だった。
ぬるりと光る鋼の先端が複数、黒づくめの風魔忍びに向けられた。
だがしかし、真正面から切っ先を向けられても、男は微塵も動じない。
「借りは早めに返さねば」
なおも空気が抜ける掠れ声で喉を鳴らし、その目が弥太郎から勝千代に移った。
「たいした胆力よ。震えてもおらぬ」
「今すぐその無礼な口を縫い付けてやる」
瞬間的に怒りを露わにしたのは逢坂だが、刀を向けた誰ひとりとして切りかかろうとはしなかった。
正確にはしないのではない、できないのだ。
貸店舗の中は狭く、巌のような風魔忍びと勝千代との距離が近すぎる。
「何故助けた」
勝千代がはっきりと通る声でそう問いかけると、男の目がますます楽し気にきらめいた。
「取引いたしませぬか」
貸し借りなどより現実的な理由があると思っていた。
そしてそのために、上手く交渉できるタイミングを狙いすましていたのではないか。
それは被害が出る前ではいけなかったのか。そう問いかけたくなるのを飲み込み、いまだバクバクと乱れ打っている鼓動を宥めながら、距離が近くなればよりはっきりと伝わってくるその威圧感に抗った。
「取引か」
生物学的に圧倒的な強者を前にして、恐怖を感じないわけがない。
だがしかし、ここで怯えて引くわけにはいかない。
逢坂老は三名死んだと言った。
誰を失った? 勝千代がこの件に関わると決めたから、散っていった命だ。
その程度の覚悟はしていた。折り合いなどつけようもない事実は、丸ごと飲み込むしかない。
彼らが命を懸けて守った意味を、無駄にはしない。
福島勝千代として、なすべきことを成すのがこの身に科せられた使命だ。
「申してみよ」
この男は味方ではない。
勝千代は明確にそう認識しながら、影になっているその目を見返した。
タイミングを見計らっていた事への非難ではなく、忠告を受けていたのに上手くしのげなかった自身への苛立ちの方が強い。
どうしてこの手は小さいのか。
どうしてこんなにも弱いのか。
誰ひとり欠くことなくという目標は既に達成することはできない。
何もかも、勝千代が無能で非力なせいだ。
再びピカリと周囲に雷光が差した。
続くドシンという落雷の音まで、一秒も間がなかった。
まるで地震のような地響きと同時に、懐かしい、どこか科学的な異臭が一瞬だけ鼻を突き、次いで生木が燃えるくすぶった臭いがした。
なお薄く電気信号のように空が光る。
激しさを増す雨と、殺気交じりで身構える男たちと、時折照らされる泥交じりの地面に転がる死体と。
その異様な様子を背景にした巨躯の忍びは、さながら地獄の鬼のようだった。
「さすがは鬼子。さすがは麒麟」
勝千代の内心の怯えを知ってか知らずか、風魔の忍び頭はわざとらしく身震いして見せる。
「……おお怖い怖い」
何が怖いものか。
怖いのはこちらだ。
こぼれそうな悪態を、奥歯を噛みしめて堪える。
「余談は良い」
勝千代は幾度か息を吸って吐き、まだ収まらぬ鼓動を落ち着けようとした。
弱みは見せてはならない。
この圧迫感に呑まれてもいけない。
「早う申せ」
勝千代の決めた行動ひとつで、皆が生きもするし死にもする。
再びその岐路にさしかかっているのだと、明確に感じ取っていた。




