14-2 伏見 風魔小太郎2
「兵に動きはまだ見られません」
朝倉についてだな。
弱小福島家の抱える忍びの数は、家のレベルにしては多いと思うが、大国北条家とは比べものにならない。
人が多いとかゆい所にも手が届く。もちろん、他家の忍びの言う事を丸々信じるなど自殺行為だが。
「それで?」
勝千代は風魔の忍び頭の太い声に小首を傾げた。
わざわざ言ってくるには理由があるはずで、それは若者ひとりの素性の問題ではないだろう。
「特使の中に亀千代殿がいるということは、福島家に何らかの仕掛けをするのではないかと」
「我らに心づもりをしておけと? 親切な事だ」
苛々しているな、三浦。
勝千代は腹立たし気に眉間にしわを寄せている三浦兄をちらりと見た。
庶子兄との間に何があったのか知らないが、ここで感情を露わにするのは良くない。付け込まれるぞ。
「今福島家が割れるのは困りますので」
案の定煽ってきたその言葉に、ぶわり、と鳥肌が立った。その場にいる者たちの怒りに当てられたのだ。
寒いぞ、寒い。
腹を立てるなとは言わないが、乗せられるのは頂けない。
勝千代は手にしていた扇子をパチリとならした。
「つまり?」
今庶子兄が現れたからと言って、ここにいる者たちが勝千代から離反するとは思えない。
煽るためにその言葉を選んだのだろう男は、微塵も動揺しない勝千代を爛々とした興味深げな目で観察してきた。
「風魔ではない忍び衆が伏見に混じっています」
今の伏見に他所の忍びが皆無なわけはない。
風魔衆以外にも、おおよその所は探りを入れに来ているのではないか。
例えば佐吉もそうだし、細川方の忍びがいないはずはないとも思う。
だが、この男が言っているのはそういう意味ではないのだろう。
「狙ってくると言いたいのか?」
伏見にいる福島家の数など寡兵どころか些少。
隣の宿場町にいる逢坂家の者たちを合わせてかろうじて百だ。どこの軍勢ともまともに戦える数ではないし、そんな事をするつもりもない。
つまりは、些少な兵がどういう動きをしようとも、北条方には影響はほとんどないはず。
例えば勝千代が今ここで死んだとしても、逢坂老や三浦らが庶子兄に従う事はないだろうし。
にもかかわらず、あえてこの話を振ってきた理由は?
まさか善意ではあるまい。
「いつもの事かとは存じますが」
風魔の忍び頭は重低音のきしみ声でそう言って、分厚い唇をゆがめた。
愛想笑いか、嘲笑か。
「御身お気をつけを」
普段狙ってきている奴がよく言うよ。
カチリ、と刀が鳴る音がした。
至近距離にいる護衛組がそろって片膝を立て、すぐにも刀を抜ける体勢になっている。
同時に気づいた。弥太郎もまた、無手の掌を不自然にわきわきと動かしている。
空気が重い。ついでにいえば寒い。
とうとう腹に据えかねた皆の様子に、どうしたものかと迷う。
ここで話を切り上げてもいいのだが、おそらくまだ続きがある。
わざわざ出向いてきたぐらいだから、こんな小粒が主題ではないはずだ。
「確かに、いつもの事だな」
勝千代は用心深く内心を覆い隠し、表面上は何という事もない顔を取り繕って笑い返した。
「わざわざそれを伝えに来てくれたのか?」
お前の言いたいことはそれだけか?
鷹揚に構えてそう問うと、にいっと不遜な笑みが返ってくる。
「ではもうひとつ」
溜めに溜めて、やっと本題か?
勝千代はコテリと首を傾け、聞く体勢に入った。
周囲も渋々と動きを止めるが、誰も刀の柄から手を離していない。
「細川京兆家のご当主は、最近お身体の具合がすぐれない御様子」
勝千代の脳裏に、すっと冷たいものが過った。
周囲の殺気に当てられてのものではない。急激に思考が回転し始め、無意識に指先をこめかみに当てていた。
「具体的に」
「積聚かもしれません」
なんでも腹のあたりにしこりのようなものがあるのだとか。
もともと体格が良かったのに、今ではかなりやつれて来ており、周囲には知られないよう隠してはいるが、それも限界に来ているようだ。
「容体は」
「臥せって動けないほどではないようです」
「お幾つだったか」
「四十ぐらいでしょう」
勝千代は医者ではないのではっきりしたことは言えないが、ガンかもしれない。
もしそうなら、年齢も若いし、進行も早いのではないか。
現代とは違い、外科的治療も薬物治療もできないので、こういう場合どれだけ生きる事が出来るのかはわからない。
もちろんガンではなく、例えば肝臓や腎臓の病気の可能性もある。
何にせよ、目で見てわかるほど痩せて体調が悪いというのは、かなり重篤なのではないか。
今回の件で初動が遅れたのも、それが原因かもしれない。
勝千代が考え込んでいる様子を、風魔の忍び頭は興味深げに眺めている。
我に返ったのは、逢坂老が軽く咳払いをしたからで、周囲の全員から注目を浴びていることにまったく気づいていなかった。
顔を上げ、意味ありげに唇をひん曲げている風魔忍びに視線を当てて。
「……伊勢殿はこの件を知っていると思うか」
「どうでしょう」
情報はこれで打ち止め、それ以上は何も話す気はないと言いたげに肩をすくめる男に、勝千代もまた、聞いても無駄だったと納得して頷いた。
他家の忍びから得た情報など、八割がたフェイクだと考えたほうがいい。真実かどうかの判断は、こちら側でも調べてからだ。
ただ、今現在そこに人手を割く余裕はなく、こういう事もあると考えて動くしかないのが厄介なところ。
「申し訳ありません」
風魔忍びが立ち去ってしばらくして、これまで人形のように背筋を伸ばして勝千代の前に座っていた弥太郎が、不意にぐるりとこちらに向き直り頭を下げた。
細川管領の病の可能性について考えこんでいた勝千代は、とっさに何を謝罪されているのかわからず首を傾ける。
「おくれを取りました」
ああ、細川殿の病気の件か。
弥太郎たちの本分は勝千代の身を守る事。京に連れてきた主任務は影供なのに、むしろ余計な仕事をさせている。
「手が足りないのは仕方がない。あの風魔の忍び頭とて、知っていることもあれば、知らぬこともあるだろう。今手元にある札で考え、より良い道を選ぶしかない」
「しかし」
「弥太郎」
なおも頭を下げようとするのを制し、勝千代はその腕をポンポンと叩いた。
「そのほうらは良くやってくれている」
人数がいれば、もっと細川氏へ向ける人員を増やせた。目で見てわかる情報なのだから、誰かがその顔を見さえしていれば、病気の件は勝千代の耳にも入っていただろう。
「人を増やすには掛かりがいるからなぁ」
弱小故の悩みだ。
無尽蔵な資金などないので、どうしても限られた人数でやっていくしかないのだ。




