14-1 伏見 風魔小太郎1
灯明のあかりだけの、ものすごく薄暗い室内で、まるでそこだけ大きく闇で切り取られているかのように見えた。
黒装束というのは、実は身をひそめるには不向きだ。真っ黒よりも暗い灰色か草色のほうがよほど闇に馴染む。
それでもなお男がそんな身なりでいるのは、彼なりの正装なのかもしれない。
全身を覆う漆黒の忍び装束。顔も頭も覆い、ただの闇深い影のように見える。
勝千代はそんな男をまじまじと見つめ、そう言えば初対面の段蔵や弥太郎も似た格好だったなと、四年前を思い出していた。
この男が何者なのか、弥太郎に聞いたわけではない。
ただ、二部屋続きの端と端、その間に護衛をたんまり詰め込んでの面会というのはやりすぎではないか。
「これでは話が出来ぬ」
「この距離でも安全ではありません」
勝千代は弥太郎の台詞にため息をつき、己の真ん前に背筋を伸ばして座っている男に呆れた視線を投げかけた。
「安全云々はともかくとして、話を聞きたいのに声も届かぬ」
いや、忍びの耳はいいので、勝千代の声はしっかり聞き取れるだろう。
普通に声を張れば、その逆も無理ではない。
だが、話し合いをするには距離がありすぎ、大人の弥太郎が目の前に座っているので相手と視線が合う事もなく、そのあまりの警戒ぶりに溜息しかこぼれなかった。
「命を狙うのなら、警備を固める前に襲っていただろう。用があるというのだから、話をさせてやれ」
「どうぞ」
木で鼻をくくったような言い方だ。
ぐふっと誰かが笑う気配がした。
いや誰かではない。平然と胡坐をかいて座っている風魔忍びだ。
なおもぐっぐっぐ……と、笑い声というよりは重いものがきしむような重低音だった。
「いや、失礼。随分とよく飼いならしておられる」
勝千代は視界の半分以上を弥太郎の背中が占めるという状態で、首を横に傾けるようにしてその男を覗き見た。
「それでは、手短に済ませましょう」
これだけの人数に囲まれても、まったく意に介さぬ堂々たる佇まいは、己の腕への自信からか、今は敵対することはないだろうという予測からか。
男は口元を覆っていた布を下げ、勝千代にも表情がわかるよう顔をさらした。
「伊勢守さまの隠れた側近について」
「隠れた?」
伊勢殿はそもそも頭を使う官僚タイプだ。その側近といえば、やはり文官だろうか。それとも真逆の武官だろうか。
武力面や実務の補助的なことをする側近であれば、隠す意味はない。
ということはつまり……何か後ろ暗い事をするための人員か?
「福島亀千代と名乗っておられます」
ざわり、とその場の空気が揺れた。
周囲はその名に衝撃を受けたようだが、正直なところ勝千代はそれほど驚いてはいなかった。
四年前からチラチラとその名前が現れては消え、どういう意図で動いているのか不審だったのだが……もしかするとずっと伊勢殿の紐付きだったのかもしれない。
「事情は少なからず存じ上げております。福島家を放逐される前から、その姓を名乗る事すら許されていなかった庶子だと」
淡々と事実を語っているように見えて、こちらを探る眼差しだ。
「ですが福島上総介様にとって血を分けた御子であることは確か。本人は父親を深く恨み、いつかその名と名誉を奪ってやろうと志しているようでございます」
想像してみる。
元服前に、実の父親から母親もろとも放逐された。それは彼にとって、全世界から裏切られたに等しいことだったのではないか。
福島家の嫡男はずっと決まっておらず、庶子兄らはその座を巡って激しく争っていたと聞く。だが同時に、名のある武人である父の跡を継ぐため、励んでもいただろう。
その未来が若くして絶たれ、見知らぬ土地に追いやられてしまった。
どれほど悔しい思いをしただろう。捨てられたと強く恨んでいてもおかしくはない。
庶子兄らが実際はどこにいて、どういう動きをしているのか。ずっとそれを探らせたいとは思っていた。これまで放置していたのは、人員の都合上だ。
だが、この男が言うように、伊勢殿の側で後ろ暗い道を歩んでいるのであれば……
「殿はお優しい故に、我が子を手に掛ける事を躊躇われました」
逢坂老がひどく疲れた口調でつぶやく。
「皆、後顧の憂いを絶つべきだと思いはしましたが、口にはできませんでした」
福島家を放逐はしたが、生活するために十分な金銭的な面倒は見ていたのではないか。
遠国に送ったのも、今川家ではすでに身を立てる事が難しい為だったのだと思う。
福島の名は名乗れずとも、将来、武家であれ僧侶であれ商人であれ、己の足で立ち生きて行けるように、他家に頭を下げ預けたのだろう。
だがしかし、これまで父の跡を継ぐ事だけを目標に生きてきた庶子兄らが、父の恩情をむしろ屈辱と感じ、恨みに思うのも理解はできる。
伝え聞くところによると、特に亀千代殿は苛烈な気質だったようだ。それをうまく伊勢殿に利用されている?
「お気になさる必要はないかと存じます」
毅然とした口調でそう言ったのは、亀千代と面識のある三浦兄だ。
「そもそも福島亀千代なるものは存在しませぬ。ただそう名乗っているだけの、どこの馬の骨かもしれぬ者です」
よほど嫌な思い出でもあるのか、三浦が庶子兄について語るときはいつも辛辣だ。
「いや、そういうわけには参りませぬ。明日に参られる第二陣の特使団に入っておられる」
風魔忍びの、神妙なようでいて面白がっているとわかる口調に、おそらくは直接庶子兄らを知っている年代の者たちが不安そうな表情になった。
「そもそも、その者は福島の姓を名乗る事を許されてはおりません。数え二十をとうに越え、なおも幼名を名乗り続けているのもおかしな話です」
三浦兄は更に厳しい口調でそう言い切り、こんな話を勝千代の耳に入れるなとばかりにキッと風魔忍びを睨む。
「仮に福島姓を名乗っているのだとしても、自称です。当家には全くかかわりのない事」
「三浦」
ますますヒートアップしていくその口舌に、待ったをかける。
三浦はすうっと鋭く息を吸い込み、なおも言い足りないようだったが、勝千代が軽くかぶりを振ったのでぐっと押し黙った。
「……まあ、それでいいのではないか」
勝千代は軽く首を傾けながら大人たちを宥めた。
「見知った顔だったとしても、誰だ、貴様など知らぬと、いぶかしんでやればよい」
とんとんと扇子で顎を叩き、ふっと唇に笑みを登らせる。
「亀千代さまの事は存じ上げているが、顎の所に目立つ黒子があり、疱瘡の痕が額に残っているはずだと言うてやれ」
例えば幸松のように父にそっくりなのだとしても、こちらが知らん顔をしておけば身の証など立てようはない。
そのうち死んだことにしても良い。
「それよりも気になっていることがある」
小物の事など放っておけと言いおいて、勝千代は再び風魔の忍び頭に視線を戻した。
「庶子兄は朝倉家に預けられたと聞いた。そのほうの話というのは、こちらではないのか」
そのぶ厚い唇がにいっと笑みを刻み、鋭い犬歯がむき出しになる。
ギラギラと光る眼光といい、野性味が過ぎる表情といい、周囲には到底埋没できない特徴がありすぎる外見といい。
忍びと言えば段蔵や弥太郎のように、もの静かで陰に潜む者というイメージが強かったのだが、そうでない者もいるのだな。
勝千代はそんな事を思いながら、続く風魔忍びの言葉を待った。




