12-7 伏見 北条軍7
仕込みは終わった。
あとは結果がどうなるかを見守るだけだ。
勝千代は、日が傾き暗くなり始めた室内で座り、目を閉じていた。
寝ているわけではないぞ。……ウトウトしそうにはなっているけど。
ここ連日、睡眠時間がかなり短くて、お子様ボディは相当お疲れだ。
欠伸がこぼれそうになったのを飲み込み、ちらりと茜色の空に目を向けた。
そろそろだろう。
耳を澄ませても何も聞こえないが、事態は確実に動いている。
遠山を含む北条の斥候部隊が伏見を出たのは数時間前。
目的は、吉祥殿(偽)の遺骸の回収だ。
もちろん場所的には山科方面。奥平の大騒ぎは本隊にも伝わり、かなり気が進まない様子ではあるが、回収のための兵を出してくれることになった。
そこで奇しくも! 深手を負い身を潜めていた左馬之助殿を見つけ出す、という筋書きだ。
北条の身中の虫が左馬之助殿を狙っているのだとしても、一般兵の中にまで刺客はいないだろうというのが大方の読みだった。
仮にも北条兵を名乗るのであれば、軍の大将であり現当主の弟を殺そうとするなど謀反としか言えない。
そして左馬之助殿が戻れば、副将はお役御免、勝手な動きをしたと叱責することも可能になる。
左馬之助殿はここ伏見でしばらく養生することになるだろう。
勝千代が京は避けた方が良いとアドバイスしたという事もあるが、実際、六角伊勢の軍勢がいる京に戻るのはかなり危うい。
それは権中納言様も同様だった。
下京にはまだ大勢の公家たちが残っている。ほぼ人質と言ってもいい状況だ。
勝千代は、彼らもまとめて下京から伏見に移せないかと考えていた。
伊勢殿は、表立っては公家を攻める事が出来ない。
そんな彼らを内に抱えることは、寡兵の北条軍にとっても利点になる。
公家衆にとっても、すぐに船で脱出できる伏見に移ることは、まずい選択ではないはずだ。
問題は、どうやってそれを成し遂げるかだが……
下京に戻りたがっている権中納言様に少し待ってくれと時間をもらい、まずは重傷の愛姫の許嫁殿を伏見までお運びする算段を立てている。
権中納言様は比叡山への避難をお考えのようだったが、皇族のすべてが一か所に集中するのはよくないと説得して、なんとか納得してもらえた。
話で聞くだけでもかなりの重傷である御身を、無事に移動できるかという難問はもちろんある。
弥太郎の意見だと、ゆっくり負担がないように運ぶのが最もよいということだが、そうすると丸一日、あるいは二日は見たほうがいいそうだ。
その二日をどうやって稼ぐか。
もちろん、北条軍に謀反騒ぎを起こしてもらう。
あとは、迫っているという細川京兆家にも動いてもらわなければ。
細川家はご存じの通り足利幕府の管領として長くあり、応仁の乱では東軍の総帥を勤めたほどの有力氏族だ。
最盛期ほどではないにせよ、今なお五か国の守護職にあり、間違いなく足利家よりも権力を持つ存在だった。
彼らは長らく、その領地支配を分家に委任し、その分家もまた代官に任せる、という統治形態をとってきた。
当初は広大な支配領域を効率よく一族で治めるための手段だったのだろうが、年代を経るごとにそれが悪手になった。
ここ近年は分家や守護代の力が増してきて、特に阿波方面が亡き公方の実弟を抱えてあからさまに本家を食う動きをしてきてはいるが、それでも「細川」の一門はいまだ衰退してはいない。
京兆家はその本家、惣領家だ。
彼らが一致団結したら、今の日本でそれに対抗できるものは少ない。
そんな細川家に正面切って喧嘩を売って、伊勢殿はどうするつもりなのだろう。
六角氏もそうだ。畿内の全方向から攻められる可能性があるのに、なぜ蜂起したのか。
やはり、細川家と対抗して負けない、逆に勝てると判断できる材料があるはずだった。
それは何だ?
まさか北条が匿ってきた堀越公方の御曹司だけではあるまい。
代替えがいくつもあるカードだ、それだけで勝負するにはあまりにも弱すぎる。
「失礼いたします」
すっと襖が開いて、逢坂老が部屋に入ってきた。
今この部屋にいるのは、勝千代の側付きの二人と谷だけだ。静かに考えをまとめたかったからだ。
逢坂はその布陣をさっとみて、若干顔を顰めたが、お小言はなかった。
「淀の関にいる倅から知らせがありました。気になる話を聞き込んできたそうです」
「……気になる話?」
「兵糧を運ぶのに大量の馬を持って行かれ、武家に売り出す馬が足りないそうです」
逢坂家の者たちは、大々的に騎馬を引き連れて畿内にいる理由として、軍馬の売り手を名乗っているのだそうだ。
もちろん手塩にかけた軍馬を売るわけはなく、ただの口実だが、その見事な馬を買いたいと銭を積んでくるものは多いという。
口実として、すでにもう売り先は三年先まで決まっているから、と言ってもなかなか引いてくれず、一か所に長くとどまるのに限界があるとの報告を受けていた。
「兵糧か」
軍馬と荷馬では育成の手間暇が大きく違う。その軍馬用の馬まで荷馬として買い上げていったという事は、どこかからどこかへかなり大量の兵糧を運ぶ必要があったという事だ。
確かに、気になる話だった。
もしそれが近々のことでないのなら、伊勢氏が頼みにするどこかの軍勢かもしれない。
もちろん伊勢氏あるいは六角氏の可能性もあるし、細川陣営の可能性もある。
調べてみなければはっきりしたことは言えないが、なんとなく、細い尻尾をつかんだような予感がした。
堺にならその手の情報がたっぷり集まっているはずだ。佐吉なら何か知っているのではないか。
何故かまだ避難せず伏見にいる佐吉を呼ぼうかと思案して、まてよとこめかみを揉む。
確かに佐吉には世話になっているが、あの男は完全な味方とは言えない。
今後の方針を決めるような情報を扱わせるほどの信頼は、寄せるべきではない。
弥太郎に頼むか? いや、連れてきた忍び衆は既に手一杯だ。
ふと、最近利害関係が発生した相手を思いついた。
いやいや、それは駄目だ。問題外。
やはり遠江から人員を呼び寄せるべきだろうか。
忍びの足で四日だと聞いた。復路を考えれば躊躇っている間はない。
ただひとつ……段蔵ならば可及的速やかに忍びを寄こしてくれるだろうが、同時に、京の現状が父の耳にはいってしまう。
……これも駄目だな。




