11-6 伏見6
勝千代は、不貞腐れた表情でそっぽを向いている吉祥殿に「やれやれ」と首を振った。
諦めたのか、死への恐怖に負けたのか、体力が限界に来たのか。
ようやく暴れるのも喚くのもやめてくれたので、床にうつ伏せに押さえつけるのではなく座位にさせた。
髪がないので、ギラギラと憎しみをたたえた目がよりむき出しになってこちらを睨んでいるように見える。
猿轡を外した瞬間にまた騒ぎそうだと思いながらも、話をせずには始まらないと市村に目で指示した。
身体を縛っている荒縄のほうは外さない。
そこまで自由にさせるとまた暴れそうだし。
「……逆臣め!」
涎まみれの布が外されて、第一声がそれだった。
市村がもう一度猿轡をはめようとしたのを制し、「そもそもあなた様の臣下ではございません」とため息交じりに答える。
「そうやって、やみくもに四方に敵をおつくりになるから、扱いづらい駒だとみなされ用済みにされるのです」
「……っ」
そう。今でこそ伊勢殿は義宗殿を推しているが、彼でなければならない理由などなかったはずだ。
吉祥殿と義宗殿の差はなんだ? 母方が伊勢氏だということぐらいなもので、足利の血的にはさほど変わらない。
「立場の弱い幕府、細川京兆家の専横に不服があるだけなら、旗頭はあなた様でもよかったはず。年も若く、長く後見を務めることもできるでしょうし」
こうなってしまった原因を考えろよ、おぼっちゃま。
「その感情を制御することのできない気質が厭われたのでしょう。権力を持たせれば暴君になりかねませんから」
「そんなことは!」
「ないとは言わせませんよ。諫言をした松田殿はどうなりましたか」
これまでは多くが吉祥殿に当たり障りなく接し、聞こえの良い事ばかりを言い、適当にもてはやしていたのだろう。
そんな中で、まともに注意をしてくれた臣に怪我を負わせ、蟄居させたのだ。
この子は駄目だと多くの者が考えてもおかしくはない。
「……わしは駒などではない!」
吉祥殿は真っ赤な顔をして、なお現実を認めようとしない。
勝千代は軽く肩をすくめた。
「誰しも多かれ少なかれ駒のひとつですよ。強い駒か弱い駒かはその人次第」
芋虫小坊主殿は反射的に身を乗り出し、詰め寄ってこようとしたが、市村がぐっと荒縄を握ったので立ち上がる事すらできなかった。
「今のあなた様は、要らぬ邪魔よと捨てられた駒です」
「違う!」
「ではいったい何ができるというのです? 力もなく、人望もなく、まともに働かせることのできる頭もない」
「無礼であろう!」
吉祥殿の肩が「ふうふう」と荒く上下する。
勝千代はそれを冷静に眺め、言葉を続けた。
「それでは忌憚のない意見を申し上げさせていただきます。今あなた様の取れる手立てはふたつ」
コンコン、と床を扇子で叩いた。
「ひとつはここで死ぬこと」
さっと青ざめたのは吉祥殿と崇岳だ。
「もうひとつは、どこか他所で死ぬことです」
「……何という非道な!」
わざとらしく震えあがっている坊主頭に、同意する者はいない。
崇岳は素早く周囲を見回して、己に同調してくれる者がいないと見て取ると、さっと背後の男前僧侶に目を向けた。
やはりその男に助けを求めるところを見ると、ただの弟子ではないのだろう。
男前僧侶が居住まいを正し、勝千代に正対して向き直る。
「お待ちください、若君。恐れ多くも足利の御血筋をお見捨てになられるのですか」
その哀れを誘う声も、先程のあの不敵な笑みを見てしまった後では、ただの仮面なのだとわかる。
勝千代は扇子を開け閉めし、そんな口車には乗らぬよと首を振った。
「我らでは手に負いかねる」
それほどお助けしたいのなら、お前らがやればいいじゃないか。今川とは全く関係のない所でな。
「そのような」
「御坊、我らの双肩には駿河遠江に住む大勢の命が掛かっている」
何をしたいのか大体わかるが、吉祥殿を内に抱え込むという事は、その身に及ぶ宿命をも共に背負うことになる。
薄っぺらな約定一枚で、国を戦火に巻き込むわけにはいかない。
「そのような弱気な事を申されるとは。鬼福島の御嫡男とは思えませぬ」
「なんとでも」
この状況がなんだかおかしくて、勝千代は扇子で口元を覆って込み上げてくる笑いを隠した。
普通僧侶が命の重さを語り、武家の行き過ぎを諫めるものではないのか?
勝千代はパチリと扇子を鳴らして、じっとこちらを見ている大人たちに視線を回した。
「御屋形様がお引き受けすると決められたのならともかく、だまし討ちのように毒をねじ込むのはどういう了見か」
「今川館の方にも了承はとれております!」
たまらず、という風にそう声を張ったのは崇岳だ。
背後に控える男前僧侶は、何も言わず妙に目力のある双眸で勝千代を見つめ続けている。
「ほう?」
勝千代はまたパチリと扇子を鳴らした。
その音にびくり、と肩を震わせたのは、奥平だけではなかった。
急にシーンと沈黙が広がる。
「御屋形様が? 本当に?」
並み居る今川家の者どもが、多かれ少なかれ呑まれたような表情で勝千代を見ている。
いや、少なからず視線を泳がせ、半数以上が両手を前についた姿勢に戻ってしまった。
「そもそも、公方様がお亡くなりになられた件はまだ駿河には伝わっていない。この御方の受け入れを了承したのだとしても、それは事が起こる前の話だ。つまりは、御坊は独断で御屋形様の御名を騙ったわけだ」
「そ、そのようなつもりは」
刻一刻と情勢は変わっていく。
そんな中、公方様が亡くなられたという重大事件であっても、地方に伝わるまでに早くても数日、事実確認を含めれば半月近い日数が必要になるだろう。
その間にも、物事はゆっくりと動いてくれるわけではない。
やはり、いかに素早く情報をあつめ、いかに先んじて物事を把握しておくかが何より重要になってくる。
何も知らぬ状況で吉祥殿を受け入れていれば、それを口実に今川は陣営を選択する猶予すらなく戦に巻き込まれてしまうだろう。
「やはりここで死んで頂くことにしよう」
勝千代はそう言って、血の気が失せた顔の吉祥殿に目を向ける。
「病死のほうが穏便か?」
「首を遺しておく必要が御座いますから、焼死がよろしいのでは」
意地悪さなど微塵も感じさせないが、確実に心をえぐってくる言い方をするのは逢坂だ。
火傷を負ってここまで逃げてきた者は幾らかはいるだろうから、無難な死因ではある。
「……ではそのように」
「ま、待て!」
腰を浮かせた勝千代を、吉祥殿が必死に引き留めようとした。
膝立ちになり、縋りつくように何かを言おうと口を開閉する。
勝千代はもはやそちらには一瞥もくれず、そのまま部屋を後にした。




