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春雷記  作者:
京都編

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10-5 山間 野営地

「あにさま!」

「にさま!」

 一条姉弟が、戻って来た勝千代をいち早く見つけて声を上げる。

 夜も更け、深夜帯ではないにせよ子供は眠っているべき時刻だ。

 勝千代がどこかへ出かけたことに不安を感じて待っていたのだろうか。戻って来た一行が誰も怪我などしていない様子を見て取って、女房殿たちも皆ほっと表情を緩めている。

「いかがでしたか」

 ようやく安心してウトウトし始めた姉弟を、大人たちが見守っている。

 勝千代も薬湯で一息入れながら、残留組を任せた逢坂老の問いかけに苦笑で応える。


 松永青年の姿が見えない事に気づいているだろうに、誰も質問してこない。

 実はあの男に左馬之助殿の面倒を頼んだのだ。

 厄介払いではないぞ。幕府の役人を辞めた後の仕官先として、北条家はなかなか悪くないのではないかと示唆しておいた。

 少しためらっていた様子だから、すぐに決めずとも様子を見て、できるなら勝千代との連絡役になってほしいとお願いした。

 まあ、勝千代の関係者だというだけで警戒されてしまうだろうから、腰を据えることができるかは微妙なところだ。

 どうしても駄目なら、一条家に口を利いてやるつもりでいる。

 今川家でもいいか……北条より更に居心地が悪いと思うぞ。

 うち? 福島家は遠江の弱小国人領主だから、そもそも仕官先の候補にも入っていないだろう。


「北条左馬之助殿ですか」

 案の定、逢坂老の表情が渋くなる。

 同行した者たちよりも険しい顔になっているのは、直接左馬之助殿と接していないからだろう。

 つまり同行者たちはあの気質にほだされる部分があったということで、やはり注意が必要だと気を引き締める。

「迷子を保護者に引き合わせてやるとして、相手が下手を打ったとしてもこちらの咎にされかねないですぞ」

 お人よし左馬之助殿が「信じられる」と考えている者が、もし違っていたなら、最悪の場合あの男は死ぬだろう。

 そして北条家中の裏切り者が、全責任をこちらに負わせてくる可能性も、無きにしも非ず。

「左馬之助殿とは、こちらの名は断じてどこにも漏らさない事を条件に協力すると約定を交わした」

 逢坂老の心配はもっともだが、あの手のタイプは、こういう約束事を故意に破ろうとはしないものだ。

 名前さえ出さなければ、誰も、敵対している勝千代がかかわっているとも思わないはず。

「ただ書簡を届けてやるだけだ。こちらの不利にはならない」

 いずれ誰かに知られてしまうにしても、すぐにではなく、しっかり「貸し」になるまで謎の助力者でいた方が良い。

 気づくとしたら、向こうの風魔忍びだろうか。

 焚火の枝をつついている弥太郎にちらりと目をやり、いや、この男ならそれすらも気づかせずやり遂げるだろうと思いなおす。

 弥太郎曰く、北条の一行に風魔忍びはいるものの、弥太郎らを気にしている様子はないとのことだ。今はそんな余裕はないのだろう。

 お互いに本拠地を遠く離れ、人数が少ないという事を考え併せても、主人を見失うなど不首尾が過ぎると鼻で笑われていた。


 何にせよ、こちらの手助けはここまで。

 情報の対価として相応だろう。

 勝千代のその言葉に、逢坂老はようやく納得したように頷く。

「では、このあたりに目が集まる前に早急に移動せねばなりませぬな」

 伏見まで、女子供連れではあと半日はかかるだろう。

 明日の早朝に出立し、昼過ぎには到着できるだろうか。


 勝千代は再び焚火の側で丸くなって眠る一条姉弟に目を向ける。

 左馬之助殿の生存情報は、こちらが伏見についたころに相手方に届くよう手配している。

 そうなってくると危険なのは天龍寺派だ。

 探しているのは左馬之助殿なのだろうが、女子供町人武士の区別なく手に掛けていたあのやり口を見るに、ひと目で公家とわかる一条家の一行は恰好の的だろう。

 連中に見つからず移動できるかは、運だ。

 だがその運は、連中の目的さえわかってしまえば確実に作り上げる事ができる。


「囮をちらつかせよう」

 もちろん左馬之助殿本人ではなく、それらしく装った別人だ。

「近江方面へ向かわせる」

 山越えの可能性を匂わせてやれば、伏見や堺など人が多い場所を避けたのだと思ってくれるかもしれない。

「ですが、伏見に入れば多少なりと人目に触れます。河路を目的に京から避難してきている者は多いでしょうから、噂は広がります」

 三浦の危惧はわからなくもない。だが、いったん街中に入ってしまえば、それほど心配する必要はないと思っている。

「奴らが捜しているのは左馬之助殿だろう」

「それはそうですが……」

 確かに、勝千代たちが武士だというだけで連中の目を引き、一条家の方々に注意が向く可能性はある。

 だからこその囮。

 視線の分散だ。

 連中の数にも限りがあるはずだから、すべてに目を配ることは難しいはずだ。

「それに、左馬之助殿が京に戻る、あるいは迎えを要請する段になってしまえば、もはや伏見には関心は向くまい」

 左馬之助殿がアドバイス通りに動いた場合、けっこうな騒動が勃発する。

 副将及びそれに協力した者たちの罷免。

 大きな声を上げ騒ぎにすればするほど、左馬之助殿の身は安全になり、北条軍は伊勢派として動けなくなるだろう。

 そうなった場合、ただでさえ三倍にも膨れ上がっている細川京兆軍とまともに戦えるだろうか。


 勝千代は、湯呑みの底が見えている薬湯を飲み干しつつ、今後の展開に思いを巡らせた。

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