10-4 山間の村4
左馬之助殿の立場からすると、今の状況で動けないというのは相当にまずい。
もちろん勝千代が手を貸す義理はなく、気にしてやる謂れもない。
だからと言って「置いて行かないでくれ」はないのではないか。
供回りの者たちは表情にこそ出さないがイラっとしたようだし、勝千代自身、呆れてため息をつきたくなった。
そこまで親しくもないし、北条と勝千代との関係はむしろ険悪だったはずだ。
きっとこの男は知らないのだろう。
北条家がもう何年にもわたって勝千代の身の回りを脅かし、実際に幾人もの命が奪われているという事実を。
すげなく断るなど可愛いものだ。天龍寺派への囮として使ってやってもいいぐらいだ。
だが一瞬、まてよと頭の片隅で計算が働く。
北条は強く大きい。一介の武将の嫡男が敵に回して、よくこれまで凌げたと言いたいほどに。
この先もずっと、無傷のまま躱し続けるのは困難だろう。どこかで力及ばず、大きな被害を負ってしまう可能性は高い。
だが、貸しを作れば交渉できるのではないか。
北条と今川のつながりは、御屋形様の御母上である桃源院さまだ。
桃源院さまと北条の先代が姉弟の関係で、長らく今川家の参謀兼一門衆のような役割を果たしていたと聞く。
今でも親戚としての付き合いは続いていて、不協和音的なものがあるようには見えない。
だが領地を接した隣国。北条の勢力が増してくるにつれ、今川の目には脅威に映っているだろうし、北条家にとっては、従来通りに扱われることへの不服が増していくだろう。
いい機会なのかもしれない。
眉を垂らして情けない表情をしている左馬之助殿を見つめて、軽く顎をさする。
ここで北条と和睦が可能なら?
もちろん、表立って何かをする必要はないし、これまで通り桃源院様と付き合ってくれてかまわない。
刺客を送るふりをして、「なかなか手ごわい」と言い続けるだけでいいのだから、北条家にとっても、そう悪い話ではないはずだ。
「そちらの風魔忍びは? 近辺にはいないようですが」
勝千代がそう問いかけると、左馬之助殿の目つきが不審そうになった。
子供が忍びについて言及する事への違和感だろうが、そういう態度を見ていると、ますます「何も知らない」のだとわかってしまう。
それが、この男の気質を鑑みての当主の判断なのか、当主との関係性が希薄なせいかはわからない。
武家は生来、血のつながりが濃いほど険悪になりがちなものなので、勝千代とその異母兄弟たちのような殺伐とした仲だという可能性はある。
だが逆に、父と志郎衛門叔父たちのように、強い血族間の結束を保っている場合も往々にしてあり、もしそうであれば、ここで左馬之助殿を見捨てるという選択は悪手だろう。
「こちらもやるべきことがありますので、全面協力というのは難しいです。ですが、多少の助力は可能かと思います」
口を封じるために殺してしまうのでない限り、単純に敵だと切り捨てるべきではない。
勝千代のその判断を、これまで命がけで戦ってきた弥太郎たちはどう受け取るだろう。
だがまあ、弥太郎であれば、風魔忍びがどこにいるかぐらいすぐにわかるだろう。左馬之助殿の状況を教えてやるぐらい、片手間にこなすはずだ。
「多少の条件はありますが」
「……条件?」
急に用心した表情になった左馬之助殿。
つくづく考えていることが顔に出やすいタイプだな。
勝千代は、表面上はただの子供に見える無邪気さでニコリと笑った。
反射的に笑い返すなよ、お人よし。
絶対悪徳商法とか詐欺とかに引っかかりやすいタイプだろう、こいつ。
もし北条の当主がその気になれば、おそらくはいつでも排除は可能だ。つまり今のこの歳まで生きていること自体から、味方も多いのだろうとわかる。
その実兄に捨て駒として京へ送られたのでない限り、副将以下の幾人かはこの男の味方のはずで、かなり心配され探されてもいるはず。
であるならば、貸しを作っておいて損はない。
「いえ、こちらの話ですよ」
数え十歳の子供のニコニコ笑顔に、「そうか」と納得し笑顔を返す。
その人を疑うことを知らないまっすぐさは、美徳と言えば美徳に違いないが、大勢を率いる立場としてはかなりの欠点だ。
単純に騙されましたで敵を引き入れ、大敗を喫する原因になりかねない。
この男と対面してそういう誘惑にかられる者は少なくないはずで、だからこそ、しっかりとしたお目付け役が側に張り付いていたはずだ。
もしその人物が今も生きているのなら、さぞ気を揉んでいる事だろう。
現に今、ひとりきりでこんなところにいるから、鄙びた村の後家に秋波を送られ困惑し、勝千代のような子供に良いように利用されてしまうのだ。
「ですが困りましたね。御命を狙っている者たちは、左馬之助殿が生きておられると知れば再び襲ってくるでしょうし」
何よりここは京に近すぎる。
今現在天龍寺派が気づいていないからと言って、ずっとそのままでいてくれるとは思えない。
愛姫たちがいる以上、危険因子を連れて行くつもりはないが、生かして利用するのであれば、相応に手を打っておく必要はある。
最もいいのが、そのお目付け役に居場所を教え迎えに来させる事だ。
ただしそうすれば、同時に、左馬之助殿を殺そうとした者たちもその生存を知ることになるだろう。
そもそも北条の風魔忍びはこの男の味方なのだろうか。
……いいや、そこまで御親切に面倒を見てやる必要はあるまい。
副将以外の敵は誰か。それを正確にわかっているなら良し。わかっておらず更に狙われることになろうとも、それはこの男の責任だ。
数え十歳の子供にそれ以上を求められても困る。
「信頼できる御配下と、連絡が取れるように助力しましょう」
おおまけにまけて、してやれるのは、そこまでだ。




