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春雷記  作者:
京都編

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10-3 山間の村3

 つまるところは、北条家は今回の事変に関して寝耳に水だったということだ。

 それなのに現状、副将が勝手に軍を率い「北条軍」としてかかわっている。

 今さら当事者を罷免しようがどうしようが、既成事実として起こってしまったことは変わらず、このままだと北条は伊勢氏とともに謀反を企て将軍の首を挿げ替えたと言われてしまうだろう。

「どうすれば」

 頭を抱える左馬之助殿の顔色は悪い。

 かなりの手傷を負わされ、供回りの者もおらず、本人が気づいているのかわからないが、天龍寺派の僧侶たちに血眼になって探されている。

 今のままだと取れる手段はふたつしかない。

 家名の汚辱を放置し逃げ出すか、命を懸けてなんとかするか。


 勝手にしてくれ、というのは勝千代の率直な感想だ。

 政権抗争に関わり合いになるような立場ではないし、近寄りたいとも思わない。

 むしろ「北条」と聞くだけでアレルギー反応を起こしてしまいそうなので、見えないところまで遠くに行ってほしい。

「どうしたいのですか?」

 そう問いかけながら、頭の中で良からぬ部分が、この男を囮にするべきだと囁く。

 天龍寺派がうろついていて物騒なことをしている理由がこの男だというなら、ここに身を潜めていると教えてやればいい。

 連中の目がこの村に向いている間に、勝千代たちは安全なところまで退避できるだろう。

「……それは」

 勝千代の問いに、左馬之助殿が途方に暮れた表情で顔を上げる。

「どうすればよい」

 ……いや、そんなこと聞かれても。


 勝千代はこれ見よがしに長い息を吐いた。

 左馬之助殿がビクリと肩を震わせ、伺うようにこちらを見ている。

 なんだか憎めない男なのだ。

 思ったことがすべて顔に出るというか、馬鹿正直というか。

 長年北条の忍びに付きまとわれ、幾度となく命を狙われてきた身としては、北条家当主の実弟が「いい奴」だなどという情報はいらなかった。

 「敵」という大きな括りの中には、それぞれの人間がいて、それぞれの人生があって、単純に善悪で判断できるものではないとわかってはいる。

 だが「敵」であれば倒す方法を幾通りも思いつくが、目の前の途方に暮れた男を敵の餌にするのはどうにも気が引けた。


「松永殿」

「……はい」

「どう思いますか」

 ひっそりと一同の後ろの方に座っていた松永青年が、こちらの真意を伺うように視線を合わせてくる。

 この男の、やたらとまっすぐな眼差しを浴びると、頭の中を総ざらいされているような気がして落ち着かない。

 彼が勝千代と北条との因縁を知っているわけがない。

 だが、天龍寺派に追われている左馬之助殿を餌にしようかと逡巡したのは察したかもしれない。


「北条家はその、義宗様を新たな将軍家として認めるつもりはないと……?」

「兄上がどう判断なさるかわからん」

「左馬之助さまがこのような目に遭われ、それでも従うでしょうか」

 事がすべて露見してしまえば、いい関係でいられるとは思えない。

 だがしかし、その義宗とやらが正式に将軍位を賜ったなら、一家臣である北条家がいくら怒ったところでどうにもならないのだ。

 今兵を集めている細川家らと合力するだろうか? いや、どちらに転ぶかわからない混乱の片方に加担したいとは思わないはずだ。

 おそらくは、結末を見届けてから判断する。

 京から遠いという利点を、ここぞとばかりに利用して、どちらからの援軍要請にものらりくらりと返事を先延ばしにするのではないか。


「一刻も早く副将を罷免するべきです」

 松永の意見に、勝千代も小さく頷いて同意する。

 今さらと言われるかもしれないが、すぐにも北条軍を京から引き揚げさせるべきだ。

 とはいえ、簡単にはいかないだろう。

 伊勢殿がそれを認めるとは思えない。

「事を今回の件ではなく、左馬之助様に対する副将の謀反ということにしてしまえば、北条家内の問題として片を付けられるのでは」

 少し弱いが、指揮官の不在という理由で京にいる北条軍の動きをとめることはできる。

 問題は、残りの将兵がその副将サイドに立った場合だ。

 のこのこと戻って来た左馬之助殿は恰好の的として狙われるだろう。

 今の、身動き一つするにも苦しそうな状態では、その身を守ることすら難しいに違いない。

「最悪の場合、一兵卒に至るまですべて罷免放逐してしまえば、北条軍ではなくなります」

「そ、それは」

 究極の暴論を掲げる松永に、左馬之助殿は受け入れがたい、という表情で口ごもる。

「そもそも、左馬之助殿が今おひとりで、御身を守るお供もおらず、負傷し身を潜めている現状がおかしいのです。北条軍は何をしているのでしょう。大将を守らぬ軍など無能、賊と呼べばよいのでは」

 正論だ。文句なく正論だ。色々とどぎつく刺さる言い方ではあるが。

 言葉のナイフでざっくりと突かれた左馬之助殿が胸を押さえて「うう」と唸るのを横目に、勝千代も松永に同意して頷く。

「ああなるほど。早々にそのように公表したほうがよいかもしれません。賊でないのなら、いますぐ武装を解除して沙汰を待てと申し付け、北条家が方針を決める何日か何か月か後まで何もするなと言えばよい」

 もちろん、途中余計な動きをしようとすれば「賊」。北条家とは何らかかわりのない者だと公言してしまえば、副将がどんなにわめきたてようが本人の自己責任になる。

 なかなかいい手ではないだろうか。

 ひとつ、北条軍の大将である左馬之助殿が、かなり露骨に下手を打ったことになってしまうが。

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― 新着の感想 ―
[一言] まだそのままなので脱字指摘を(^_^;) 身を守ることす難しい らが抜けております。細かいところですみません(^^ゞ
[一言] 北条本家はこのこと知らなかったのでしょうかね、本当に? 上洛の理由が相当不自然ですから、実は知ってたのではないかという気も。そしてそうなると、彼は実家からもハメられたことになってしまいますが…
感想一覧
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