10-2 山間の村2
「まあ、起きたらあきません」
そう言って身体を起こそうとする男を止めたのは、なかなか美人の後家だ。
「失礼いたします」
側に寄った弥太郎に、警戒心もあらわな目を向けてきたが、そのニコニコと朗らかな公務員顔に若干だが表情を和らげる。
「……済まぬが席を外してほしい」
当の本人にそう言われても、まだぐずぐずとその場に居続けようとするのは、こちらを探ろうという意図ではなく、やはり怪我人が気がかりなのだろう。
弥太郎が一礼して脈を取り、更には一通り身体の様子を確認するのを皆で見守る。
しばらくして、後家は後ろ髪を引かれた様子で下がっていき、三浦が人好きのする表情で送り出して木襖を閉めて初めて、男はほっと息を吐き出した。
「いや、済まぬ。悪い女子ではないと思うのだが……」
モテ男か。
勝千代の視線に困ったように視線を泳がせ、教えてくれたところによると、後家の死んだ夫と背格好が似ているらしく、何かと色めいた目で見られるそうだ。
モテ男だな。
火傷の手当てのために顔の大部分をさらしでぐるぐる巻きにされていても、この偉丈夫ぶりだ、農家の後家には相当に「いい男」に見えるのだろう。
「……どうされたのですか」
改めての勝千代の問いかけに、答えあぐねて首を捻るその男は、つい先日対面したばかりの北条左馬之助殿だった。
「その前に、京の様子を教えてくれ」
どうやら火傷だけではなく、太刀傷も負っているようで、弥太郎がひとつずつ確認するたびに顔を顰めている。
さらしの量的にかなりの重傷に見えるが、本人が意外と元気そうなのは、気を張ってそういうふりをしているのか、もともと頑強でこの程度の怪我などたいしたことがないという人種か。
少なくとも、今現在は死にそうにないなと見て取って、勝千代は安堵半分、疑惑半分の目で左馬之助殿を見つめ返す。
「上京は火の海ですよ。おそらく御所は全焼。一条邸にも付け火をされましたから、おそらくはもう燃えてしまったでしょう」
「……吉祥殿は?」
気にするのはそこか。
勝千代は長く嘆息し、「わかりません」と首を振る。
「わたしは方々を避難させることだけを考えておりましたので」
「そうか」
左馬之助殿はそう言って、息を吐いた。
「足利義宗というのは何者ですか」
勝千代の問いかけに、難しい顔をしていた左馬之助殿がますます眉間の皺を深くして、火傷が引き攣れたのだろう、痛そうに呻く。
「……伊勢殿は」
「おそらくその義宗殿に、新しい将軍位を継がせようとなさっておいでです」
左馬之助殿はゆるゆると首を振り、長く重い唸り声で「謀反じゃないか」とつぶやく。
「私の目には、左馬之助殿も志を同じくしているように見えましたが」
「とんでもない!」
左馬之助殿の話によると、義宗は「よしむね」ではなく「ぎしゅう」というらしい。
つまりは僧籍にある。
義がつくので紛らわしいが、言われてみれば諱を大々的に名乗るわけがない。人にそう誤解を受けかねない法名なのは意図的だろう。
義は代々足利将軍家に伝わる偏諱なのだ。
堀越公方の直系だというのは間違いないらしい。実際にその者の父親はその位にあったという。
「茶々丸さまの御嫡男なのだ」
そう言われて、すぐに三浦に書いてもらった足利家の家系図を思い出す。
「つまり……十一代将軍の弟君の御子ということですか?」
「兄君だ」
本当にややこしい一族だな。
まとめよう。
十一代将軍は、先日亡くなられた十二代将軍の実父だ。十代将軍は、十一代将軍の従兄だ。
従兄から将軍位が移ったのはまあいいとして、十一代将軍はその家系の長男ではなく次男。兄を飛び越して将軍位を継承したことになる。
母親の身分とか誰が後見とか、そういう諸々があって嫡男は決まるものだから、一概にどうとも言えないのだが、長男ではなく次男が立つというのはいかにも揉めそうな案件だ。
非常に言いにくそうな左馬之助殿によると、堀越公方茶々丸さまを討伐したのは北条家の先代、つまりは桃源院さまの弟君だが、その御子息に手を掛けることはせず、伊勢一族が匿い育てたのだという。
なるほど。
「今回、京の天龍寺総本山の院主になられることが決まり、我らは護衛のために同行したのだ」
院主どころか、将軍家を継ごうとしているけどな。
「つまりは、伊勢殿と合力して公方様の首を挿げ替えるおつもりはなかったと?」
「当たり前だ!」
「ですが、京では北条家の兵士も伊勢家六角家同様にみなされています」
「ああああ、兄上に何と報告すればよいのか」
予想だが、伊勢殿は北条家は味方に付くと考えていたのだと思う。
義宗殿を匿い育てた共犯者として、きっと志を同じくしてくれると。
だが詳しく話を詰めていなかったために左馬之助殿は「話が違う」と言い出し、伊勢殿の行動を咎めて離反しようとした。そのために、「処分」されそうになったのだろう。
いまだ北条軍が京で伊勢家と行動を共にしている理由は定かではないが……
「ここだけの話、義宗殿はどうやら我らを恨みに思うておるようでな」
左馬之助殿は両手で頭を抱えたまま唸った。
「あの方の母親は、茶々丸さま幽閉中に世話をしていた一族の女だ。おそらくは母親の親族あたりから、我らが茶々丸さまを討ったことを聞いたのだろう」
げんなりした風に肩を落とし、ぼそぼそと聞こえにくい小声で言う事には、京まで来た北条軍の副将はその母方の叔父なのだという。
つまりは、北条家の名を使って上洛の兵とした、ということだろう。
「……上手く使われましたね」
勝千代の容赦ない言葉に左馬之助殿は再び「あああああ」と細く悲嘆の声を上げ、がっくりとうなだれた。




