10-1 山間の村1
その村は、現代でいう「山間の過疎村」を連想させる、本当に小さな村だった。
山と山の間を流れる小川の左右に、猫の額ほどの田畑があって、その段々の田畑に米と里芋を植えている。
遠目にも栄えた感じのない村だという当初のイメージ通り、子供も入れて総人口二十名たらずの、本当に小さく貧しい村だった。
問題の庄屋は村のもっとも川上に建てられていた。
庄屋と名乗るだけに、それなりの大きさがあり、造りもそこそこに立派だが、それはあくまでも周囲の家々と比べてという意味だ。
雨風はしのげそうだが、台風は大丈夫なのかと心配になるレベルの家と言えばわかりやすいだろうか。
「庄屋の家の奥に、怪我人がひとりいます。顔にやけどを負っているので、素性などはわかりませんが、刀が脇に置かれているところを見ると武家でしょう」
戻ってきて一時間足らずで「ちょっとみてきました」という感じで報告に戻って来た弥太郎が、油紙を解き中の書簡に目を通している勝千代に声を掛ける。
勝千代は二度目に文面の末まで目を通してから、傍らで膝をつく弥太郎を見上げた。
「怪我は酷そうか?」
「意識はあるようでしたが、診てみないことにはなんとも」
意識があるのなら、話を聞く事はできるだろう。
勝千代は再び書簡に目を落とし、ため息をついた。
「宗主さまが幾らか包んで密かに面倒を見てほしいと頼んだそうだ」
書簡には、その人物がこの村に匿われた経緯が、簡単にだが書き記されていた。
本願寺派は、伊勢殿の協力要請を断り、今回の京の騒動に関わらない事にしたそうだ。仏門故にともっともらしく断ったが、納得してもらえず物別れに終わった後、蓮淳がなにやら余計な動きをしそうなので見張らせていたらしい。
天龍寺派の僧侶たちが誰かを探しているようだと気づいたのは永興で、鴨川を渡って逃れてきたその怪我人を拾ったのはまた別の僧侶だ。
それが京で火災が起こってすぐのタイミングで、単純に火にまかれたというには重篤な怪我だったので、まずは興如に話が上がった。
興如は厄介事を寺に持ち込むことを反対したが、宗主さまは何か思うところがあったようで、それでも念のために寺には迎え入れず、あの小さな村で匿い療養するように手筈を整えたのだそうだ。
書簡には男の名も書き記されていた。
そしてそれは、にわかには信じられないものだった。
「周辺に問題がないのであれば、会ってみよう」
ただし、一条家の方々とは別行動だ。
少し考えて、松永は連れて行くことにする。
置いて行く方にリスクがあると感じたからだ。
「村人の目に触れぬよう、日暮れに動く」
「はい」
隣に陣取る逢坂老に書簡を手渡し、回し読みさせながら、勝千代は繰り返しやってくる厄介事にぐりぐりとこめかみを指先で揉む。
頭の芯がずしりと重い。
それが一連の出来事による疲労感なのか、体調不良の前兆なのかわからず顔をしかめた。
このままの調子で厄介事に巻き込まれ続けていると、そのうち本気で寝込みそうだ。
病は気からというが、気力はあれどもそもそもの体力がないのは自覚している。
そしてその夜。
完全に日が暮れるのを待って、出立した。
もちろん歩いて行ったとも。抱っこ移動という年齢でもないし。
目立ちたくないので、同行者は少数に限定した。いつものメンバーと、松永青年だ。
皆で野営をしている場所から、山道を登って一時間ほどもかかった。
結構距離があったということもあるが、村を通らずに庄屋に直接行こうとしたから、よけいに険しいルートになってしまった。
さすがに草履で岩のぼりはつらい。
尻を支えて押してもらったことは、きっと誰にも言わないでくれると信じている。
「休みましょう」
ぜいぜいと息を荒げている勝千代に、気づかわし気にそういうのは三浦兄だ。
大人だからか、他は誰一人として息が上がっている者はいない。
悔しく思いながら片手をあげて、木の幹に身体を預けて息を整える。
「……いや、行こう」
この時代だと子供の方が元気に走り回っている印象があるんだけどな。
いつも思うが、もっと体力をつけたい。
夜の農村というのは、思いのほか明るいものだ。
街灯などはないのだが、開墾のためにぽっかりと木々がない空間があって、そこに月明かりが注いでいる。
しかもこの時代だと空にはあまたの星が降るほどに見える。
美しいというよりも圧倒されて畏怖すら感じる光景だ。
暗闇は恐ろしいが、身を隠すのにはうってつけなので、木々の影を利用しながらぐるりと庄屋の裏側に回った。
住人は老夫婦とそれなりの年齢の後家らしい。
特に後家が親身に看病をしていて、夜間でもほぼ付きっ切りなのだとか。
すっかり日は暮れて真っ暗だが、年寄りですら寝ているかどうか微妙な時間だったので、こっそりと侵入するのではなく普通に訪問することにした。
目立たないように裏口からだけど。
ドンドンと三浦が木の引き戸を叩く。
軽く静かに。「怪しいものじゃないです」と主張する丁寧なノックだ。
こんな時間の訪問者が怪しくないわけがないのだが、本願寺の宗主から怪我人を預かっているという自覚があるからだろう。警戒しながらだが、応じてくれた。
「……誰ぞ」
「そちらにいらっしゃるお客人に取り次いでいただきたいのだが」
返ってきたしわがれ声に、三浦の人当たりの良い声が答える。
しばらくためらう気配がして、「ここへはどなたかのご紹介で?」と問われたので、もちろん宗主さまの名前を出させてもらった。
「ご本人にも面識はあります。福島家の勝千代さまだと伝えてください」
三浦がそう言うと、ようやく、内側からごとりとつっかえ棒が外される音がした。




